ムスカと又八のブログ(仮) -14ページ目

アウトプットきらい

学校の勉強は基本的にインプット。
いや、基本的にではなくて、すべてインプット。創造的なことはない。定理とか公式、問題解法の新しい解釈は創造的だけど、教科書に載っているようなことを再びやるわけだし、それは創造ではない。だから、勉強はインプット。

学校の勉強が嫌いな人は、たいてい、このインプットに耐えられない。原因のひとつに、あくまでひとつなんだけれど、アウトプットが好きすぎるというのがある。とにかく、教えられるより、じぶんでなにかをしたい!というタイプの人だ。現代の「うらやましい資質」の上位にランクインしているだろう。youtuberが「好きなことをして生きていく」的なことを言っているが、そういうのに似ている。

こういうタイプの人は、勉強が苦手になりやすい。創造の自由を剥奪されることに耐えられないからだ。

どちらがいいとかではなくて、偏ることはよくない。真ん中がいい。なぜなら、どっちのタイプの人も必ず行き詰るからだ。固執せず、苦手なことにチャレンジして、バランスをとるべきだと思う。

「バランス??大人になれ、的なこと言ってんじゃねえ!」

とかぼくも思っていたから、こんなことを膨大なネットの言葉の海に放り投げても、なんの意味もないのだけれど。

ほら、あなたの右後ろのカーペットで、ダニがほこり食いましたよ!並みの微力感。

namennjanee!!

なめられたくない、の裏側をひっくり返すと、


「お前はおれより下だ」っていう、感情が。


なにが下なの?なにが上なの?


お金の量。背の高さ。偏差値。歳。


リストアップして気づく。


じぶんで考えたことじゃないことに。


時代、場所が変われば、そんな基準は変わる。


おまえは考えていない。社会に、思考を、押し付けられているだけだ。


印鑑か、なんかのように、ペタッと。

ジコチューって死語になったの?ってことは、世間にジコチューは認められたの?

ほかはすべてうまくいっている。


でも、なにか1つだけでもうまくいかないと、


全体として、「うまくいっていない」と思う。


うまくいかないことが2つになると、


なにもかもうまくいかない、もうだめだと思う。




少し待って、冷静に。




そんな、例外的にうまくいっていないのは、じぶんのせいじゃない。


その、もののせい。その、人のせい。



そういう考えをぼくらはしない。教育の賜物だ(皮肉)。


すべてじぶんが悪い、って思う。なわけねえ。


それは、逆にいうと、うまくいってれば、すべてじぶんのおかげって思うってこと。





いずれにせよ、自己中心的で、かかわりたくない。


ほめる

ほめる。その先に、なにがあるのか?


ほめたら、相手はそのとおりに動こうとする。


「勉強できるね」って言われたら、勉強できるキャラという呪いがかけられる。


「やさしいね」って言われたら、やさしいキャラという呪いがかけられる。


ほめる=呪い。


しかも、かけているほうも、かけられているほうも、なんだかうっとりしたキモチになっている。


人は人に呪いをかけたり、かけられたりするべきではない。


ぼくはそう思っている。


ほめることは、でも、大切だ。


相手を認めているっていう、メッセージになる。認め合うことで、信頼がうまれる。信頼のなかには、喜びがある。


ほめる。その先には、なにもあってはならない。

無意識な感情

前々まで、好きだった人が、嫌いになっていく瞬間がある。


急に、こころは、その人の、嫌なところだけを探しはじめる。


キモチの正当化である。


こんなところがある、あんなところがある。だから、キライ。


でも、ほんとうは、キライが先。そのあとに理由。


だからってどうこうってわけじゃない。


ぼくら人間は、なぜか知らないけれど、ほんとうのキモチに逆らえない。


ほんとうのキモチって、ぼくではない、誰かが勝手に決めているようだ。


にもかかわらず、心のすべてを決定する。この国の政治みたい。