スタップ細胞 なぜこうなった?
スタップ細胞。
なぜこういう自体になったのか?
小保方さんの指導教員が悪い。
競争にさらされており、功を焦った。
などなど、いろんな妄想がひろがっている。
ぼくも今年から博士。研究するものとして、考えることがある。
これは、ぼくも悩んでいる、
創造とはなにか?
ということに関わっていると思っている。
ぼくらは、義務教育で、暗記を強いられてきた。そこに、自由な発想が入り込む余地はなかった。
創造をすることを自然とやめていった。
ところが、一生懸命勉強して、研究者になったところで、何かを生み出さなくてはならなくなる。
この世にないものを、先人の肩に乗って、作り出す。これが研究。
しかし、さきほども言ったように、どうすればいいのかわからない。
だから、今までやってきたように、闇雲に論文を読みまくる。
頭の中には、過去の大作•名作がたまりまくる。
それでどうするか?
それらを、切り貼りするしかないでしょ。
他人事ではないなと思った。
本当に何かを生み出すってのはどういうことなのか?なにをすればいいのか?どういうふうにコンセプトを立てればいいのか?どこまでが真似で、どこからが創造なのか?
そんなことを我がごととして考えなくてはならない。
はっきり言って、ぜんぜん意味がわからん。
だから、書いて書いて書きまくる。という経験を今(二年間~三年間)するしかないと思う。
失敗していい時期に、失敗しよう。
ネイチャーに乗せて失敗しないように…
だれがネイチャーほどの論文に載せられるわけないじゃこらっw!
あつかましいなぁ。
できる人は、周りにできることを求める。
それはけっこうあつかましく、いやである。
ぼくは自由にしたい。できる人は、自分のやり方が正しいと思っているから、それを押し付けようとする。
いやである。
遠回りだけど、自分で考えながら自由にやるべし。
できる人は、コミュ力がある。みんながみんなコミュ力があると思っていて、ないやつはトレーニングしてないとか言い出す。
ぼくなんか、根本的には人がきらいである。
家から出ず、日光も浴びない、なんてことは平気。というか、それを望んでいる。
そんなぼくでも、できるようになりたいとは思う。
そういうやつは他にもいっぱいいるはずさ。
まぁそういうやつらは、ぼくと同じく、表に出てこないから、いっしょう交わることもない。
交わりたくもないと思っているけど。
『だいたい』でいいんだ
ぼくはおそらく有名にならないだろう。
二十五年生きていれば、うすうす分かってくることもある。
理由は、ぼくはなんでも『だいたい』までしかできないからだ。
そこまで、本気になれないのだ。
結果を出して、テレビやら雑誌やらに出る人。かれらは『だいたい』では許さない人だろう。
目標を決めて、『がっつり』やれる人だ。
それはすばらしいことで、尊敬する。
あぁなりたいものだともちょっと思う。
しかし。
『だいたい』で満足するぼくには、ちょっと無理。もう満足しちゃってるから。それでいい。
そんなぼくにもできることがあるだろうと思う。
それは、『だいたい』でやっていく方法を教えるというもの。
極度のめんどくさがりのために。なにか参考になることができればと思っている。
なんそれ?ってすぐきく
4,5年前に、司馬遼太郎の
竜馬がいく
を呼んだ。
その中で、竜馬が船の勉強をするシーンがあった。周りは勉強できる系のやつら。対して竜馬は勉強の方はぜんぜんできなかったという。理解できないところはたくさんあったはず。
そのとき竜馬は、
え、なんで?
それなに?
わからんわからん、教えて~
と、周りをはばかることなく、聞きまわったらしい。
このシーンはとてもためになった。
真実を知るという大志の前では、わからないって言うことによって発生する恥なんてのは大したことない。
そう思えた。
おかげで、今では、なにそれ??とすぐ言えるようになっていると思う。
ときどき、相手に鼻で笑われることもあるけれど、本当に気にならなくなった。
偉人は、脳に住んでいて、いろいろと教えてくれる。脳を偉人だらけにしたい。
量量
量が足りないなぁ。
量量量量量量量量量。
質がうんぬん言う前に、量。
百戦ぐらいした後に、質について考えよう。
でも、そのときにはもう質なんて考える必要ないんだろう。
量をこなすなかで、勝手に質なんか身につくだろう。
質がうんぬんってのは、言い訳に最適なんだな。
質の話をするのは、かっこよく見える。高尚に見える。