今日も

ご覧を頂きまして

ありがとうございます。

 

 

 

 

正社員と言いながら、

いつでも解雇できる1年契約。

 

社員に対して

恣意的で横暴な姿勢の社長。

 

残業代ゼロ。

有給休暇は事実上なし。

 

 

これは、絵にかいたような

ブラック企業です。

 

 

もし、こういう会社に勤めていて、

職場を個人の力で変えることが

絶望的に困難であるなら、

 

自分の身を守るためにも、

一刻も早くやめた方が

よいと思います。

 

 

そうはいっても、

なかなか辞める決断が

できない人もいる。

 

 

よくある理由として、

次にいい仕事に出会える

自信がない。

 

自分が有能とは思えない。

 

どこの会社もこんなもんでは

ないだろうか。

 

 

という転職先の問題のせい。

 

 

自分が有能な人間とは

思えないというのは、

 

はっきり言って

企業側の罠”です。

 

 

『どこにいっても通用しない』

『給料をもらえているだけ満足せよ』

 

こんなことを平然と言ってくる企業も

あります。

 

 

有能か無能かというのは、

企業によって押しつけられた

価値基準であり、

 

そうした実に曖昧な基準で

人を価値づけるのは、

社会的暴力と言えます。

 

 

そもそも、

人の価値をはかること自体

問題ではないでしょうか。

 

 

人の存在そのものは、

誰かにとってよかったり

悪かったりするものでは

ないはず。

 

 

また、他の人と比較して

よかったり悪かったりする

ものでもないはずです。

 

 

人の価値をはかること自体が、

一人一人の存在を条件つき

でしか肯定しないということ、

 

言いかえれば、

条件次第で否定する

暴力のように思います。

 

 

 

”自分の価値”は

自分が決めるものです。

 

 

しかし、

”人には価値があるはずだ”という

人間観を当たり前だと思ってしまうと、

 

自分で自分に暴力を振るうことに

なりかねません。

 

 

そこで、”自分なんて

生きるに値しない人間だ”

 

と思ってしまっては、

人間らしい生き方が

できなくなります。

 

 

 

ですから、

自分は価値ある人間

なのかと自問するよりも、

 

 

自分がどんな生き方を

したいのかを大切にすべき

ではないでしょうか。

 

 

なんのために生きているのか、

何をしたいのか、

 

 

 

こうした

自分の『存在意義』を

追求することが、

 

 

結果的に自分の価値を

上げていくのだと思います。

 

 

 

 

 

最後までお読み下さり

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

今日、来てくださった方との

出会いに感謝いたします。