昨年末から3回目の琴平詣でです。
金刀比羅宮785段の階段の昇降は老体にきついのですが、今回ばかりはそうも言っていられません。
前回訪問して魅せられた書院(江戸時代に金毘羅別当が執務を行い、また参詣に来た諸大名らをもてなした所)。
通常は「表書院」のみ公開され、円山応挙(1733~1795)の障壁画などを鑑賞できますが、
現在、期間限定(~令和5年6月11日)で「奥書院」も公開されています。
奥書院の上段の間。四方の壁を飾っているのは、修復が終わったばかりの伊藤若冲(1716~1800)作「花丸図」(百花図)。
加筆するのではなく、剥がれかかった塗料を貼りなおす緻密な修復が施され、経年による落ち着きそのままに蘇り、展示されています。(とてつもなく気を遣う修復作業に違いない)
ご覧の通り、「花丸図」(百花図)は「これが襖絵なの?!」と驚く、画面いっぱいに植物が整然と配置された障壁画です。
まるで植物図鑑のような奇抜な構図に加えて、一つ一つの植物が散り際の花や病葉までリアルに描かれ、その写実も見事です。
「物を美しく描く」というそれまでの絵画手法から、対象のありのままを描き、結果「人間の生涯にも通ずる絵画表現」への挑戦、なんだそうです。
けれど、時の人気画家・若冲に障壁画を依頼した側は、届いたこの絵に少々驚いたのではないかしら。
例えば(大層卑近な例えで申し訳ないけれど)、トイレやお風呂の四方全部に「美しい挿絵の50音図」とか「美しい挿絵の図鑑」が一面に貼られていたら・・・・落ち着きません。
一方で、時間の許す限りこの空間にいて良いと言われたら、一つ一つの画を微に入り細に入り観察/鑑賞し、好奇心が満たされ楽しいひとときに違いありません。それこそ牧野富太郎博士(現・朝ドラ主人公)なら、至福の時間を過ごされる事でしょう。
そんなことを思いながら次の間へと足を進めると、私の今回のお目当て「群蝶図」が長押の上に描かれています。
前回訪問の後にその存在を知ってから、是非見たいと思っていた作品です。
岸岱(がんたい:1782?~1865)の手になる、四百を超す蝶(蛾)が群れ飛ぶ図は、一つ一つの描写も、群れが流れるように飛ぶ様も、圧巻。江戸期に描かれた絵の中に、明治以降に発見された「ギフチョウ」が描き込まれているというのもワクワクのポイントです。
▼岐阜蝶を探せ!
(「金刀比羅宮 書院の美」2007 よりお借りしました。館内撮影禁止です。)
「群蝶図」の描かれた間とそれに続く間は、かつては若冲の手による杜若(かきつばた)、柳、山水画で装飾されていたらしいですが、天保15年(1844)に有栖川宮の参代として訪れた岸岱が自ら申し出て、新たに描いたといいます。
水辺の柳の大樹と白鷺、菖蒲と水鳥、これらが襖絵の王道といえるような、美しい構図・タッチで描かれており、落ち着く空間となっています。
ところで、書院にはこの他にも数々の貴重な絵画が飾られています。
上写真(今回の特別展サイトより)右下角の「葡萄栗鼠図」森寛斎(1814~1894) は、第1回内国絵画共進会(1882)で最高賞銀印を受賞し買い手(外国人)が付き、後に所望されて皇室と金刀比羅宮にのみ、同じ図柄の作品を制作したという逸話のあるもの。
その逸話なども、往時の金刀比羅宮の勢いを感じさせます。
近年の金刀比羅宮は、長い階段の印象が独り歩きしがちですが、円山応挙、伊藤若冲、岸岱をはじめとする素晴らしい文化財群の宝庫なのです。
当方、恥ずかしながら香川に住むまで知りませんでした。
さて、新参者にして香川大好き人間の当方としては、ついつい「これからの金刀比羅宮がどうあってほしいか」などと余計なことを考えてしまいます。
信仰に苦役は付きもの・・・とはいえ、高齢化が進む時代にあって、785段はきつ過ぎるような。
こんなに素晴らしい文化財があるのに、車いすの人は見ることが叶わないのかしら・・・
日枝神社(東京・赤坂)の長いエスカレーターや、飛鳥山公園(東京・北区)の「アスカルゴ」、江ノ島の「エスカー」などを思い出しながら、何とかならないかなあと思う一老人でした。