短いし、長いもの。
人生は、何かをするには短いし、何もしないにしては長すぎる。
出典は不明だが、そんな名言を、高校の時に聞いたことがある。
意味不明だった。人生なんて、まだ死んでないから一度も経験してないし、わかるはずない。
しかし、人生を、『ヒマな時間』に置き換えて考えてみて、合点がいった。
ヒマな時間は、何かをするには短いし、何もしないにしては長すぎる。
例えば、待ち合わせ。
約束の時間まで、30分はある。もう服も着替えた、準備はオーケー。
このヒマな時間。何かしようと思うと、非常に短い。ちょっとやり残した仕事をしようにも中途半端に終わってしまいそう。
でも、30分ぼっとするのには長すぎる。スマホいじっても、なんか虚しい。
こういうとき、ぼくは前者、つまり、やり残した仕事など、やらなければならないと思ってることを少しでも進める方を選択するようにしている。
たしかに何かをするには短すぎる。でも、達成する必要なんてない、完成させる必要なんてない、と思う。
要は、虚しい時間ではなく、集中できる時間を過ごせるか。だと思う。どうだろう?
出会いと別れを繰り返〜し〜♪今日は〜別れた〜ふんふんふん〜♪
目的を同じくする者同士が、くっつく。
目的が変われば、離れる。
それは、当人たちにもどうにもできないのかもしれない。
じぶんの人生の目的が変わることを止めることはじぶんにもできないのだ。
そのように考えれば、出会いや別れに固執することはない。そのときに出会わなければならない人に出会い、そのときに離れなければならない人と離れる。
運命論を語りたいんじゃない。ぼくは無意識の作用とかを気にしてる。心理学の研究をしてる人に失礼だけど、心理学の観点から考えてる。
責任
どんな相手でも、自分の人生の失敗も、責任をとってくれない。
金、時間、気持ちを損しても、相手は責任をとらない。
じぶんの人生の責任はじぶんにしかとれない。
それは、クールな理性でもって、一時の感情に流されず、冷静な判断をしなくてはならない。
横か縦か、それが重要だ!
店員さんのことを下に見る世の中、いかがお過ごしですか?
お客様は神様です。
それは、店側が言うから良い。
客が神様ぶるのは良くない。
店員さんへの態度でその人が、人間一般をどのように見ているか判断できる。一応、日本では店員さんは弱い立場で、その弱い立場の人をどう見てるかで。
つまり、上・下で見てるか。左・右で見てるか。
ここのとこは、人間性にかかわる。
趣味や性格がいくらいっしょでも、いつかこの人間性の部分で、齟齬が生じるのは必至です。
個性的な人 大衆的な普通の人
修士のときだったか。だから、今から四年前くらい。ぼくは凡人だと気付いた。
いや、こう書くと、中二的だ。でも、本当に中二的なのだから、隠す必要はない。自分が特別な存在なんだと思いたかった。ヴェルタースオリジナルをおじいちゃんからもらいたかった。このCMを知ってる人も、若者にはいなくなってしまった…。
凡人だと、なぜ気付いてしまったかと言うと、世の中で売れてる商品に自分も(本当は)共感していると気付いたからだった。
それは、村上春樹だった。村上春樹の本は社会現象になっていた。ぼくは絶対に読まない、と頑なだった。読めば、自分も大衆の仲間入り!なんて思っていた。
食わず嫌いもダサいから、一冊読んでみた。ぼくの敬愛する先生の研究室に、村上春樹の本が一冊あり、それに刺激を受けたというのもあった。せ、先生も読むなら、おれも読むか。そんは上から目線的な発想だった。
あれ?朝が来た。
朝まで読んでいた。
ぼくは、みんなが面白いと思うものは、例外なく自分も面白いと思うんだ…と落胆した。特別な感性なんて、持ち合わせてないんだ。
しかしながら、同時になぜだか安心感もあった。もう特別感を演出しなくていい、そんな安心だったと記憶している。
同じ時代に生まれ、同じものを見たり聞いたり感じたりしているのだから、ぼくの中にも大衆性は必ずある。誰の中にもあるだろう。それが時代というものかもしれない。
本当の個性化は、そうやって大衆化し、普通の人になることから始まるのではないか。普通になろうとして、それでも周りとは何だか違う。そうやって残るのが真の個性。
個性は演出するものではない。そこのところ、はき違えてる人はまだいるんではないか。