今日も

ご覧を頂きまして

ありがとうございます。

 

 

 

 

どこへ行っても誰と会っても

競争したがる人はいます。

 

 

こういう人は

相手を負かすことで自分の

価値を見出しているようです。

 

 

勝つことに快感と満足を覚える。

 

 

衝突や競争が大好きで、

容易に気を許しません。

 

こちらが屈してはじめて

握手をしてくれます。

 

 

それとは対象的に、

競争が嫌いでなるべく

避けようとする人もいる。

 

 

こうした人は、

みんなに囲まれ支持されている

と思うと、ほっとして嬉しくなります。

 

 

人を深く愛し愛されることに

これ以上ない幸せを感じる。

 

 

 

この二つのタイプの人たちは、

人の愛し方もまるで違います。

 

 

前者は、

相手を手に入れるまでが勝負で、

そこにライバルがいるあいだだけ、

もしくは相手がイエスというまで。

 

 

相手に愛を受け入れられ、

もうこっちのものだと確信

できたあたりから興味は

消えてしまう。

 

 

自分の意思を相手に押しつけ、

相手を支配することによって

性愛の快感と満足を得ようと

します。

 

 

 

一方、後者のタイプの人は、

恋愛の初期段階が苦手な

傾向にあります。

 

 

相手の愛に自信が持てず、

もうやめてしまいたい

と思うこともある。

 

 

幸せをかみしめるのは、

相手も本当にこちらだけを

愛していると、心から思えた

ときです。

 

 

そうなったときには、

何もかも忘れ、その愛に

全身を打ち込めます。

 

 

 

競争の好きなタイプの人だけが、

野心的で成功もしやすいと考える

人は多いですが、実際はそうでも

なさそうです。

 

 

競争が好きでない人の中にも、

めきめき頭角をあらわす野心的

な人はいくらもいます。

 

 

彼らは他人を納得させ、

好意的な評価を受け、

 

支持や称賛を得ることによって

成果をあげようとする。

 

 

みんなに満足してもらいたいので、

いつも周囲とは調和をはかろうと

します。

 

 

『友あるところに栄光あり』

 

 

 

競争を好む人は、

誰かを負かすことによって

のしあがろうとします。

 

 

成功とは、相手を負かし、

勝利を手にし、支配権を

にぎることと考える。

 

 

『敵あるところに栄光あり』

 

 

 

 

 

最後までお読み下さり

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

今日、来てくださった方との

出会いに感謝いたします。

今日も

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ありがとうございます。

 

 

 

 

人の価値をはかるのに、

持っているお金や、称賛者の数や、

行使する権力をもとにすれば、

上下の差には限りがありません。

 

 

年に数億稼ぐ人

少ない給料でやりくりする人

 

 

けれども、前者の方が後者より

価値があるという見解には、

 

どうしても

違和感を感じてしまいます。

 

 

もちろん、頭が良くて

有能な場合もありますが、

 

 

たまたま

運に恵まれたとか、

 

悪知恵がうまく働いた

場合もあるわけです。

 

 

名声』だって

価値をはかる基準には

なりえないと思います。

 

 

もちろん、

名声に値する人はいて、

 

貴重なものを多く生み出してくれた

科学者や芸術家には感謝する

ばかりです。

 

 

けれども、揺るぎない

権力の座につく人が、

現場で指揮する人より

道義的に劣っていることは、

珍しいことではありません。

 

 

富や名声や権力は、

見栄をよくしますが、身近な人たちの

たぐいまれな豊かさを見えなくさせる、

ゆがんだレンズ”のようです。

 

 

 

巨大政党をつくりあげた人物

大きな国家を建設した人物

科学の進歩を実現させた人物

 

 

 

歴史は、有名になった

トップの者しか覚えていませんが、

 

彼らの業績が、

無数の名も知らぬ人達の

貢献の結果であることは、

 

”忘れてはいけない事実”

です。

 

 

何も言わない人々は、

何らかの理由でその仕事に

携わりながら、

 

その資質や働きによって

受けて当然の感謝もされずに、

身を粉にして働いてきました。

 

 

 

人の価値は、

他人が決められるものでは

ありませんが、

 

 

誰も自分から

言い出さないのであれば、

 

この人達に感謝するのは

僕達の役目ではないでしょうか。

 

 

目立たない人々の功績は、

歴史のなかで脚光を浴びる

人達のそれより大きいのかも

しれません。

 

 

 

そして、その努力こそ、

英雄と呼ぶにふさわしい

と思います。

 

 

 

 

 

 

最後までお読み下さり

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

今日、来てくださった方との

出会いに感謝いたします。

今日も

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ありがとうございます。

 

 

 

 

どこにそんな時間があるの、

そう思えるくらい山ほどのことを

そつなくこなす人がいます。

 

 

自分の仕事だけでなく、

他のこともやろうとするから、

いつも忙しい。

 

 

それでいて、

あいまを見つけては

しっかり旅行もしている。

 

 

これは、

単に時間の使い方が

上手いというわけでも

なさそうです。

 

 

 

その反対に、

たった一つのことを

するのに骨を折り、

 

ほかのことはすべて、

暇ができてからやろう

と、常に先延ばしにする

人もいます。

 

 

 

僕も、”常に先延ばしする”

という性質をもっていましたが、

 

 

計画が予定どおりに

実行されたことは、

1度もありません。

 

 

そして、

目的の何かをするために

今やるべき何かを犠牲に

したときも。

 

 

 

なぜなら僕達は、

自分たちを巻き込んでいる

仕事や社会に急かされてこそ、

頭を働かせるから。

 

 

多くのことを手掛ける人が

創造的なのは、

 

活発な生活がもたらす

”無数の刺激”で

頭を養っているからです。

 

 

人との出会い、

仕事での問題があってこそ

脳は刺激され、新たな発見が

あります。

 

 

 

確かに、忙しいときは

脳がフル回転している

ような感覚になり、

頭より先に体が動きます。

 

 

時間がないと頭の働きが

倍になる。

 

 

時間がないなんていい訳

と言われても、返す言葉が

ありません。

 

 

 

余計な駆け引きなどせず、

やっかいごとや心配ごとも

引き受けながら、現在を

精一杯生きる。

 

自省するゆとりを残しながら。

 

 

 

極力問題は避けたいですが、

社会のうちにいながら外にいる

という感覚が意識できれば、

 

 

問題に潰されることなく

逆に良い刺激を受け取る

ことができます。

 

 

意識して外にいれば、

社会に取り込まれることは

ありません。

 

 

 

むしろ”能動的”に働ける

というメリットもあります。

 

 

 

良い刺激とは、

考えたり闘ったり模索したりする

刺激です。

 

 

それは、

内にいるときしか

経験できません。

 

 

 

 

こうした駆け引きをしたほうが

人生を楽しめそうです。

 

 

 

 

 

最後までお読み下さり

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

今日、来てくださった方との

出会いに感謝いたします。

今日も

ご覧を頂きまして

ありがとうございます。

 

 

 

 

若者は、

年長者というのは

ものわかりがよくて、

 

気持ちよく

手助けしてくれるものと

思いがちです。

 

 

僕も20代の頃は

そう思っていました。

 

その人が成功して

力もあるならなおさらです。

 

 

いつも冷静で心は平安。

野心も収まり、攻撃性もない。

 

 

年長者というのは

若さに魅力を感じていて、

自分みたいな若者を快く

受け入れてくれるはず。

 

 

人生経験が豊かだから、

若者の可能性を理解し、

高く買ってくれるはず。

 

 

今考えると凄い内容ですね。

 

これが事実なら、

悟りの境地も近いのでは。

 

 

20代の僕は、年長者のことを

弱点ももたない存在と思って

いました。

 

 

若者がこうした期待を抱くのは、

年長者がそれまでの人生で、

『父親像』とか『教師像』とか、

自分の偉大さを売りこもうと

してきた結果ではないでしょうか。

 

 

父親は子どもに追い越されれば

嬉しく、教師は生徒が優秀で

多くを学んでくれれば満足します。

 

 

しかし、現実的はそう甘くは

ありません。

 

 

確かに、

自分の子どもに対しては

父親らしく振舞うだろうけど、

知らない他人に対しては?

 

 

年長者の気前のよさや関心は、

自分の人生の延長であるような

人々のうえにしか働かないのでは?

 

 

もちろん、すべての年長者

ということではありません。

 

 

人生経験が少しずつ増えてきて

思うのは、年長者も、欠点や野心

や恐れを、若い人に負けないほど

持ち合わせているということ。

 

 

誰も実際には、

自分がもうろくしたとは

思っていません。

 

 

年をとったことは、

外側から何かに襲われて

はじめて分かります。

 

 

腰痛、老眼、

病気にかかりやすくなる。

疲れやすくなるなど。

 

 

 

それに、若者につきものだと

考えられている長所や短所は、

たいていの年長者にもあります。

 

ただ現れ方が違うだけです。

 

 

若者といえば”せっかち”で

何かがほしいと即座に手に

入れたがり、誰かに何かを

拒まれれば頭にきます。

 

 

でも、年長者だって

せっかち”です。

 

 

ことの運び方がいつもより

遅ければ”いらいらし”、

何でもいますぐでなければ

気がすまない。

 

 

もちろん、

すべての若者、年長者が

そうである、なんてことは

ありません。

 

 

双方の性質から判断するに、

 

”若者”は能力を

認めてもらうのを急ぎ、

 

年長者は、

業績を認めてもらうのを急ぐ、

 

と言えるのではないでしょうか。

 

 

また、若者の闘争心はむき出しで、

スポーツ競技のように激しいですが

持続性はなさそう。

 

 

対して年長者は、

駆け引き上手で粘り強そう。

 

 

若者の”傲慢”とは、

自分の行動への過信や

”無鉄砲”というかたちで

あらわれます。

 

 

対して年長者のそれは、

何でも分かったという

”うぬぼれ”になって

あらわれます。

 

 

 

 

貪欲やエゴイズムは、

子どもにも青年にもあり、

 

 

大人になっても年をとっても

なくなることはありません。

 

 

 

 

どうりで、いくつになっても

思い描いていた精神年齢

に追いつかないわけです。

 

 

 

 

 

最後までお読み下さり

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

今日、来てくださった方との

出会いに感謝いたします。

今日も

ご覧を頂きまして

ありがとうございます。

 

 

 

 

正社員と言いながら、

いつでも解雇できる1年契約。

 

社員に対して

恣意的で横暴な姿勢の社長。

 

残業代ゼロ。

有給休暇は事実上なし。

 

 

これは、絵にかいたような

ブラック企業です。

 

 

もし、こういう会社に勤めていて、

職場を個人の力で変えることが

絶望的に困難であるなら、

 

自分の身を守るためにも、

一刻も早くやめた方が

よいと思います。

 

 

そうはいっても、

なかなか辞める決断が

できない人もいる。

 

 

よくある理由として、

次にいい仕事に出会える

自信がない。

 

自分が有能とは思えない。

 

どこの会社もこんなもんでは

ないだろうか。

 

 

という転職先の問題のせい。

 

 

自分が有能な人間とは

思えないというのは、

 

はっきり言って

企業側の罠”です。

 

 

『どこにいっても通用しない』

『給料をもらえているだけ満足せよ』

 

こんなことを平然と言ってくる企業も

あります。

 

 

有能か無能かというのは、

企業によって押しつけられた

価値基準であり、

 

そうした実に曖昧な基準で

人を価値づけるのは、

社会的暴力と言えます。

 

 

そもそも、

人の価値をはかること自体

問題ではないでしょうか。

 

 

人の存在そのものは、

誰かにとってよかったり

悪かったりするものでは

ないはず。

 

 

また、他の人と比較して

よかったり悪かったりする

ものでもないはずです。

 

 

人の価値をはかること自体が、

一人一人の存在を条件つき

でしか肯定しないということ、

 

言いかえれば、

条件次第で否定する

暴力のように思います。

 

 

 

”自分の価値”は

自分が決めるものです。

 

 

しかし、

”人には価値があるはずだ”という

人間観を当たり前だと思ってしまうと、

 

自分で自分に暴力を振るうことに

なりかねません。

 

 

そこで、”自分なんて

生きるに値しない人間だ”

 

と思ってしまっては、

人間らしい生き方が

できなくなります。

 

 

 

ですから、

自分は価値ある人間

なのかと自問するよりも、

 

 

自分がどんな生き方を

したいのかを大切にすべき

ではないでしょうか。

 

 

なんのために生きているのか、

何をしたいのか、

 

 

 

こうした

自分の『存在意義』を

追求することが、

 

 

結果的に自分の価値を

上げていくのだと思います。

 

 

 

 

 

最後までお読み下さり

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

今日、来てくださった方との

出会いに感謝いたします。