熱量
熱量をもって、なにごともやること。
それで、楽しくなる。
社会なんて、ぼくらが生まれるまえからあるし、仕事だって、ぼくらが生まれるまえからあった。
そんなものが、楽しいわけない。そうだ、楽しいわけない。
けれど、そんな仕事だって、必要だから、淘汰されずに生き残っている。
だから、熱量をもってやってみる価値はある。
誰かに、なにかに役立てる。
自己犠牲じゃない、熱量さえあれば。
熱量は、意外に簡単で。態度・姿勢の問題で。
ハキハキと、大きな声で、楽しそうにやる。
できない?そうしたくないだけでしょう?
楽しそうにやると決めれば、楽しくできる。
それで、楽しくなる。
社会なんて、ぼくらが生まれるまえからあるし、仕事だって、ぼくらが生まれるまえからあった。
そんなものが、楽しいわけない。そうだ、楽しいわけない。
けれど、そんな仕事だって、必要だから、淘汰されずに生き残っている。
だから、熱量をもってやってみる価値はある。
誰かに、なにかに役立てる。
自己犠牲じゃない、熱量さえあれば。
熱量は、意外に簡単で。態度・姿勢の問題で。
ハキハキと、大きな声で、楽しそうにやる。
できない?そうしたくないだけでしょう?
楽しそうにやると決めれば、楽しくできる。
共同体ってやつは
みんな、複数の共同体に属している。家族、職場、友達。
各々がじぶんのことだけを考えて行動すれば、共同体は、すぐに機能しなくなる。
そのみんなへの心遣いは、給料にならないかもしれない。
誰も気づいてくれない かもしれない。
でも、そんなほんのすこしの奉仕が、共同体が気持ち良く機能していくのに必要だったりする。
それに、じぶんの密かな喜びにもなるもんだ。
各々がじぶんのことだけを考えて行動すれば、共同体は、すぐに機能しなくなる。
そのみんなへの心遣いは、給料にならないかもしれない。
誰も気づいてくれない かもしれない。
でも、そんなほんのすこしの奉仕が、共同体が気持ち良く機能していくのに必要だったりする。
それに、じぶんの密かな喜びにもなるもんだ。
尋ねる力をつけたほうがいい。それってコミュニケーション能力のこと。
尋ねるのって、簡単に見えて、意外に勇気と技術がいることだ。
「こんなこと聞いたら、怒られちゃうかな」
とか考えてしまう。
怒られたくなかったり、バカに見られたくなかったり。そんなプライドが邪魔するのか。
あとは、お願いができない人も多い。
これにも、勇気と技術がいる。
でも、お願いができないと、じぶんでしなきゃいけないことが増えるから、パンクする。
手伝ってほしいもんは、手伝ってと、カラリとした気持ちで言いたい。
尋ねるのも、お願いも、カラリとしてできれば、相手もなんとも思わない。
「こんなこと聞いたら、怒られちゃうかな」
とか考えてしまう。
怒られたくなかったり、バカに見られたくなかったり。そんなプライドが邪魔するのか。
あとは、お願いができない人も多い。
これにも、勇気と技術がいる。
でも、お願いができないと、じぶんでしなきゃいけないことが増えるから、パンクする。
手伝ってほしいもんは、手伝ってと、カラリとした気持ちで言いたい。
尋ねるのも、お願いも、カラリとしてできれば、相手もなんとも思わない。
ありのままの〜じゃいけない
タイトル通りなのだけど。
ありのまま、で生きられるほど、社会は甘くない。
社会は、人が構成してる。
だから、社会=他人。
他人に、「ありのまま」で接するなんて、失礼すぎる。
通用しない。
たしかに、「ありのままで」「オンリー1」という言葉は、すばらしい。
なぜか。甘やかしてるからだ。
「努力しなくてもいいよ」「にげちゃえにげちゃえ」
に聞こえる。
アナと雪の女王で、エルサは「ありのままで~」でと歌いながら、山にこもる。
引きこもりの隠喩だろう、明らかに。
社会、他人との交流を断つことによって、解決しようとする。
でも、ディズニーはちゃんと「それではいけません!」と言っている。
現に、エルサは最終的に山から下りて、他人に役立つように能力を使い、他人の中での自分の立ち位置を見つけることによって、本当の意味で「ありのまま」に生き始めている。
どんな生き方が良いか。この指標がなくなってしまった昨今。
すべてをじぶんのモノサシで選ぶことが求められている。
だからといって、安易に、「レリゴー」と歌ってはいけない。
じぶんの好きなものだから。じぶんがしたいから。じぶんが楽しいから。と言ってはいけない。
それをモノサシにすれば、エルサのように、また悩みが増えるだけだろう。
ありのまま、で生きられるほど、社会は甘くない。
社会は、人が構成してる。
だから、社会=他人。
他人に、「ありのまま」で接するなんて、失礼すぎる。
通用しない。
たしかに、「ありのままで」「オンリー1」という言葉は、すばらしい。
なぜか。甘やかしてるからだ。
「努力しなくてもいいよ」「にげちゃえにげちゃえ」
に聞こえる。
アナと雪の女王で、エルサは「ありのままで~」でと歌いながら、山にこもる。
引きこもりの隠喩だろう、明らかに。
社会、他人との交流を断つことによって、解決しようとする。
でも、ディズニーはちゃんと「それではいけません!」と言っている。
現に、エルサは最終的に山から下りて、他人に役立つように能力を使い、他人の中での自分の立ち位置を見つけることによって、本当の意味で「ありのまま」に生き始めている。
どんな生き方が良いか。この指標がなくなってしまった昨今。
すべてをじぶんのモノサシで選ぶことが求められている。
だからといって、安易に、「レリゴー」と歌ってはいけない。
じぶんの好きなものだから。じぶんがしたいから。じぶんが楽しいから。と言ってはいけない。
それをモノサシにすれば、エルサのように、また悩みが増えるだけだろう。
めんどくさいと言ったら負け〜
めんどくさいって感情が芽生えたのは、高校生のころだ。
めんどくさいって気持ちが、はっきり感じられて、とてもわずらわしかった。
なぜめんどくさいのかを考えてみてもわからず、ただただめんどくさかった。
めんどくさい、って感情は曲者で、堕落への道の玄関みたいなものだったんだろう。
すべてのことはめんどくさい。
困ったことに、「めんどくさい」の言葉に勝てる言葉なんてない。
不思議だ。めんどくさいは最強なのだ。
めんどくさいに勝てるのは、じぶんの気持ちでしかない。
めんどくさい、『けれど』、やろう。
この、『けれど』と言えるか。
したくないことであふれている。
いや、したいことでさえも、そのプロセスはしたくないことだ。
だから、世の中、したくないことしかないのだ、結局は。
めんどくさいのだ、すべて。
でも、前向けるか。そんだけでしょうね。
めんどくさいって気持ちが、はっきり感じられて、とてもわずらわしかった。
なぜめんどくさいのかを考えてみてもわからず、ただただめんどくさかった。
めんどくさい、って感情は曲者で、堕落への道の玄関みたいなものだったんだろう。
すべてのことはめんどくさい。
困ったことに、「めんどくさい」の言葉に勝てる言葉なんてない。
不思議だ。めんどくさいは最強なのだ。
めんどくさいに勝てるのは、じぶんの気持ちでしかない。
めんどくさい、『けれど』、やろう。
この、『けれど』と言えるか。
したくないことであふれている。
いや、したいことでさえも、そのプロセスはしたくないことだ。
だから、世の中、したくないことしかないのだ、結局は。
めんどくさいのだ、すべて。
でも、前向けるか。そんだけでしょうね。