1か月半ぶり、お元気でしたか。 | tokyoarukiのブログ

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東京町歩きと読書の備忘録です。
東京の城東を中心に、歴史を学びながら歩いて・・・・・のはずが、香川県にお引越し。

突拍子もない海外ネタなど織り込みながら、高松を散策してまいります。

気まぐれかつ浅学ではありますが、
よろしくお付き合いください。

OMG(オーマイゴーッ)!

薄々気が付いてはいたけど、1か月半も放置していたとは。

得意の逃げ技、このまま消えるという手もあるが、、、

 

 

 

初心に帰ろう!このブログの主たる目的は「ボケ防止」だ。

日々歳を重ねている今こそ踏ん張らねばなるまい。

 

 

さて、何から始めよう。

1か月半、いやその前からネタ・写真はかなり貯まっている。

もはや「あれ、これどこの写真だった?」と首をかしげるものもある。

スマホの撮影場所特定機能は、ほんにありがたい。

 

あれこれ考えたが、1か月半前のネタと関連があって、

今年中に紹介しておいた方がきっとよい場所から。

 

題して「讃岐の家康公」

 

 

それは高松市内にある。

 

 

 

 

屋島神社

 

 

 

 

ここに徳川家康公が祀られている。讃岐の東照宮(※)である。

 

※ 遺言により「久能山東照宮」が創建、家康が祀られた。さらに神格化すべく、江戸幕府によって荘厳にして煌びやかな「日光東照宮」が造営される。また、三代将軍家光の勧めもあって、全国の諸大名領地に「東照宮」が造られた。

 

 

 

 

讃岐松平藩の初代藩主 松平頼重公は、水戸黄門(徳川光圀)の実兄、家康公の孫にあたる。

 

偉大なる祖父・家康を祀るべく、頼重公の命により社殿が香川郡宮脇村の本門寿院境内に建立され、8代藩主頼儀により「家康公二百年忌」(1815年)に屋島南麓のこの地に移遷、造営された。

 

明治初期に改名され、その後、藩祖・松平頼重公も合祀する形で、現在に至る。

 

 

 

 

 

本殿・拝殿は昭和40年代に焼失し再建されたものだが、神門は往時のまま。

 

 

神門に彫られた鳳凰、上り龍、下り龍は、日光東照宮「眠り猫」の彫刻家・左甚五郎の子孫と伝わる左利平忠能(ひだりりへいただやすの作。

 

 

 

 

 

 

 

屋島を背に高松市街を見下ろす社殿、幅の広い参詣の階段は、神「家康」の威光を感じさせる荘厳な空気に包まれている。

 

 

 

 

 

 

 

きつい階段を上り、振り返って望む景色は格別だが、足に自信がなければ、すぐ近くまで車で上がることもできる。

 

 

また、高松っこにはご紹介するまでもないが、麓には四国の歴史的建造物を一堂に集めた「四国村ミウゼアム」があり、緑の中で趣ある建造物を見学することができる。

 

 

屋島山頂から瀬戸内の絶景を楽しむ際には合わせて足を運びたい。