ムスカと又八のブログ(仮) -7ページ目

男と女の壁

女性が美しくありたいと思うのと同様に、男だってかっこよくありたいと思っている。

しかしながら、男は難しい。かっこよくあるための努力なんかを表に出すと引かれるのだ。

例えば、ムダ毛処理をしに、エステに通ってるとか女子に言うとドン引きされるだろう。

もっと身近な例で言うと、毎日お風呂上がりには十分保湿をし、シワやシミ、たるみを防ぎ、眉毛だって鏡を見て整えている。なんて言うと、やはり女子は引く。男のくせに!的な何かがあるのだろう。

なぜか、男は努力を見せてはいけない世の中になっているのである。


女性というのは不可解だ。そのくせ、

肌がボコボコ〜、眉毛ボサボサ〜、腕がナヨナヨ〜、爪が何か汚れてる〜

とかおっしゃるのです…。


バカの壁で有名な養老孟司さんも、『男と女は分かり合えません。脳が違うんです。』というような趣旨の話をされていたと記憶している。まったくである。

理論的に?

論理的に考えて…

理論的に考えて…


は区別してほしい。

理論的に考えて…って言う時には、なんの理論なのかを説明してほしい。

なんの理論も使ってないのに、理論的にって言われると、ただ自分の言葉に箔をつけるためだけに、力のある言葉を使ってる人に見える。


男女関係でもイニシアチブ握らないと〜的なのと変わらない。

人生の基盤は友情と…

夏目漱石が看破したように、人生を金や女への愛を基盤にしてはならない。

これは昨年末に、ぼくの意図とは関係なく、起こってしまった体験からの教訓でもある。

体験は、知識なんかより100倍強烈で、否応なく考えさせられる。同じ轍を二度踏まぬよう、考えて考え抜いておかなければならない。今回の事象の意味を。


少なくとも異性間のことで本気になってはならない。金融商品と同じだ、リスクヘッジが必要なのだ。なぜなら、人の気持ちは確率的に変動するからである。それは、誰にも読めない。だから、リスクヘッジは必ず要る。誰のせいでもない。それが自然なのだ。天災と同じ。


とはいえ、人生に何か基盤は必要だ。夏目漱石は、それを友情と言った。ここではそのことには触れない。

ぼくは、その友情にプラスして、仕事を入れたい。人生の基盤として、仕事にいかに本気で取り組むかが挙げられると思う。本気、と言っても、肩肘張ってはならない。仕事の中に自分の世界を作れればいい。本気だとダメだ。

そういう意味で、仕事は究極的には自己満足である。そこに他者は介在しない。その意味で、不確定な要素が少ない。

とはいえ、他人のために仕事はある。誰にも求められていなければ仕事として存在しない。自分が身につけた知識、技術や能力を、少しでも他人のためになるよう、仲間のためになるように使う。そこには、社会にとってだけでなく、確固とした自分の幸せがあると思う。自分のことは自分で決められるから、裏切られない。


まだまだ考えられる。タフになってないと、世の中上手くは生きられないようだ。

今年の研究の方針について考えていること

経済学の研究では、もちろん、現実に役に立つことが求められる。

 

現実とリンクしていない、単なる数式の遊びでは存在意味がない。

 

俗にいう、机上の空論となってしまう。

 

 

とはいえ、である。

 

 

じぶんがしたいこと、イメージを現実化することは難しい。

 

 

基礎的な知識や技術がしっかりできていて、初めてできることである。

 

修行もしていない若造が、「おれがしたいことはこんなことじゃない!!」とかいう。

 

それに対する先達の一言は決まっている。

 

 

「お前にはまだはやい!!!!!」。

 

 

ぼくにもやりたいことがある。それは、ある現実の社会問題を理論化することだ。

 

非常にウケもいいし、やっていて楽しいと思う。

 

しかし、今年もその衝動を抑えたい。まだだ。

 

まだ修行の身。とにかく、技術を盤石にすること。応用的なことではなく、基礎的な素養が身につくように、自分のための論文を書くこと。

 

そうしておけば、いずれやりたいことを高いレベルで、それもあっという間に完成させることができる。それからでもぜんぜん遅くはない。まだ先は長いのだ。

 

人が道を究める過程はもう言語化されている。

 

 

守・破・離

 

 

自分がどこにいるのか、功を焦らず、周囲の意見を聞きながら正確に見極めていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

攻めると確実に失敗する奴