プラクティス -19ページ目

歴史に学ぶと言うこと

歴史に学ぶと言うこと


歴史と言うものは日本史、世界史ではありません


今、生きてる我々の生活が歴史(日本の令和史)なのです。


まず、この当たり前のことを認識して頂いて、あなたの前に崖から落ちる人が居たとします。



すると、死にたくないあなたは、その道には行かない、のです。


何故なら落ちて死ぬからです。


これが、


歴史に学ぶと言うこと


です。



で、あなたの進む道には、あなたが考えるまでもなく、先達者が居る、のです。


逆に、我流でやって失敗した先行者が沢山居る、のです。



たとえば、ダイエットで言うと、


 こうすると失敗する


 こういう考え方をすると失敗する


と言う例が山ほどあるのです。


あるいは、


 こうすると成功する


 こういう考え方をすると成功する


と言う例が山ほどあるのです。



と言うことは、自分を信じるとか眠いこと言ってないで、失敗するルートを避けて、成功するルートを歩めば、成功する、のです。


これが、


歴史に学ぶと言うこと


です。



でー、たとえばゴルフを我流でやったら、一生かけても上手くならない、のです。

これが、歴史に学ばない人の末路なのです。


末路自分から選択しているのです。


たとえばゴルフクラブの持ち方が間違ってたら、どんなに練習しても上手くならない、のです。



歴史を学ぶは、日本史、世界史の年号、起こった出来事を覚えるではありません


そんなものは何の役にも立たないのです。


それは、あなたの誕生日、逝去日くらいどうでも良いのです。


もっと言うと、年号と出来事を覚える、に、歴史は無い、のです。


歴史は、その間のドラマのこと、なのです。



たとえば、「井上尚弥が令和7年9月にボクシングの銀メダリストに勝った」を覚えても意味無くて、意味はその試合の中にある、のです。


当たり前ですが、年号と出来事だけを暗記したボクサーなんて弱い、のです。


でも、これが、一般的な日本の男性なのです。



強いボクサーになればなるほど、井上尚弥の試合をスローモーションにして、何度も何度も見る、のです。


つまり、歴史に学ぶのです。


俺は強いんだとか自惚れて歴史に学ばない人は、喧嘩自慢やヤンキーのように、プロ相手には必ず負ける、のです。


で、そういう人は、そういう末路自分から選択しているのです。


たとえば、婚活難民になった女性は、ともかく自己流にやろうとして歴史に学ばない(だから上手く行かない)のです。


で、そういう人達は、そういう末路自分から選択しているのです。


歴史に学ばず、自分の思い込みを信じている、のです。



これで言うと、当人の中では、こういう風に美化されているのですが、現実はこう、なのです。



まだ何とかなるとか、自分を信じた、のです。


まだ(大丈夫)だと思ったらもう(駄目)だったのです。


で、自分が右になってから、自分が左の頃に付き合っていた男達と結婚したいと思っても無理なのです。


で、「そうなったのは人類史上ワタシが初めて」な訳なくて、先に失敗した人たちが山ほど居る、のです。


で、その人たちの歴史に学ばず、その人たちと同じことをしたから、同じ結果になった、のです。



中居正広の前に、松本人志。


松本人志の前に、渡部建。


渡部建の前に…なのです。


同じように、酒とか、タバコとか、ネット廃人とか、同じことすれば、同じことになる、のです。



歴史に学ぶって、彼らと同じことしない、も、歴史に学ぶ、なのです。


これと同じことしたら、こうなる、のです。



で、結婚してるなら旦那を無言の圧力で抹殺すれば良いにしても、独身で太って老いたら、今世の結婚は遥か彼方の蜃気楼になる、のです。



一方で、彼女の歴史に学んで、彼女と同じことすれば、彼女と同じようになる、のです。








孤高 孤低

孤高 孤低




ぼっち(一人)かどうかより、


孤低か 孤高か



そっちの方が重要。


群れてれば良いと言う話ではないし、さらに、こうなったら、孤なのです。











独りかどうかより、


孤高か 孤低か


なのです。








方法は全員違う

方法は全員違う



なのに皆が探すのは方法ばかり。


せめて「方法は全員違う」と言うことだけでもえて死んで欲しかった。


姑も酷いし、嫁も酷いし、夫も酷いし、親も酷いし、先生も酷いし、上司も酷いし、部下も酷いし、学生も酷い。


みんな間違ってる。


繰り返しますが「方法は全員違う」んだから自分と同じことさせるな、自分が正しいと思う方法が相手にも正しいと思うな、なのです。


また「これをすれば良い」みたいな方法を探すな、なのです。


何故かって、「方法は全員違う」から、なのです。





たとえば、「この方法で何でも美味しく」とか、そんな方法無い、のです。



日本料理的にはメチャクチャな方法でも、インド料理なら正しいとか、いくらでもある、のです。


たとえば、手が無くてノートをとらず、手も動かさずに早稲田大学に入学した人も居る、のです。



たったこれだけのことを例にしても、あなたや先生の言っていることは正しかったか、なのです。


この方法でって、正しかったか、なのです。



たとえば、赤字会社の社員が、自分達のやってる方法を部下に正しく教えたら、立派な赤字社員が出来る、のです。


なのに当人達は、自分達は正しいことをしていると思っている、のです。


戦時中の日本もそうでしたし、今もそう、なのです。