ごはんですよ!は、桃にですよ!
桃の苗を掘っていると・・・
白いたまご。

キツネノエフデの幼菌でしょうか。
雨上がりになると、キノコがニョキニョキ生えていました。
今日も、桃苗8本収穫。
木のチップを苗に大盛りサービスしました。
炭素循環農法HPより引用
1. 施肥?(できないことはやらない)
白いたまご。

キツネノエフデの幼菌でしょうか。
雨上がりになると、キノコがニョキニョキ生えていました。
今日も、桃苗8本収穫。
木のチップを苗に大盛りサービスしました。
炭素循環農法HPより引用
1. 施肥?(できないことはやらない)
人の食物を得るために作物(植物)を育てます。
では、植物の食物(養分)を得るためには何を育てたら良いのでしょう。
食物連鎖(食物網)から考えて植物の食物は微生物です。
微生物は動植物の祖先ですから食物=祖先。
食物連鎖とは祖先を喰うことです(^-^)。
但し、食物連鎖の最初と最後の輪はつながり循環しますから、常に進化の頂点を食べて続けてきた微生物だけは、地球からヒトまで(笑)何でも食べられます(腐食連鎖)。
でも、動物(従属栄養生物)はそうはいきません(生食連鎖)。
たとえ独立栄養生物の植物でも食べられるものが決まっています。
食べられるのは自分より進化上の下位で、全体としては共食いや自分より進化の上位を食べることは許されません。
しかし、例外として決まった相手だけは食べられる場合があります。
腐食連鎖は下位者が上位者の死骸や排泄物等を食べる分解サイクルですが、活きの悪い奴は生きている内に食べても良いことになっています(笑)。
個体単位での免疫機能と同現象。
但し、害虫、病原菌などと悪者扱いされます。
微生物が植物の食物で、食物連鎖が成り立つにためには、植物が自前で調達できる以外の必須養分を微生物は最適のバランスで全て持っている筈(養分固定、可吸化能力を含め)。
植物は全て微生物と共生関係にあり、植物の食物を得るためには微生物を育てれば良いのです。
その、微生物の食物(餌)は地球そのもの(無機養分)や、植物が大気中から捉えた炭素(有機物)。
地球型の生き物は炭素系生命体と呼ばれています。
有機物: 有機化合物。構造の基本骨格に炭素原子を持つ化合物の総称。アミノ酸の核も炭素。
炭素骨格は長さや分岐の多様性が無制限であり、窒素、酸素、硫黄、燐などが結合する官能基も多様。その多様性が生物を構成する最大要素。
どの段階でも肥料などというものは出て来ません。
肥という概念は捨てます。
植物は微生物が無機化した養分も利用し進化しましたから、化学肥料や堆肥化により無機化した肥でも使えます(植物はアミノ酸を利用できる)。
しかし、作物を取り巻く環境条件は刻々と変化し、人為的な施肥によりこの変化に対応し、土壌中の養分バランスを保つことは現在の技術では殆ど不可能。
成分だけではなく、バランスを食べさせなければならず、できないことはやらないに限ります。
乙事主 (おっことぬし)
今日も、ももの苗を抜くためにもも園に行ってみると、
木のチップをつめた溝を、イノシシさんが掘り起こしてくれていました。
すごい馬力(猪力?)にビックリ!!
土壌改良を手助けしてくれました。
今日の収穫は、桃の苗7本(^^)

炭素循環農法HPより引用
消えるのは当たり前(モノカルチャー化)
木のチップをつめた溝を、イノシシさんが掘り起こしてくれていました。
すごい馬力(猪力?)にビックリ!!
土壌改良を手助けしてくれました。
今日の収穫は、桃の苗7本(^^)

炭素循環農法HPより引用
消えるのは当たり前(モノカルチャー化)
邪魔者は自ら消えます。
害虫が消えれば、益虫も同時に消えます。
地上部での役目(浄化作用)がなくなれば、消えるのは当たり前。
不思議でもなければ、何の不都合も生じません。
役目(浄化作用):
意識、物質両世界とも、“いのち”の作用の結果、不要なものが出来て必ず汚れる。
そのため、自浄装置(免疫機能)が備わっている。
生物界では害虫・病害菌・雑草がそれに相当する。
何の不都合も:
何処(地上、地下)にも、悪者(害虫・病原菌)も正義の味方(益虫・有用菌)も居ない。
むろんスーパーヒーローなど居るわけない。
特別な存在や対立したものはなく、全てが支え補い合っている。
特定(対立や協力)の関係に見える現象や、特別の働きをする者(物)だけを、別にしても意味はない。
それら全ては、人の「脳作業」の結果。
過去の「農」が作り出した幻影。
これでは消えてくれない
イノシシは餌場の臭い(腐敗臭)でやってくる。
これなら耕起にトラクターは不用?(笑)。
土を掘り起こし酸素を入れて、無償で土壌改良の手助けをしてくれる益獣である。
作物を食べるのは行きがけの駄賃、目的はミミズなどの虫(蛋白源)。
一見、無関係と思えるスズメやカラス、モグラやネズミ、イノシシ、トンボやツバメさえも消えてしまいます。
原理は簡単。
病害虫、害鳥・獣、雑草などを含め生息に適さない(餌のない)清浄な環境になるだけのこと。
ところが、どんなに清浄化しても、大量の土壌微生物に支えられているため「水清くして不魚住」にはなりません。
地上は地下の反映。
頂点(作物)は地下の繁栄を一身に集め、“いのち”を表現します。
清浄な環境:
■病原菌: 腐敗分解できる作物がない。
■畑の雑草: 厄介な雑草は、腐敗のない団粒化した、柔らかい土は適さない。
■水田の雑草: 腐敗が消え、土壌中の酸素量が増えると種子が発芽できない(無酸素状態で発芽)。
■害虫: 腐敗しやすい作物でなければ食べられない。
■スズメやカラス: 常に腐敗がある人里に適応した食性(腐敗味を好む)を持つ。スズメは腐敗のない水田の米は食べない。
■モグラ: 腐敗がないため餌のミミズがいない。
■イノシシ: ミミズなどの虫がいる「餌場の臭い=腐敗臭」がしないと、圃場に入っても素通りする。
■シカ: 清浄度とは無関係?。生息地の荒廃や過繁殖による餌不足。最も餌の少ない早春、新芽を食べに来る(里から芽吹く)オオカミの代わりにヒトが食べてやる必要がある。
■サル: ??。サルに聞け。ヒトと近縁のため捕食厳禁。共食い病=プリオンの異常による海綿状脳症(狂牛病BSE)の危険性あり。
農耕地での多様化は、地上ではなく地下(土壌微生物)で起きます。
見かけ(地上)の多様性は失われ最終的に、地上部は作物だけ。
自然状態とは正反対の「単一栽培化=モノカルチャー化」です。
目的の作物以外の生き物は一切不要。邪魔です。
規模の大小に関わらず水田にはイネだけ、畑は野菜だけ、果樹園には果樹だけで良いのです。
たとえ他品目混植でも同じこと、家庭菜園以外さしたる意味はありませんが作物であることに変わりありません(後述)。
そして、自然の仕組み上起きるモノカルチャー化と無防除化は一つの現象の二つの面。
同義です。
どちらか一方ということはあり得ず両者とも「無用なものは消える」という極めて単純明快な仕組みです。
無用なものは消える:
腐敗が消えた時、作物とそれを守る微生物、僅かな種類の雑草、極少数の虫を残し、仕事がなくなった他の全ての生き物の中に、いわゆる害虫、病原菌、雑草と言われるものも含まれる。
敵対する対象が消え防除も無用、防除という概念自体が消える。
短絡すれば「腐敗が消えた時、防除という概念自体が消える」となる。
木の根っこ。
今日の収穫は、桃の苗5本(^^)
2年前に植えた桃の苗は、
かなり根っこが張っていて、
ブチブチ根っこが切れました。
掘っていると、ハッピー(犬)も穴掘りに参加。
本来、植え替えは11月以降落葉後が適期だそうです。
根っこは、鋏で切断し切り口をきれいにした方が新根が発生しやすいようです。
移植後は、木のチップ大盛りマルチにしてみます。


炭素循環農法HPより引用
15. 自然?(人の都合が最優先 ^-^)
2年前に植えた桃の苗は、
かなり根っこが張っていて、
ブチブチ根っこが切れました。
掘っていると、ハッピー(犬)も穴掘りに参加。
本来、植え替えは11月以降落葉後が適期だそうです。
根っこは、鋏で切断し切り口をきれいにした方が新根が発生しやすいようです。
移植後は、木のチップ大盛りマルチにしてみます。


炭素循環農法HPより引用
15. 自然?(人の都合が最優先 ^-^)
自然・有機農法と言えども、農業は自然を人の都合の良い環境に変え、食物を得る産業ですから自然のままというわけにはいきません。
しかし、自然の仕組みを無視しすると、自然の摂理に従って虫や菌に作物を食われます。
虫や菌のお世話になったら何処かおかしいということ。
虫に食わせず農薬やストチュウかけて、虫の餌を横取りしたって一向に構いません。
ただしツケは必ず回って来るということです。
土壌改良しかしない炭素循環農法は、農法というより自然の仕組みそのものです。
基本さえ逸脱しなければ何をやっても構いません。
それでも虫や菌に食われることはありません。
しかし、何かを足したり(施肥)、引いたり(防除、残滓や緑肥、雑草の持ち出し)することではありません。
その場にあるものを滞りなく循環させるために人が手を加え、有害・無用なものから無害・有用なものへの転換です。
在るべき物が、在るべき場所に、在るのが自然。
その場に不要なものなど何一つありません。
そこに在るのは命を生かすために必要だから在るのです。
作物より寿命の短い微生物は十分な餌(炭素)がある限り、作物の有無に関わらず常に養分を循環させていています。
これが持続型農業の基本中の基本であり、供給体制が何時でも整っているわけです。
作物毎に各種養分要求量や要求度が違っても、どのような植物でも例外なく、微生物が作り出す養分バランスの範囲内で進化して来たのです。
過去の自然農法のように、自然に妥協し、自然の真似事をすることが自然農法ではありません。
また自然から逃げ回ることでもありません。
一見、不自然なように見えても、自然の仕組みを最大限に活用するのが自然農法。
高度な文明を持った現代人がサルや未開人の真似をすることの方が不自然。
今、在る物や可能性(遺伝子組み換えなど)を無闇に否定することの方が余程「反自然」。というものです。
儲からなければ自然農法ではない?
ハクサイの苗を植えたらいつのまにか消えていました(´_`。)
虫(コオロギ?)が食べたのかな。
あっという間に、引かれてしまいました・・・
そんな時は、空でも眺めて歌っています。

炭素循環農法HPより引用
引かれるものは何もない(儲からなければ自然農法ではない)
虫(コオロギ?)が食べたのかな。
あっという間に、引かれてしまいました・・・
そんな時は、空でも眺めて歌っています。

炭素循環農法HPより引用
引かれるものは何もない(儲からなければ自然農法ではない)
自然農法では、微生物の力を借り積極的に引き算をします。
しかし、システムに逆らったり、余計なものを加えたりしない限り、
自然は足しこそすれ引くことはありません。
自然は生かすためのシステムなのですから。
生命現象では、物が低濃度側(生息環境)から高濃度側(生物)へという
流れ方(摂食・吸収・固定など)をします(収斂作用)。
土壌微生物や植物の生息・生育環境中の養分濃度の方が低くて当たり前。
自然なのです。
無施肥で、微生物のエネルギー源として炭素資材を多少使っても、
投入窒素量は作物の窒素吸収量の10%前後でしかありません。
ところが、高→低という物(死物)の流れしか見ない慣行的殺し農法では、
循環・収斂作用は考えません。
作物の窒素吸収量より土壌環境中の方を高くし、
吸収量の130%前後(平均的施肥量)にもなっています。
硝酸(窒素)による環境汚染から、これを100%にまで減らそうとの指導が行われてはいますが・・・。
その結果、高硝酸塩・腐敗風味農産物、環境汚染・破壊など、
何らかの犠牲(マイナス要素)を強いられます。
要するに、生物の生存に必要なもの、簡潔に言えば命との引き替えです。
殺しの代償として命をもって償っているわけです。
100%に減らしたからといって、余計な物を足していることには変わりなく、
やはり引かれます。
環境汚染・破壊は論外としても、従来の全ての農法と比較して生産性を犠牲にしたり、
経費・労力を余計に要したり、防除が必要(虫や菌による処分の対象)であれば引かれている証拠です。
宇宙(自然界)を構成する個々のものが、全体としては常にプラス方向に進化発展してきたことをみれば明らかなように、生物界全体(その社会も含め)の生産性収支は、自然の理に沿う限りプラスになるように出来ています。
もし、マイナスになるようであれば、何処かに矛盾(反自然)があり一見、
自然に見えても再検討が必要です。
早い話が儲からなければ自然農法ではない。
真の有機農法は楽して儲かるもの、一般で有機農法と呼ばれ、
各国政府が奨励しているのは“まがいもの”です。
もも苗、お引っ越し。
今年で返すことになった大きい桃園。
若い苗をブドウのハウスのある畑に移植しています。
移植したら、木のチップを周りに引き詰めようと思います。
青空とセイタカアワダチソウ。

炭素循環農法HPより引用
自然農法は引き算
若い苗をブドウのハウスのある畑に移植しています。
移植したら、木のチップを周りに引き詰めようと思います。
青空とセイタカアワダチソウ。

炭素循環農法HPより引用
自然農法は引き算
肥効成分を何らかのかたちで土に加える「足し算農法」が慣行的・施肥農法。
反対に汚染源である肥効成分を引くのが自然農法です。
「引き算農法」は誰しもが日常経験し、よく知っている自然現象の応用。
物は濃い方から薄い方へ(生命現象は逆)、高い方から低い方へ流れるという原理ゆえに、生育環境は引き算でなければならないのです。
あくまでも原理の応用であり、清貧に甘んじようとする過去の精神的?自然農法(断食農法)と混同してはいけません。
積極的に養分的・真空状態を作り吸引するのです。
施肥農法のように人が足せば自然が引きます。
引かれれば更に足すことになり、生産性を上げようと足し過ぎるから溢れ出すのです。
そして結果的には、施肥や防除に伴う環境汚染や自然破壊などの現象として引かれるため、真の生産性も落ちます。
虫の餌をいくら穫ってみても、所詮それは虫の餌。
人の食物を得たことにはなりません。
逆に人が引けば自然が足します。
引けば引くほど、自然は足してきますから生産性は上がります。
要は、生き物的には密、物的には空(から)の状態をどのように作るかです。
引き算農法と言えども、何らかのかたちで資材(最低限でも雑草や作物の根部などの有機物)が入ります。
これは、引くために必要なエネルギーであり、足しているのではありません。
高炭素資材は微生物を養い、遊離窒素や燐を固定。
それらを土から引きます。
米糠や木酢液(微生物の微量養分)、ミネラル類などは、その微生物を活性化するためのものです。
微生物相そのものが貧弱(腐敗菌優勢)であれば微生物資材なども必要で、EM菌はドブ掃除専門。
引くものは腐敗生成物です(それ以外には役に立たない)。
エネルギー源以外は目的を果たせば、それ以上使用する意味はありません。
また、必要なものであっても何を引くためなのか明確にせず、むやみに使ってはなりません。
当然のことながら、使い方や時期、量は、足し算農法と違います。
糠・粕類などの肥効を発現しやすい物は特に要注意。
調味料程度の使い方で十分です。
同じ資材でも量やタイミング次第で、足し算となりマイナスの結果が現れます。
台風19号、九州上陸!
雨が強くなってきました。
家の雨漏りが心配です。
先日、畑に行く途中で亀を轢きそうになりました。
危ないので、ちょっと移動を手伝いました(^^)

炭素循環農法HPより引用
8. 天災?(自然の意思と人の思いの不一致)
家の雨漏りが心配です。
先日、畑に行く途中で亀を轢きそうになりました。
危ないので、ちょっと移動を手伝いました(^^)

炭素循環農法HPより引用
8. 天災?(自然の意思と人の思いの不一致)
天災も害虫(菌)同様、幻です。
人が自然を無視した結果です。
例えば雹ですが、たまたま降るわけではありません。
雹害に合わないようにするには土地を裸にしないことです。
つまり森林を農地にしないことです。
しかし既に多くの森林を切り開き農地にしてしまいました。
またそうしなければ食糧が不足してしまいます。
特に熱帯、亜熱帯地方では土地が裸になると太陽の直射で地表が非常に高温になり、
地表の水分の蒸散と急激な上昇気流が発生し突風と降雹、集中豪雨が起こります。
これが森林を農地化すると降雹、豪雨が増える原因で、
大都市のヒートアイランド現象と同様な現象です。
このため雹は何処でも同じように降るわけではありません。
地形や地表の状態によって雹が降る場所は大体決まっていて何時も同じ農場が雹害にあいます。
雹害の殆どは天災ではなく人災というわけです。
比熱の大きい水が地表を覆っている水田地帯での雹害は滅多にありません。
農地化しても地表を覆う物(水、作物、雑草、マルチ)があれば
地表の温度変化を緩和でき雹害は防げるわけです。
また土壌が団粒化し土壌中の気相が増えれば断熱効果が高まり同じ効果があります。
これは霜害についても同じことが言えます。
たまたま、偶然、突然などという戯言は因果関係の究明を放棄した時の言い訳に過ぎません。
少なくとも科学的に探求しようとした時、使う言葉ではありません。
全ての事象には因と果があり、他の災害も同じことが言えます。
自然の循環を無視した施肥・殺し農法、適地適作の無視、無理な品種改良、
自然を無視した開発等、の結果が天災(人災)として現われます。
自然の意思(仕組み)と人の思いの不一致から起きる現象が天災です。
もし、天災が幻でないと言うのなら「施肥・殺し農法」における、
あらゆる障害も全て天災ということになってしまいます。
農地を森林土壌化し、自然の仕組みに近づければ生産量を落とすことなく天災は減らせます。
台風19号「ヴォンフォン」接近中!
ハウスの中の木のチップまきが一段落。
引き続き、路地の畝に撒いています。

炭素循環農法HPより引用
サイト管理者より(今、何が起きているのか)
引き続き、路地の畝に撒いています。

炭素循環農法HPより引用
サイト管理者より(今、何が起きているのか)
現在の有機・自然栽培は、化学肥料・化学農薬以前への退行現象であり、
実質は使用資材が天然というだけの施肥・防除(殺し)栽培。
その理論と技術は肥と殺しを前提とした慣行農法と何ら変わらず、
慣行農法の問題点を何一つ解決してはいません。
「施肥・防除」を前提とする理論、技術体系は、
その範囲内では有効であり正しいと言えます。
しかし、肥と殺しを否定する「無施肥・無防除」の真の自然農法は、
全く別の自然の循環を活用した体系であり、施肥・防除の理論・技術は役に立ちません。
施肥・防除の知識で真の自然農法を語ることは無意味です。
(中略)
ゴミを捨てなくても拾わなくては綺麗になりません。
巷で行われている全ての自然農法(自然風慣行農法=自然猿真似農法=自然箱庭農法)は浄化一辺倒(のつもり)の断食農法(防除に相当)。
ゴミ拾いの手段がないため浄化が不完全で、無防除(手で虫をとってもストチュウでも防除)にもならず天然(漢方的)農薬などに頼っています。
また、施肥に替わる人為的な養分供給手段を欠いたままの片輪走行では、
自由度・適応度が低く低生産性に甘んじ、現在(施肥・防除=慣行栽培)の生産性レベルを保ったまま移行することはできません。
現在の農法に替わる未来の農法は、如何なる理由があろうとも、
現行の水準以下の生産性であってはなりません。
歴史をみれば明らかなように食糧の生産量が、その時代の人口(上限)を決めています。
自然回帰も結構ですが「生産性を落としても・・・」という発想は「おまえの分は無いから死ね」と言っているのと同じ。
趣味の家庭菜園ならいざ知らず、プロの農業者の言うことではありません。


