唐津から雲仙温泉へ向かう熱い旅(9)~雲仙焼の油滴天目盃~ | 凝り性 勝之進のこだわり日記

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★Livin' On A Prayer★Once upon a time Not so long ago・・・ 
 

旅も終盤です。翌朝、半水盧を出た後は
雲仙温泉街にある雲仙窯に行きました。

運よく、奥さんの石川ハミさんが

いらっしゃり、お話をしてくださいました。

雲仙窯の雲仙焼は、油滴天目を作ることに

成功したにも関わらず、東京・大阪等の

デパートでは販売せず、
 

ここ雲仙と長崎でしか見ることが

できないレアものなのです。

もっとも、最近では、ネット経由でも

買えますが、実物を見たい場合は、

雲仙まで来なくてはなりません。

では、果たして、どんな器が

あったのでしょうか。

それを書く前に、少しだけ、
歴史を振り返りましょう。

ーーー

7世紀のころ、島原半島には、
高僧・行基によって仏教が伝えられ、
小浜から雲仙にかけて多くの僧坊が
立ち並んでいたといいます。

僧の日用品として、雲仙で器が
焼かれたのが雲仙焼の始まりです。

しかし、その後、キリスト教の普及や
内乱が繰り広げられる中で、雲仙焼は

歴史に埋もれていきました。

1926年、繁田百鑿済
(はんだひゃっかんさい)さんが
雲仙にやってきて窯を作り、
雲仙焼は再スタートします。

その弟子が石川靖峰(せいほう)さんで、
1959年に倒焔式単窯を築窯し、
1961年に昭和天皇に雲仙焼を
献上する栄誉に浴しました。

靖峰さんの娘が、今回お相手してくださった
石川ハミさんで、旦那さんが石川照さんです。

1977年、石川夫妻は、雲仙に
新しい登り窯を作って作陶を続ける中、
1991年の普賢岳大噴火がありました。

そして、照さんは、大噴火によって
降り注いだ大量の火山灰を使った
釉薬により、遂に油滴天目茶碗を
作ることに成功したのです。

これで、南宗時代に焼かれた、
世界にたった3個の曜変天目茶碗に
一歩近づきました。

勝之進は、国宝である
①東京・静嘉堂文庫蔵の稲葉天目
②大阪・藤田美術館蔵の曜変天目
③京都・大徳寺の塔頭龍光院の曜変天目
のうち、②を見たことがあり、
 

その宇宙的な美しさに感銘を受けた
経験があり、このブログにも書いています。

 

ということで、油滴天目茶碗に
大いに興味がある勝之進が
買ってきたのがこちらのお猪口です。

一体、どうやって、こんな油滴の

デザインが出現するのでしょうか。

不思議です

全体はこちら。

外側にも油滴はちゃんと出ています。


説明書きにはこうあります。
 

「この焼き物の釉(うわぐすり)は
今回噴出した普賢岳の火山灰100%を
用いて焼き上げたものです。
この天然の釉薬は焼き方により
金銀虹色の色彩を呈します」

 

実際に雲仙窯の中に展示してあったのが

下の写真ですが、一番左が虹色の作品です。
いったいどうしてこんな色になるのか

とても不思議でした。

もう一つ展示してあった逸品。

比較のために藤田美術館のものも

並べてアップします。

かなり近づいていますね。

(他サイトからお借りしました)

 

個人的には、雲仙焼の油滴天目盃という

「お宝」を手に入れることができて、

とても満足いたしました。

 

   いつか曜変する時が来ることを願っています。。。勝之進

 

 (続く)

 

※2015年9月に書いたブログ