男と女の壁
女性が美しくありたいと思うのと同様に、男だってかっこよくありたいと思っている。
しかしながら、男は難しい。かっこよくあるための努力なんかを表に出すと引かれるのだ。
例えば、ムダ毛処理をしに、エステに通ってるとか女子に言うとドン引きされるだろう。
もっと身近な例で言うと、毎日お風呂上がりには十分保湿をし、シワやシミ、たるみを防ぎ、眉毛だって鏡を見て整えている。なんて言うと、やはり女子は引く。男のくせに!的な何かがあるのだろう。
なぜか、男は努力を見せてはいけない世の中になっているのである。
女性というのは不可解だ。そのくせ、
肌がボコボコ〜、眉毛ボサボサ〜、腕がナヨナヨ〜、爪が何か汚れてる〜
とかおっしゃるのです…。
バカの壁で有名な養老孟司さんも、『男と女は分かり合えません。脳が違うんです。』というような趣旨の話をされていたと記憶している。まったくである。
理論的に?
論理的に考えて…
理論的に考えて…
は区別してほしい。
理論的に考えて…って言う時には、なんの理論なのかを説明してほしい。
なんの理論も使ってないのに、理論的にって言われると、ただ自分の言葉に箔をつけるためだけに、力のある言葉を使ってる人に見える。
男女関係でもイニシアチブ握らないと〜的なのと変わらない。
人生の基盤は友情と…
夏目漱石が看破したように、人生を金や女への愛を基盤にしてはならない。
これは昨年末に、ぼくの意図とは関係なく、起こってしまった体験からの教訓でもある。
体験は、知識なんかより100倍強烈で、否応なく考えさせられる。同じ轍を二度踏まぬよう、考えて考え抜いておかなければならない。今回の事象の意味を。
少なくとも異性間のことで本気になってはならない。金融商品と同じだ、リスクヘッジが必要なのだ。なぜなら、人の気持ちは確率的に変動するからである。それは、誰にも読めない。だから、リスクヘッジは必ず要る。誰のせいでもない。それが自然なのだ。天災と同じ。
とはいえ、人生に何か基盤は必要だ。夏目漱石は、それを友情と言った。ここではそのことには触れない。
ぼくは、その友情にプラスして、仕事を入れたい。人生の基盤として、仕事にいかに本気で取り組むかが挙げられると思う。本気、と言っても、肩肘張ってはならない。仕事の中に自分の世界を作れればいい。本気だとダメだ。
そういう意味で、仕事は究極的には自己満足である。そこに他者は介在しない。その意味で、不確定な要素が少ない。
とはいえ、他人のために仕事はある。誰にも求められていなければ仕事として存在しない。自分が身につけた知識、技術や能力を、少しでも他人のためになるよう、仲間のためになるように使う。そこには、社会にとってだけでなく、確固とした自分の幸せがあると思う。自分のことは自分で決められるから、裏切られない。
まだまだ考えられる。タフになってないと、世の中上手くは生きられないようだ。
今年の研究の方針について考えていること
経済学の研究では、もちろん、現実に役に立つことが求められる。
現実とリンクしていない、単なる数式の遊びでは存在意味がない。
俗にいう、机上の空論となってしまう。
とはいえ、である。
じぶんがしたいこと、イメージを現実化することは難しい。
基礎的な知識や技術がしっかりできていて、初めてできることである。
修行もしていない若造が、「おれがしたいことはこんなことじゃない!!」とかいう。
それに対する先達の一言は決まっている。
「お前にはまだはやい!!!!!」。
ぼくにもやりたいことがある。それは、ある現実の社会問題を理論化することだ。
非常にウケもいいし、やっていて楽しいと思う。
しかし、今年もその衝動を抑えたい。まだだ。
まだ修行の身。とにかく、技術を盤石にすること。応用的なことではなく、基礎的な素養が身につくように、自分のための論文を書くこと。
そうしておけば、いずれやりたいことを高いレベルで、それもあっという間に完成させることができる。それからでもぜんぜん遅くはない。まだ先は長いのだ。
人が道を究める過程はもう言語化されている。
守・破・離
自分がどこにいるのか、功を焦らず、周囲の意見を聞きながら正確に見極めていきたい。