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ご覧を頂きまして

ありがとうございます。

 

 

 

 

若者は、

年長者というのは

ものわかりがよくて、

 

気持ちよく

手助けしてくれるものと

思いがちです。

 

 

僕も20代の頃は

そう思っていました。

 

その人が成功して

力もあるならなおさらです。

 

 

いつも冷静で心は平安。

野心も収まり、攻撃性もない。

 

 

年長者というのは

若さに魅力を感じていて、

自分みたいな若者を快く

受け入れてくれるはず。

 

 

人生経験が豊かだから、

若者の可能性を理解し、

高く買ってくれるはず。

 

 

今考えると凄い内容ですね。

 

これが事実なら、

悟りの境地も近いのでは。

 

 

20代の僕は、年長者のことを

弱点ももたない存在と思って

いました。

 

 

若者がこうした期待を抱くのは、

年長者がそれまでの人生で、

『父親像』とか『教師像』とか、

自分の偉大さを売りこもうと

してきた結果ではないでしょうか。

 

 

父親は子どもに追い越されれば

嬉しく、教師は生徒が優秀で

多くを学んでくれれば満足します。

 

 

しかし、現実的はそう甘くは

ありません。

 

 

確かに、

自分の子どもに対しては

父親らしく振舞うだろうけど、

知らない他人に対しては?

 

 

年長者の気前のよさや関心は、

自分の人生の延長であるような

人々のうえにしか働かないのでは?

 

 

もちろん、すべての年長者

ということではありません。

 

 

人生経験が少しずつ増えてきて

思うのは、年長者も、欠点や野心

や恐れを、若い人に負けないほど

持ち合わせているということ。

 

 

誰も実際には、

自分がもうろくしたとは

思っていません。

 

 

年をとったことは、

外側から何かに襲われて

はじめて分かります。

 

 

腰痛、老眼、

病気にかかりやすくなる。

疲れやすくなるなど。

 

 

 

それに、若者につきものだと

考えられている長所や短所は、

たいていの年長者にもあります。

 

ただ現れ方が違うだけです。

 

 

若者といえば”せっかち”で

何かがほしいと即座に手に

入れたがり、誰かに何かを

拒まれれば頭にきます。

 

 

でも、年長者だって

せっかち”です。

 

 

ことの運び方がいつもより

遅ければ”いらいらし”、

何でもいますぐでなければ

気がすまない。

 

 

もちろん、

すべての若者、年長者が

そうである、なんてことは

ありません。

 

 

双方の性質から判断するに、

 

”若者”は能力を

認めてもらうのを急ぎ、

 

年長者は、

業績を認めてもらうのを急ぐ、

 

と言えるのではないでしょうか。

 

 

また、若者の闘争心はむき出しで、

スポーツ競技のように激しいですが

持続性はなさそう。

 

 

対して年長者は、

駆け引き上手で粘り強そう。

 

 

若者の”傲慢”とは、

自分の行動への過信や

”無鉄砲”というかたちで

あらわれます。

 

 

対して年長者のそれは、

何でも分かったという

”うぬぼれ”になって

あらわれます。

 

 

 

 

貪欲やエゴイズムは、

子どもにも青年にもあり、

 

 

大人になっても年をとっても

なくなることはありません。

 

 

 

 

どうりで、いくつになっても

思い描いていた精神年齢

に追いつかないわけです。

 

 

 

 

 

最後までお読み下さり

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

今日、来てくださった方との

出会いに感謝いたします。