土、日、祝日の混雑を避け、水曜日からまた早朝のジギングに通う。

 夜明け前。
 凛とした澄み切った静かな暗闇の気配の中、空が柔らかい慈愛を含んだ青味を帯びてくる。
 そして、しばらくすると、水平線の彼方から湧き上がるように橙色の曙光が登ってくる。

 太古の昔から永遠と繰り返されてきたであろう圧倒的なこの自然の営みを全身で感じるとき、私は不思議な恍惚感と、法悦とも言うべき感激を覚える。


 それにしても平日だというのに人が多い。
 夜明けとともに、人影がはっきり見え、せっかくの高揚感が興醒めしてしまう。

 無情にも、海はこの日もまた無言のままであった。
 海岸を後にするとき何故か、頭の中にローリングストーンズの「無情の世界」You Can't Always Get What You Wantのメロディが流れ、ミックジャガーの声が響いた。


 
 そして最後にリールを巻き上げたとき、PEラインがダマになったので両手で引っ張ると、何と4号のラインが簡単に切れてしまった。リーダーは度々変えても、PEは一年以上巻いたまま酷使し続けていた。さすがに替え時なのだろう。

 新しいPE4号を300m巻く。ついでにリールも油を差して、丁寧に磨く。
 もう10年以上あらゆる場面で酷使し続けて傷だらけになったが、何の不満もなく安心して使える、信頼の本当にタフな01ステラSW8000PG。




 この日、スーパーで地元産の朝獲れ鮮魚のコーナーでこんなものを見つけ、飛びついて買ってしまった。
 アカヘイジ(チカメキントキ)3匹で100円。カガミウオ(イトヒキアジ)2匹で180円。安価でびっくり。



 イトヒキアジは以前磯からのルアー釣で釣り上げたことがある。
 困ったような、怒ったような不思議な顔をしている。塩焼きにして非常に美味かった記憶がある。
 チカメキントキも、とても美味い魚と聞いたことがある。



 そこで、チカメキントキは大きいやつを一匹薄作りで刺身にしてみた。
 やはり脂も乗っていて、味も濃く、美味しかった。ご飯にとてもよく合う。



 この日、他に食べ物があったので残りは全て塩して、丸一日天日での干物に。



 ちょうど気候が良く、風通しも太陽も当たり上手に仕上がった。熱燗をちびちび、つまみに焼いて食べるのが、愉しみ。





 遊びモード全開の今日のかんたろう。今にも飛びかかってきそうな目付きをしている。



 標的は青い私のスリッパへと移った。


 足で挟む。



 手で捕まえ、足で小刻みに蹴る。



 噛み噛み・・



 遂には、全身を使ってのイライラ攻撃。



 飽きたので寝ます。


 おやすみ、かんたろう。
 来週の3月5日で、ここへ来て一緒に暮らすようになって、ちょうど一年になる。


 週初めの海は、ひどく時化ていた。

 荒海に逆巻く、白い波濤の怒号が、地鳴りのようにあたり一面に響き渡っていた。



 遠くの島々をも隠すほどの、高いうねりが次々と襲ってくる。



 南寄りの風が強く吹き、最高温度は20°Cを超えていた。
 汗ばむほどの陽気だが、この波では海岸に近づくことすらままならない。




 木曜日、やっと波が収まってきたので、夜明け前からこの浜へジギングに出かけた。
 しかし、またしても寒波到来で、早朝の最低温度がこの日、−3°C。

 寒くて冷たくて、手も足も指先がジンジンと痺れて痛い。そして吹き付ける冷風が眼に滲みて、涙が冷たく乾く。


 そしてこの日も何の生体反応も得られず、30分程で早々に退散した。



 魚が釣れないので、近くのスーパーで「本よこ(本鮪幼魚)トロ刺身用ブロック(新潟産)」を買う。
 どう見ても美味そうだったので贅沢してしまった。



 言葉では表現できない程に、旨い。山葵、醤油。そして日本酒の熱燗に、熱々ご飯。


 翌日は、売出のスーパーのお買い得、お寿司。


 サラダ巻きも。



 朝獲れの鰹と鰤の刺身パックも買って、昨日の残りのトロで贅沢三昧、海鮮寿司パーティ。




 ついでに先日釣った冷凍アオリイカも解凍して刺身に。



 これは「山葵醤油漬け」にした方が旨かった。




 贅沢しすぎたので、次の日は質素にフィッシュカツとご飯で済ます。カレー風味が何故か病みつきになる。



 その次の日は、冷凍餃子を炒める。やはりビールにご飯が進む。
  


 ふと、視線を感じる。
 ひとりで酒を飲み、餃子をつまみながら朦朧として悦に入っている姿を、じっとかんたろうが睨んでいたのだ。


 退屈そう。
 遊んで欲しいのか。




 昨年の3月5日朝。公園から初めてこの家に連れてきた日。 
 部屋の隅に隠れ、怯えて出てこようとしなかった。 




 現在の、真夜中のかんたろう。私の寝床を占領して動かない。
 夜中、頭もとにきて、髪の毛を舐めたり、小さい声で甘えたりして何度も起こされる。そして、澄ました表情で私の顔に鼻息をかけてきたりもする。

 思わず笑ってしまい、目が覚める。




 大雨や、強風の夜、底冷えに震える夜、そして雷鳴轟く夜・・そんな「嵐のような夜」は特に酷く怖がり、不安そうな顔で、弱々しい哀しい声で、何度も何度も起こしにくる。

 捨てられた、辛かったあの公園を思い出すのだろうか。

 昨年の冬の公園で、帰ろうとする私を執拗に追いかけてくる、かんたろう。


 おやすみ、かんたろう。
 もう大丈夫だ。
 何も怖くない。


 春は曙。
 この日も綺麗な、だるま朝日。
 燦として輝く旭光をいっぱいに浴びて、海は瞬く間に毒々しいオレンジ色に染まる。



 立春が過ぎて暦の上ではもう春だが、曙光を浴びてのジギングにはまだ寒さが堪える。強い冷気で手がかじかみ、足の指の先がじんじん痛む。

 少し離れた東の空には、細い有明の月。
 いとあはれなり。


 しかし、相変わらず海からは何の生命反応も伝わってこない。

 明け方の風物の変化は非常に早く、あっという間に青色の世界に包まれる。
 その景色のどこかに漂っている、甘い香りのような温もりが仄かな春の気配を感じさせる。




 今年は何故か、戻り鰹と初鰹の時期の境がないそうだ。
 それで年中途切れることなく鰹が出回っている。それも安価なので非常に助かる。
 この日も相変わらずスーパーで地元の鰹を買ってきて、刺身で頂く。美味い。
 小さいが脂が乗っていて甘みを感じる。まだ戻り鰹なんだろう。



 牛肉が安かったので、たまには野菜たっぷりのスタミナ焼き。身体の芯から温まる。





 最近かんたろうは、私との追いかけっこにはまっている。
 離れて、呼ぶと、尻尾を立ててぶるぶる振るわせながら、ひょこひょこと小走りに近づいてきて甘える。・・・それの繰り返し。



 撫でると転がり、まん丸い目で遊ぼうと誘ってくる。



 やめると、拗ねて爪を噛む。


 


 昨年の2月。
 公園でのみすぼらしいかんたろうの姿。いつも何かに怯えていた。
 寒くて、淋しくて、辛かっただろう。



 あれから一年が過ぎた。
 そして、この海辺の町で一緒に暮らすようになってもうすぐ一年。
 まるまると太った。



 そんなことはないと笑う。


 
 そして笑ったあとは、大あくび。


 
 もう何も怖くない。
 いつも一緒だ。

 

 明後日はこの小さな海辺の町で、初めてふたりで過ごすバレンタインデー。

 仕事と家族を失って一年半。ひっそりと暮らす私にとって、義理も何もない、チョコレートとは全く無縁な孤独のバレンタインデーだ。

 「ただ過ぎに過ぐるもの 帆かけたる舟。人の齢(よはひ) 春、夏、秋、冬。」(枕草子 第260段)


 おやすみ、かんたろう。
 本当の春は、もうすぐやってくる。