夜明けの海が哀しみの色に染まっている。

 

 5月11日の夜明け前、かんたろうが虹の橋を渡ってしまった。

 一緒に住み出してたった6年と2か月だった。当分立ち直ることができない。


 私にとっては肉親以上の存在だった。

 涙が止まらない。

 

 

 ゴールデンウィーク後半頃からカリカリの餌が食べられずペースト状の餌だけになり、多飲多尿の状態で5月8日かかりつけの病院を受診。口内炎の診断で抗生物質と痛み止めの注射を処方された。

 翌日夜ぐったりし嘔吐、食事ができなくなり、即再診し血液・尿検査の結果、糖尿病ケトアシドーシスの診断で、あっと言う間に急性増悪。翌日市内の大きな病院に入院後、半日で急死。 

 やせても、太ってもなく、糖尿病の気は全くなく、ぐったりしてからはたった1日少しで死亡。

 まだ信じられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 嘘だと言ってくれ、かんたろう。

 もう一度会いたい。

 


 笑いながら帰って来た。いつものように寝ているだけにしか見えない。

 胸の重苦しさに我慢できなくなる。



 残されたトンも心配。

 夜中にこっそりかんたろうの祭壇に登っている。

 




 どうにか私はまだ生きている。

 ありがとう、かんたろう。

   また会いたい。

 



 

 

 もう1年近くブログを更新していないことに気づく。
 振り返ってみるとこの一年間、毎日ほとんど同じことの繰り返しで、索漠さの中ただ悶々と虚無な日々を過ごしていた。
 まるで神々の怒りに触れたシーシュポスのように。
 
 しかし、今年も着々と春は近づいているようでここ数日は日々寒暖の差が激しく、天気も定まらない。
 ただ、晴れた日の夜明けの海は相変わらず美しい。
 水平線から顔を覗かせる煌々たる太陽。太古から繰り返しているだろう自然の営み。生成の無垢、永劫回帰・・そんな言葉が頭をよぎる。



 毎年決まったように春の訪れとともに嵐のような雨や風、そして海はうねりを伴った時化の状態が繰り返しやってくる。  



 この季節、魚も春の気配に誘き出され、たまに釣れてくれる。
 昨日の夜明け前、いきなり強烈に竿を引ったくっていった75センチのメジロ。よく暴れ、最後まで楽しませてくれた。



   早速捌いて刺身に。脂は乗っていないが、あっさりと口の中で旨みが広がり美味かった。



 そして 冬籠りの虫が這い出る日、啓蟄の今日。
 記念すべき日。
   かんたろうと一緒に暮らすようになってちょうど4年が経った。

 4年前の啓蟄の日の早朝、この公園でかんたろうを捕獲した。


 思い出すのか、今でも時々窓から外を眺める。


 離婚、そして家族と仕事を失ったことに端を発する私の中空の心をいくらかでも埋め戻してくれた、かんたろう。


 その愛くるしい仕草の数々が、一挙一動が、私の心に愉悦となって駆け巡る。
   孤独に押し潰されそうな夜も、涙を堪え酒に溺れそうな憂悶の日々も、常に傍に寄り添ってくれた。

 呼べば必ず嬉しそうに、弾みながら駆け寄ってくる。


 
そして、トン。
 保護猫の譲渡会で譲り受けて一年半。すっかり我が家の猫となった。



 トンはよく太った。

 そして、いつもかんたろうと一緒。





 ふたりの仲睦まじい姿はいつ見ても微笑ましい。ほのぼのとした時間がゆっくりと流れてゆく。同じことの繰り返し・・しかし、それが至福のひとときか。


 幸せか、淋しくないか、かんたろう、トン?

   ここに来てほんとうに良かったか。




 春の彼岸明けを間近に控え、夜明け前の海面を漂うひんやりとした風にも、どこか春の息吹を感じる。

 そしてふと、昨年末からブログを更新していなかったことに気づく。時だけがやはり私の前から足早に過ぎ去って行くようだ。


 夜が白み始め、水墨画の光景がみるみる油彩画の世界へと移行してゆく、夜明けの海のこの煌びやかな輝き。

 鮮やかな橙色の曙光に染まる、荘重な美しい朝日。



 自然が作り出す本物の美には本当に感動させられる。
 圧倒的なその美しさの前には、どんな芸術もただの模倣に思えてしまう。



 そして、春の気配を、力強い生命力を一面に漂わせながら、今日も日はまた昇る。

 その大気を浴びて、自然を全身に感じながらひたすら孤独に海と対峙する、それも愉悦のひとときだ。



 この季節、ほとんどの日が何も起こらない静かな海だが、春の足音が近づくにつれ、大きな魚が遊んでくれるときもある。



 自然の豊かさと恵みに感謝し、ひざまづいて祈りたくなる瞬間だ。


 そして、ついに桜が満開になった。




 私の嫌いな、自然が生命力に満ち溢れる、狂おしい陽気な春がまたやってきたのだ。

 自然の圧倒的な生命力に打ち負かされ、私を憂鬱な気分にさせる、春の息吹。

 その息吹は私にとってはまさしく怖しくて、狂おしい気配なのである。





 先日のこと、近所の波止からのふかせ釣りで偶然釣れた42㎝の立派なグレ。



 身は脂がノリノリ。



 捌いてみてびっくり。なんと、立派で美味しそうな白子が腹の中に充満していた。

 ここにも自然の、生命力の、春の息吹が・・。



 下処理して軽く湯掻いてポン酢でいただく。

 口の中で旨みがとろける。この世の幸せ。



 これは近くの「海の駅」で買った500グラム弱の赤むつ(ノドグロ)、なんと2,000円。安いので思わず即決で買ってしまった。



 刺身はまるで貝(小柱)のようなあっさりとした旨味の塊。


 

 塩焼きはもう言葉にできない美味しさ。甘い脂が、口中にとろける絶品だった。




 相変わらず、かんたろうとトンは仲が良い。



 いつも一緒にくっついている。



 トンがいなくなると、かんたろうは大きな声でトンを呼び、トンも応えて寄り添い、甘える。



 この情景は、本当に心が和むひとときだ。



 その仲良い仕草の一挙一動に、思わずひとり微笑んでしまう。

 

 この海辺の小さな町にふたりで来て、早くも3年が過ぎた。そしてトンが来てもうすぐ1年半になる。



 私を否応なしに襲う春の息吹による憂鬱さも、ふたりのその澄んだ瞳のまっすぐな輝きによって、今年はどうにか逃れることができそうだ。


 ありがとう、かんたろう、トン。

 そして、おやすみ、かんたろう。