冬が極まり、春の気配が立ち始める日。立春を迎えた早朝の海は荒れ気味でうねりが高かった。
 雨は前日の午前中に上がり、再び訪れた寒波の影響で大気は澄み切っていた。

 竿を持つ手が寒さでかじかむ。
 竿をしゃくりながら、リールを巻き続けてもいつものように何の生体反応もない。
 日も昇りかけて、そろそろ諦めかけていたとき、突然としてその衝撃は訪れたのだ。


 ジクが着底して巻き始めたとき、その衝撃はすぐやってきた。ガツンと竿がいきなりひったくられた。少し怯んだが、思いっきり何回も合わせを入れる。
 竿から伝わる生命感溢れる久しぶりの重くて強い引き・・体内ではアドレナリンの大放出が始まっている。

 興奮状態で忘失忘我、無我夢中のやり取りの中、気がつくと波打ち際に魚の姿が見えていた。


 震える手、高鳴りを抑えられない心臓の鼓動を聞きながら、暴れる魚を夢中で抑え込み、ナイフで締める。
 周りを見渡す。遠くに人影が何人かいる。

 嬉しいくせに、何故か気恥ずかしい思いに捉われた私は写真も撮らず、何もなかったかのように魚をバッカンに入れ、湧き上がってくる笑みと、駆け出しそうになる足を必死に抑えながら、ゆっくりと浜を歩いて帰路についた。

 家に帰って測ると78センチの、もう少しでブリになる直前のメジロだった。


 久々の大型の青物、気合いを入れて早速、丁寧にかつ大胆に捌く。とても一度にひとりでは食べきれないので片身は味醂干しに。
 あとは刺身に。
 美味すぎる。



 一晩、醤油と味醂に漬け込んで、翌日の昼は漬け丼に。これまた美味い。



 その前日。節分の日の昼下がり、雨上がりの漁村をぼんやりと彷徨する。
 何となく春の気配が何処かに、幽かに潜んでいるのを感じる。



 心が景色に溶け込み、自然と一体となり不思議な至福感に包まれていく。


 前日の彷徨による、こうした穏やかなる心が魚を呼び寄せたのだろうか。
 そんなことはないだろう。ただ、運が良かっただけだ。


 夜は恵方巻き。
 スーパーで巻き寿司と、鰹を買って


 一緒に食べる。
 サラダ巻きのマヨネーズと、かつおの刺身がよく合う。




 締めはうどん。昆布と煮干しと鰹節で採った出汁に、天かすとちくわだけのシンプルなかけうどん。
 腹一杯で動けない。





 昨年2月の夜の公園でのかんたろう。寒くて冷たい、寂寥感溢れる夜の公園。
 帰ろうとしても、ずっとけなげについてくる。
 淋しすぎる。
 辛かっただろう。早く連れて帰りたかった。

 今思い出しても哀しくて胸が痛む。




 ひとり恵方巻きの巻き寿司を食べていると、かんたろうが、こそこそと覗き見る。




 かまってくれと訴え、甘えてくる。




 いつも一緒だ、かんたろう。




 寒いのでもう寝よう。



 おやすみ、かんたろう。




 今週はずっと悪天候が続き、海はウネリをともなった大荒れの時化模様だった。
 朝のジギングにも行けず、鈍った身体を雨の合間を縫っての海辺の散歩でお茶を濁す。



 雨上がりの澄んだ空気の中、圧倒的な存在感を訴える鮮やかな原色の青色に目を見張る。




 対照的に、ひっそりと隠れるように水辺に潜む、寂寥感に包まれた哀愁漂う小舟。

 今の、哀れな老いぼれた自分の姿が重なる・・・。




 淋しい湖畔を項垂れながらひたすらゆっくりと歩く。
 冷たい風、夥しい数の野鳥の羽ばたき、静寂の中、耳に突き刺さるような鳥たちの鳴き声。
 その自然の全てを全身で感じながら、一体となって冬の黄昏を満喫する。




 こんな寒い夜はお気に入りの、学生の頃から40年以上使い続けている中華鍋で、ありあわせの具材を使ってチャーハンを作る。



 簡単だが、素朴な味で結構美味い。食べていると懐かしいような緩い、暖かな雰囲気に包まれる。

 ふと子供たちの笑顔が思い浮かんで来て、胸が痛んだ。
 私の作るチャーハンは子供たちの大好物だったのだ。


 

 昨日は、県庁所在地へ出かける用事があり、そのついでに、まだ私に家庭があり勤め人だった頃時々利用していた、料亭風小料理屋のテイクアウトを予約した。
 なんとこの海辺の小さな町からだと車で片道2時間半かかる。

 そして、コロナ禍で外食が出来ないのでたまには贅沢して、うなぎ弁当と、本クエ弁当を頼んだ。



 一人ではとても食べきれないので何日かに分けて頂く。
 久しぶりの料亭らしい、華やかな料理を目でも愉しむ。


 

 天気はいいが外海はまだ荒れているので、今日は湾内の岸壁でワームを付けてちょい投げしてみた。



 こんな磯ベラが数匹しか釣れなかったが、少しでも当たりがあるのは楽しいものだ。




 相変わらずかんたろうの昼間の日課は、暖かな太陽の光に当たりながらの昼寝。気持ちよさそう・・・






 しかし目覚めると、得意のこんなポーズで見詰めてくる。




 夜中は相変わらず、2時を過ぎると目がパッチリ。
 そして私の頭元に来て、髪の毛を舐めたり、肉球で顔を突いたりして起こしてくる。
 起きるまで諦めない。おかげで睡眠不足が続いている。



 頼むからもう少し寝かしてくれと懇願すると、こんな顔をして嘲笑う。



 おやすみ、かんたろう。


 もうすこし寝よう。




 今週は寒さも幾分か緩み、早朝でも浜からジギングを続けていると、汗ばむくらいの日々が続いた。
 海面から日が昇り始めるときの荘厳な光景は、いつ眺めても感動する。


 それにしても今この浜には魚がいない。全く釣れない、当たりすらない。

 しかし、沖磯では今まさに寒グレの最盛期。近くの磯でも連日のように大漁の情報が流れている。
 また、石鯛もやっと水温が下がり始め、いつも通っている沖磯でも60㎝オーバーの記事をよく目にするようになった。




 しかし、弱気な私はこの時期には磯釣りに行きたくないのだ。寒くて暗い中での、殺気だった釣り人の群れ。
 変なテンションで騒ぐ中高年の男たちの集団。煙草の臭い。そしてあこちから漂ってくるオキアミと配合剤の強烈な異臭。まるで戦場に兵士を送り込むように黙々と作業する渡船・・・
 昔、まだ暖かで幸せな家庭に包まれていた頃、毎週のように磯に通っていた、一端のグレ釣り師だった私は、この光景、この匂いに心踊り、胸がときめいたものだが・・・
 今の私は、ひとりでは圧倒されそうなこの異様な雰囲気に呑まれ、心が項垂れてしまう。

 石鯛釣りは四月以降の予定だ。


 
 朝食後、近くの漁村を歩く。
 青空に輝く太陽の光と、海からの潮の香りを全身に浴び、陽気のあまり帰り道は上着を脱ぎ、Tシャツ一枚になった。




 昼食は「出前一丁」。
 先日のおでんの余り汁に漬けていた煮卵と、白菜、葱をトッピング。スープも少し味を変え、鶏がらスープの素を加え、麺は別の鍋で茹でてよく洗ってもう一度スープと煮込む。
 美味い。


 

 
 京都を舞台にした料理のドキュメンタリーテレビを観ていて、無性に「いづう」のさば寿司が食べたくなり、思わずネット注文。




 さすが、期待を裏切らない老舗の味。
 キリッと締まった、酢飯と〆さばの絶妙なコンビネーションを堪能する。





 昨日は近くのスーパーで、朝獲れカツオの一本買い。地元産で何と一匹750円。



 早速三枚に卸し、捌いて、刺身に。久しぶりに魚を丸々一匹捌く。
 なかなか、楽しいものだ。



 この海辺の小さな町に引っ越してくるまで、こんな真冬の時期に、美味しいカツオの刺身が常に食べられるとは思わなかった。






 去年の冬のストーカー時代の公園での、淋しそうに歩くかんたろう。
 あれから一年以上が経った。



 

 早く連れて行ってくれと目で訴える、真剣な表情のかんたろう。
 忘れもしない昨年の三月五日、やっと念願が叶ったのだ。



 そして、今。

 黒紐を相手に口をへの字にして必死で頑張る、無邪気なかんたろう。お腹が重たそう。




 何が面白いのか、水はわざわざ台所によじ登って水道から直接飲むようになった。




 夜中、2時を過ぎると眠れないのか私の枕元に来て、無言で、頭を舐めたり、手の肉球で顔を突いたりして起こそうとする。
 そして思わず目覚めて明かりを付けると、うっとりした表情で誘う、真夜中のかんたろうの姿が・・・





 パッチリと開いた目、キリッとした眼差し。 
 おやすみ、かんたろう。まだ夜中だ。
 もう少し寝よう。