賛否両論ある内容になりますので苦手な方はスルーして下さい。
信仰の自由があるので信心することを否定するつもりはないですが創価学会にのめり込む恐ろしさを私の視点からお伝えしていきたいと思います。
のめり込んでいる学会員の思考…。
①お題目を唱えるとなんでも願いが叶って幸せになれる←長時間正座してお題目を唱える学会員もいます。
②たくさん財務(お布施)することでなんでも願いが叶って幸せになれる。
③公明党を応援していろんな人に「1票入れて」と呼びかけてたくさん票を集めることで自分に幸せが訪れる←娘や息子の昔の卒業名簿を見て付き合いのない人間にまで片っ端から電話して1票入れてと呼びかける学会員もいます。これは明らかな迷惑行為ですが本人は自分のためにも相手のためにも良いことをしていると思い込んでいます。
④聖教新聞を1人で何部も契約して学会員以外のいろんな人に勧めることでなんでも願いが叶って幸せになれる。
⑤信心しないと不幸になる。
⑥悪いことがあると信心が足りないせい、良いことがあると信心のおかげだと思い込む。
⑦学会員以外の人間に意見を言われても受け入れられずその相手を勝手に『魔』扱いして逃亡する。
このような思考に陥った学会員は「お題目を唱えなきゃ…たくさん財務しなきゃ…選挙で票を集めなきゃ…」となり、酷い場合は一度に数百万円もの大金を財務する学会員までいます。
元義母が完璧にこの思考でした。
宗教にのめり込み、悪いことが起きると狂ったようにお題目を唱えていました。
財務しすぎて老後資金がなくなり生活保護になった人までいました。
それでもその思考から抜け出せずに生活保護の中から財務する強者までいるのです。
創価学会にのめり込み過ぎて創価学会がないと生きていけないほど重度な状態になり精神疾患になる人(元義母)までいます←私の職場にも精神疾患を患っている学会員(婦人部の幹部)がいます。
学会員の義祖父のお葬式のときには地域の学会幹部がお葬式で集まった香典を全額回収していました
「故人である○○さんが最期まで幸せに過ごせたのは創価学会のおかげなのでこちらの香典は全て学会に財務(寄付)させていただいてよろしいですね?」
学会幹部のその言葉に学会員である義祖母たちは何も疑うことなく、集まった香典を全額渡していました。
それと引き換えに渡されたのが若いときから学会員として多額の財務をしてきた義祖父に対する感謝状でした。
「長年、創価学会に貢献していただきありがとうございました」という内容のものでした←この感謝状は義祖母宅の仏壇に額に入れて飾られています。
学会員からしたら名誉なんでしょうね。
信心することで本人が幸せならそれで良いですが熱心な学会員による行動(選挙のときに他人に迷惑かけたり、ランチに誘うふりして相手を騙し宗教活動の場に連れて行ったり、しつこく新聞勧誘してくる行為)は許せません。
このような団体でもあなたは信用できますか?
私が元義母を見て思ったことは創価学会に入信して熱心に活動しても幸せにはなれないということです。
結局、幸せというものは自分で掴み取るものだと思います。
元義母の思考が正しいなら私は今頃不幸になっているはずですがそんなことはありません。
無宗教でも幸せです。
いや、財務して貧乏になったり宗教活動(会合や選挙、新聞勧誘など)で無駄な時間を費やすくらいなら無宗教の方が幸せです。