子供が勉強しない…?
少なくとも言えるのは、
子供に勉強しなさいと言って、する確率は0%
ということ。
考えてみれば当たり前。販売員とかやったり、営業かやったりした人はわかると思う。
お客に、『商品買ってオーラ』を見抜かれたら終わり。逃げられる。
人はじぶんで、じぶんのことを決めたいのだ。
相手が言ったことを、やるわけがない。
いかに、『どっちでもいいっすよオーラ』が出せるか。これが、相手にものを買ってもらう前提だと思う。
勉強も同じ。
勉強?したいならすれば~。
くらいな感じじゃないと、やってはくれないだろう。
最後のところを相手に決めさせる。これが肝要だとおもう。
笑いながら寄り道がべすと
楽しく生きるためにむずかしいことを考えることはない。
ただ、笑い声をいつもより少し大きくしてみる。そんなことでいいような気がする。
あと、寄り道とか。寄り道は楽しく生きるためには必要だね。あんまりまっすぐ歩くのも、単調でおもしろくないな。
本当に楽しいことは脇の方にあるってタモリさんも言っていたしね。
映画字幕派?
昔は、日本語吹き替えを選んでいた。
字幕を読んでいると、映画の『画』それ自体に集中できないからだ。
でも、日本語吹き替えは、当然、登場人物の口の動きと、合っていない。
違和感ある。
それと、やっぱり何と言っても、登場人物の生の声だからこそ伝わる、切迫感とかリアルさが感じられる。
手頃さか、リアリティか。
選択ってのは、いつも良いとこと悪いとこがある。比較するのはめんどくさい。選択のために時間を割かなくてはならない。それに縛られる。選択なんてない方が自由なのかもしれない。
目標のメリットデメリット
目的をきめるのは、良いことだ!
とも言えない。
目的を達成しようとすると躍起になる。
考え方が狭くなるし、そのへんに転がってるおもしろいものに気づかないこともある。
かといって、目標のないのも良くない。
ぼく自身もあるけれど、目標のない人はけっこう多い。
それは意識的に、目標を設定していないわけではなくて、そもそも目標がない。
意欲や関心がないのだろう。話す気になれない。
さて、じゃあどうしたらいいの?
目標をあいまいに決めるしかない。
つまり、
方向性を決める。
やることを具体化してはダメだ。
ベクトルだけ。
笑教 開設
ニンゲンってのは、知性があるかわりに、悩みもかかえることになったと思います。
その悩みの防御策として、笑いがあるのだと思います。
知性の存在と、笑いの存在。
この二つは、ニコイチだと。
何かむかつくことがあったりする。
どんどん心のなかで、それは大きく膨らんでいく。心の『ガン』。
そうなる前に、何かムカつくことがあった時点で、口に出して、
フフッ
と笑ってみる。なんかそれだけで、そのムカついてる自分が、バカっぽく思えて怒りが静まることがある。
笑うってのは客観的になるということでしょうし、客観的になるってのはじぶんに執着しないことでしょう。
サトリでも開くかな…