嫌いか好きか
じぶんがあいてのことを嫌いだったら、
あいてもじぶんのことを同じだけ嫌いだよ。
そんなホントウのようなウソの話。
じぶんがあいてのことを嫌いで、
なのに、あいてはじぶんことが好きで。
そんな事例は、身の回りにあふれている。
あいてもじぶんのことを同じだけ嫌いだよ。
そんなホントウのようなウソの話。
じぶんがあいてのことを嫌いで、
なのに、あいてはじぶんことが好きで。
そんな事例は、身の回りにあふれている。
迷い
迷う。ちょっとしたことでも。
夜12時に酒の勢いで、眠りにつき、のどがからからになり、起きる。
時計を見ると、2時。
ちょっとした昼寝で目は覚めている。でも、あくびはでている。
起きてしまうべきか。はたまた、寝るよう努めるか。
このような迷いは、日常茶飯事で、それは、ぼくを疲労させる。
正しいことが世の中ではだいたい決まっているから、このようなことが起こる。
ぼくらが持つべき感情(優先席が空いててもよっぽどのことがないと座ってはいけない)、遂行すべき日常(仕事や歯磨き)は、社会が予め決めているように思う。
そもそも、そ れらがどのように大事なのか、などの議論はなされない。気づいたらそこにあって、人々をがんじがらめにする。監視役はいない。でも、みんなが監視役だ。つまり、自分で自分を監視しているともいえる。
世の中が決めた正しいことと、じぶんの衝動的な「やりたい」というキモチ。その間で、人は迷うんではないか。そう思う。
夜12時に酒の勢いで、眠りにつき、のどがからからになり、起きる。
時計を見ると、2時。
ちょっとした昼寝で目は覚めている。でも、あくびはでている。
起きてしまうべきか。はたまた、寝るよう努めるか。
このような迷いは、日常茶飯事で、それは、ぼくを疲労させる。
正しいことが世の中ではだいたい決まっているから、このようなことが起こる。
ぼくらが持つべき感情(優先席が空いててもよっぽどのことがないと座ってはいけない)、遂行すべき日常(仕事や歯磨き)は、社会が予め決めているように思う。
そもそも、そ れらがどのように大事なのか、などの議論はなされない。気づいたらそこにあって、人々をがんじがらめにする。監視役はいない。でも、みんなが監視役だ。つまり、自分で自分を監視しているともいえる。
世の中が決めた正しいことと、じぶんの衝動的な「やりたい」というキモチ。その間で、人は迷うんではないか。そう思う。
時間に名前をつけることで、勉強効率を上げる
日々勉強をしていると、時間だけが過ぎていって、結局振り返ったらなにもしてないんじゃないか?って思えるときがある。空白の時間。何時間そこにいたのか、そこで何を考えていたのかも思い出せない。明日何時に起きよう~とか、あいつにもっと言い返せばよかった~とか、なんか意味不明な想念を頭のなかで転がして、時間が過ぎている。
これは、二つの理由でよくないから、やめるべきだ。
一つ目の理由は、精神衛生上よろしくない。時間が過ぎているし、やっているんだろう。その実、ホントウはなんにもやってないことだって自分ではわかっている。その自己矛盾にはさまれる。これは、けっこう苦しい。
二つ目の理由は、効率の面である。なにもしていないように感じる、ではない。実際に、なにもしていない可能性が高い。ぼーっと机の前に座っているだけかもしれない。こんなことをするぐらいなら、寝転がってテレビを見るなり、大好きな小説でも見たほうがいい。
では、一体どうすれば、ある時間でなにかをすることができるのだろうか?
そのためには、目標を立てるほかないでしょう。
その今からすごす時間に、名前をつける作業といってもいい。
「この時間は、これをする時間」というふうに、名前をつける。
でなければ、時間は一直線、区切りがないから、漠然と過ぎ去ってしまう。
問題は、この時間に名前をつける作業さえ、だんだんめんどくさくなり、やらなくなってしまうということだ。
なにかを続けるには、必ずシステムが必要だ。人は忘れる。だから、高い意識なんてムダなのだ。
ぼくは、可視化が重要だと思う。人は忘れるからだ。書いて、目に見えるようにしておく必要がある。
そして、それを机の前に貼り付ける。その時間が終われば、それをはがす。一日きりの目標を書くのである。
どうせ、つけたり、はがしたりするなら、カンタンなほうがいい。だから、付箋がいいだろう。付箋に、「〇〇を終わらせる」「〇〇ページまで理解する」「〇〇を整理してしまう」などさらっと書く。これだけでも、時間に意味がでてくるのではないだろうか?
これは、二つの理由でよくないから、やめるべきだ。
一つ目の理由は、精神衛生上よろしくない。時間が過ぎているし、やっているんだろう。その実、ホントウはなんにもやってないことだって自分ではわかっている。その自己矛盾にはさまれる。これは、けっこう苦しい。
二つ目の理由は、効率の面である。なにもしていないように感じる、ではない。実際に、なにもしていない可能性が高い。ぼーっと机の前に座っているだけかもしれない。こんなことをするぐらいなら、寝転がってテレビを見るなり、大好きな小説でも見たほうがいい。
では、一体どうすれば、ある時間でなにかをすることができるのだろうか?
そのためには、目標を立てるほかないでしょう。
その今からすごす時間に、名前をつける作業といってもいい。
「この時間は、これをする時間」というふうに、名前をつける。
でなければ、時間は一直線、区切りがないから、漠然と過ぎ去ってしまう。
問題は、この時間に名前をつける作業さえ、だんだんめんどくさくなり、やらなくなってしまうということだ。
なにかを続けるには、必ずシステムが必要だ。人は忘れる。だから、高い意識なんてムダなのだ。
ぼくは、可視化が重要だと思う。人は忘れるからだ。書いて、目に見えるようにしておく必要がある。
そして、それを机の前に貼り付ける。その時間が終われば、それをはがす。一日きりの目標を書くのである。
どうせ、つけたり、はがしたりするなら、カンタンなほうがいい。だから、付箋がいいだろう。付箋に、「〇〇を終わらせる」「〇〇ページまで理解する」「〇〇を整理してしまう」などさらっと書く。これだけでも、時間に意味がでてくるのではないだろうか?
めんどくさい、というキモチ
たいがい、すべてめんどくさい。
ほんとはしたいことであっても、し始めると楽しいことであっても、めんどくさい。
つまり、やる前がめんどくさいのピークだ。
人の頭のなかをのぞいてみる。
「あ~あれやんなきゃな~」⇒「そのためには、まずこれを準備しなきゃ。。。」⇒「が~、めんどくせ~」
とまあ、頭んなかで、いろいろ想像しちゃうから、めんどくせ~って思うわけだ。
なにかをはじめるまえには準備がいる。大事なのは、この準備をいかにカンタンにするか。
あるいは、準備のプロセスを楽しめるかであろう。
もし、めんどくさいという感情に勝利できれば、行動の人になれる。
そうすれば、一日は行動で満たされる。だいたいにおいて、行動することから楽しみは生じる。
だから、一日が充実感でいっぱいになるんではないか?
そんなことを思っている。
ほんとはしたいことであっても、し始めると楽しいことであっても、めんどくさい。
つまり、やる前がめんどくさいのピークだ。
人の頭のなかをのぞいてみる。
「あ~あれやんなきゃな~」⇒「そのためには、まずこれを準備しなきゃ。。。」⇒「が~、めんどくせ~」
とまあ、頭んなかで、いろいろ想像しちゃうから、めんどくせ~って思うわけだ。
なにかをはじめるまえには準備がいる。大事なのは、この準備をいかにカンタンにするか。
あるいは、準備のプロセスを楽しめるかであろう。
もし、めんどくさいという感情に勝利できれば、行動の人になれる。
そうすれば、一日は行動で満たされる。だいたいにおいて、行動することから楽しみは生じる。
だから、一日が充実感でいっぱいになるんではないか?
そんなことを思っている。
気持ち悪い
ネット社会の気持ち悪さは、
監視の気持ち悪さ。
「お前は気づいていないだろうが、おれはお前のアカウント知ってるぜ」
みたいな、感じで、ちょくちょくチェックする。その監視の気持ち悪さ。
ネトネトしてる。ネットだけに。
そうか、ネットの気持ち悪さは、
人の心の、ヌメッと感。粘度の高さに由来しているのか。
監視したくもないし、監視されたくもない。
理由は、気持ち悪い、以上。
監視の気持ち悪さ。
「お前は気づいていないだろうが、おれはお前のアカウント知ってるぜ」
みたいな、感じで、ちょくちょくチェックする。その監視の気持ち悪さ。
ネトネトしてる。ネットだけに。
そうか、ネットの気持ち悪さは、
人の心の、ヌメッと感。粘度の高さに由来しているのか。
監視したくもないし、監視されたくもない。
理由は、気持ち悪い、以上。