前回のおさらい
 2018年12月に訪れた神崎寺での違和感の原因を探るべく、お寺と神社の屋根の違いに着目。屋根を部材、形状、大きさの三方向から見比べようとするも、部材と形状だけでは問題点をあぶり出せず、違和感の正体も未解明のままに… 以下、本編

3.大きさの違い

 実のところ、項番2までは割と早く辿り着いてました。しかし、「結論付けるには、どこか決定打に欠ける」との想いが拭いきれず、脳内アラートは鳴りっぱなし。

 で、ここから先が長かった。いろいろ考えました。項番1や2に行きつ戻りつ、あーでもない、こーでもない。項番2より後は、下手に蓄積がある分、考えがこんがらがって、脳ミソはオーバーヒート。

 爾来、寺社の屋根比較は、多少の例外や派生は措いて、シンプルに考えてみることに。もとより、サンプルを網羅的に集めて、完全無欠な結論を導き出すなんて、一介の門外漢にはハードルが高過ぎ。

 ときに、わたくしが住むのは、細長い丘の上に旧市街が広がる城下町。丘の上に点在する寺院を目にして




「周辺と比べると、やっぱりお寺の屋根は大きいね~」




「でも、どうして大きく見えるんだろうね~?」と考え続けること数か月。




 ん!?…、ピカリ! お寺の屋根は、大きい。ただそれだけのことじゃん!

 もう少し詳しく、かつ、正確を期して記すなら、
「お寺と神社では、お寺の方が屋根の外見上の総量が大きくなるケースが多い」
ということ。気付いてしまえば、あまりに呆気ない話し。

 これは、前回記事でお寺と神社の屋根を見比べると一目瞭然。大きさソノモノもさることながら、注目してほしいのは建物に占める屋根の割合。お寺の方が“屋根率”が高いのを実感して頂けるかと。

 寺社の“屋根率”を比較するには、助川鹿嶋神社と普門寺をサンプルに比較するのがよろし。

 助川鹿嶋神社


 普門寺
 助川鹿嶋神社では、屋根と一階部の丈の比率が1:1くらい。ところが、普門寺では2:1くらいで屋根が優勢。外見の比率は、撮影アングルに左右されるものの、実地で見た感じとして、寺社の屋根率には明確な差があります。

 この「お寺の屋根は大きいぞ」にフックが掛った途端、視界はパッと開き、思考は一気呵成に展開。

 はじめに「なぜ、お寺の屋根は高く・大きくなるのか?」との疑問が生じました。本問の解決は、当初の問題意識を別角度から検証するのに役立ちます。んで、これは即、解決。その解答は、きっと内陣

 画像はWikipediaから引用
の装飾にあり、で合ってるでしょう。
 上の様に壮大な室内空間を荘厳するには、屋根は自ずと高く、大きくせざるを得ません。「中身を大きくしたいから、外側を大きくする」という、至極シンプルな発想。

 台風の通り道に当たる日本において、大きい屋根で強風に対抗するには、“重たい瓦葺き”が向いてます。屋根を重くすると耐震性はトレードオフになる(※)ものの、台風と大地震の頻度を考えれば、お寺の屋根で瓦葺きがメジャーなのも得心が行くというもの。
※日本の木造古建築は、石場建てのため免震性が高い

 室内の温度調整の面からも、法要が多々営まれるお寺では、“大きい屋根+瓦葺き”をチョイスするのが合理的。銅板葺きだと、夏場はチンチンに熱く、冬場はキンキンに冷えてしまう。そして何より、瓦の断熱性の高さは、火災防止にGood!

 余談ながら、体裁は寺を装いつつ、実情は要塞として機能していた中世・近世にあっては、「対火矢」防御は重要な指標。刺さりやすく、熱伝導率が高い=放火されやすい銅板葺きよりも、瓦葺きの方がどれだけ心強いことか。

 項番1と2も効いてきますヨ。大きい屋根を瓦で葺けば、嵩が増えるので、重厚感を演出できます。また、大棟から軒先まで単調に仕上げれば=千鳥破風がなければ、冗長な屋根の出来上がり。

 その上、瓦葺き(≒寺)で生じる“縦ライン”は、視覚的な重みを増幅・誘導します。まるで「重力カタパルト」。

 普門寺を真正面から見上げたところ
これは全くの私見ですが、“重力カタパルト”の印象は教条的。おっかない生活指導の先生みたい。

 対して、銅板一文字葺き(≒神社)のテクスチャーは、

 静神社の屋根
重みを分散してくれる。こちらは差し詰め「重力ラジエーター」。これも全くの私見ですが、“重力ラジエーター”の印象は開放的。映画<男はつらいよ>の寅さんのような大らかさ。

 屋根の傾斜≒反りも要チェックポイント。お寺の屋根の平側=前後方向は、大棟から軒先まで、ほぼ同じ角度で傾斜しているので、重みがそのまま降って来る感じ。

 神社の屋根は、下るにつれて傾斜が緩くなり、助川鹿嶋神社、水戸東照宮、流造などにいたっては、軒先周辺は「ほとんど水平」くらいの緩傾斜に。この緩傾斜によって、地上から見える屋根の面積は小さく、すなわち、屋根の見た目が小さくなり、結果、視覚的な軽やかさが成立するっていう寸法。

 翻って、神社の“屋根率”が低い=屋根が小さいのは何故か? 今度は、反対側から検算。神社拝殿には、一般に、お寺の様な壮麗な内陣はありません。

 水戸東照宮拝殿の内部
また、拝殿とは別に本殿やご神体(山、樹木、岩など)があるため、「拝殿を大きくしたい」との歴史的・社会的要請が小さかったのだろうと推測します。

 お寺の様な「より大きく!」という発想が乏しいのが、神社拝殿の特徴。

 膨張志向が小さい神社拝殿の屋根を銅板で葺けば、それはコンパクトに纏まると言うもの。加えて、向拝上の千鳥破風がデザイン上のアクセントになって、視覚的重みは左右に振り分けられます。

 神社の温度管理と火災対策はどうでしょう?
 神道の霊祭(≒仏教の法要)は、遺族宅または墓前で執り行うのが一般的。となると、神事や祈願こそあれ、拝殿が無人の時間帯は長くなります。無人空間の温度管理の必要性たるや、推して知るべし。ただし、神前結婚式を受注する神社の拝殿、もしくは、付帯施設の空調はバッチリ。
 防火に関しては、境内の樹木と空間的隔たりが、強力なバッファとして機能してきた、と見ています。

 と、この様にみると神社には瓦葺きのニーズが少ない。皆さんの周りでも、瓦葺きの神社って少数派でしょう?

 これら諸々を踏まえ、寺社の屋根をどう感じるかは、人によりけり。神崎寺に赴いたわたくしの場合、即座に直感で

「重苦しい」と受け止めて『神崎寺問題』が生まれた、というカラクリ。仮に、神崎寺の屋根が銅板一文字葺きで、千鳥破風が設けられていたなら、全く異なる心象を抱いた事でしょう。

 論考、これにて一旦終了。ふぅ~

 ここまで論を進められたのは実にラッキー。お寺を遠望しながら、考えがグルグル巡ったのは、ひとえに地元の地形のお陰。

 遠望材料に神社を選ぼうとすると、鎮守の森に視界が阻まれてアウト。実際、近所の神社は、丘の上にありながら、境内の木々に隠れて遠くからは見えません。

 また、都会には数多くの寺社があるものの、地形が平坦な上、建物が林立してるから見通しが効かず痛し痒し。「痒いところに手が届く」、そんな地域に奇しくも自分が居たことにちょっとビックリ。

 何はともあれ、ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。
m(- -)m

 と、まとめてはみたものの、1)屋根率が高い、2)傾斜が一定、3)千鳥破風がない、と三つのプライベートNG要素が揃う

常磐神社には萌え萌え。なんでそうなるのん? 我がことながら、ぐぬぬっ。

 想像しますに、神崎寺問題は「寺 vs 神社」という単純な二項対立では解けない、ということ…。えーい、ままよ!

P.S.: 書き終えてから、論考がカブるコンテンツがないか再確認したところ、「日本建築の底流」というサイトを発見。同サイトの「社寺建築にみる建築観」のコーナーが秀逸で、社寺建築の全体像がコンパクトにまとまっています。
 正直申し上げて、カブりまくり。なんで今になって見つかるかなぁ~。考えあぐねている時は辿りつけないのに、一苦労した後だと呆気なく見つかる。これってアルアルですね。
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