日本の九州沖に、壱岐という島があります。
中国の魏志倭人伝には、対馬の向こうに
「一支國(いきこく)」がある、との記述が
残っています。
島にしては平野部が多く、温暖な気候で
豊かな海産物がとれるため、多くの古代人が
移り住み、弥生時代には3000以上の家が
あったとされています。
また、日本から船で朝鮮方面へ向かう時には、
必ず立ち寄る「行き」の島、とも呼ばれており、
それが名前の由来という説もあります。
現在では「壱岐」の字が当てられていますが、
日本の島で、「一」ではなく「壱」の字を
使う島は壱岐だけであり、歴史を感じさせる
地名です。
ということで、今日は、壱岐の島についての
ものがたりです。
◆歴史を紐解いてみると、壱岐は、大陸から、
2度の侵攻を受けています。
1274年の元寇が思い浮かびますが、実は、
その250年以上も前の1019年3月にも
女真族(後に金を建国)に攻め込まれています。
この攻撃を「刀伊入寇(といにゅうこう)」
といいます。刀伊は「東夷(とうい)」の
音から当てられた字です。
約50隻の船から、3千人もの敵が
浜に上陸してきた時の、島民の恐怖と
驚きはいかばかりであったでしょうか。
当時、壱岐を治めていた藤原理忠(まさただ)は
嶋分寺の僧・常覚(じょうかく)と民衆と共に
勇ましく抗戦したものの、
島民約400人のうち、約150人が殺され
女性239人が拉致され、生き残った者は
わずか35人、という悲惨な記録が残っています。
僧・常覚は、この未曾有の危機を
九州本土に伝え、助けを求めるべく
必死の脱走を試み、海を渡って太宰府に
駆け込みました。
危急の知らせを受けて、立ち上がったのは
藤原隆家という公家でした。
隆家は、博多の守備についた兵達を鼓舞して、
勇敢に戦い、敵を撃退して退却させました。
このあたりは、葉室麟先生の「刀伊入寇」を
お読みください。
◆そんな戦闘を見守っていた岩があります。
それが猿岩です。こちらです。

玄武岩でできた岩の塔は、猿の横顔に
そっくりです。
そして、玄武岩が磨いた地下水が
壱岐の湧き水となり、豊潤な焼酎と
日本酒を作り出しました。
実は、壱岐は麦焼酎発祥の地とされ、
島内に下記の7つの焼酎蔵と
1つの日本酒蔵があり、全国的に
有名になっています。
天の川酒造
山の守酒造
玄海酒造
重家酒造
猿川酒造
壱岐の華
壱岐の蔵酒造
歴史的には、16世紀頃に大陸伝来の
蒸留技術が伝えられたのち、米麹を使った
麦焼酎の歴史が始まったとされています。
どこか特定の蔵が発祥ではなく、
7酒造とも伝統の製法を守り続け、
みなが元祖なのだそうです。
◆ちなみに、日本酒を作っているのは
このうちの重家酒造です。
1924年創業の老舗蔵元で、一度は、
日本酒造りを断念しましたが、
2018年に約28年ぶりに日本酒造りを
再開し、「横山五十」などを造っています。
名前の由来は、復活の立役者となった
杜氏の横山太三さんの名前から
取られています。
「五十」は、50%まで磨いた純米大吟醸
という意味で、獺祭23とかと同じような
意味です。
なんでも、山口県澄川酒造の東洋美人の
作り方を勉強して作ったのだそうです。
◆最後は、1本の壱岐焼酎の写真で
締めます。
「壱岐の華」の「海鴉(ウミガラス)」です。
お酒で、大麦の香ばしさと米麹の甘みが
調和し、バニラ香があります。
名前の「海鴉」は、日本のモンサンミッシェル
と言われている「小島神社」に住む
カラスのことで、酒好きで人間の恋路の邪魔しない
粋な鳥、とされているそうです。
「壱岐の島」の「粋な鳥」というのが
話の落ちですが、だじゃれを言ってないで
とりあえず幻の焼酎を、一口いただきましょう。
いい島ですね。
以上、イキな話でした。
ゆるきゃらは人面石君。。。勝之進




