というのは、昨日のワークショップでの言葉


私は美しくない。
そんなふうに小学生の頃からずっと思ってた。

そして、そのことで子宮が拗ねてたんだって。

私は美しい。

そう思ったら、誰かに可愛いねって言われなくてももう大丈夫だ (そう。今までは、可愛いねって言ってくれる私の味方が必要だった)。

これで子宮がご機嫌を直してくれて

子宮筋腫も不要になってくれたらいいなぁ。

そうなるかなぁ。

なるといいなぁ。



先週ハワイ島に行ってきたのだけど、その話はまた今度。








このところ私はとっても怖がりです。


怖いと大騒ぎして、エネルギーが土砂崩れを起こす


何度も繰り返して、その度に私はダメだ、アダルトチルドレンだって落ち込む。


これは本当は、なりたい私に向かうための素晴らしい練習ドリル。


怖くても大騒ぎしないで、内側に意識を向けて自分をじっと見つめてたら大丈夫。陰の力を養う一番の練習なのです。



理屈では分かっててもなかなか実行出来ずに、気付けばすでに土砂崩れで、そんな自分にがっかりしちゃうんだけど


今はウクレレが助けてくれてる。


ウクレレを弾くと自意識が消えて自我がなくなる。


大きな声で歌うと、地球の波動と共鳴してるような気持ちになる。



いやぁ、良きものに巡り会いました。


そしてこんな今日にありがとう。


私はたくさんチャンスをもらってるってやっと思い出せた。




 

久しぶりの記録。

 

最近、昨年からずーーーっと終わらせられないでいる原稿が大詰めを迎えています。

 

もうちょっとで終わりそう。でも終わらない。という状態が、もう1ヶ月くらいかな。

 

その間に原稿はどんどんかたちを変えていって、どんどん良くなってるし、私も成長してるという気がする。

 

最初はこの原稿に向き合うのが嫌で逃げたくて、集中も全然続かなかったけど

 

今は前よりお腹に力が入るようになった。

 

大丈夫、私は終わらせられる、って自分を励ます気持ちを育ててます。

 

 

その一方で、私は世の中の落ちこぼれだ、いつになったら原稿書き終わるんだ、というダメ人間の烙印を自分に押して、どうしようもない気持ちになる私もいます。職場のお荷物だとか、生きてる価値ないから少しでも長く生きたいと戦っている人に代わってあげたいとか考えてる夜があります。(暇人ですみません)

 

 

そんな自分を鼓舞しようとして、私は失敗してしまいました。

 

優しく相手してくれる人に頼っちゃった。

 

自分で自分のことが信じられない不安な気持ちを、誰かに埋めてもらおうなんてだめですよ。

そういうことすると、痛い目にあいますよ。

 

 

 

はい。あいました。

 

今は引きこもって、自分のinner fireを燃やす時なのです。

 

 

 

原稿に向き合う作業がしんどくて

 

なぜなら、エネルギーが循環してないから、途中で枯れそうになる。

 

どうやってエネルギーを補給すればいいのか分からずに、たくさん寝て、時々相手してくれる人にメッセージしたりして、自分を保とうとしてみるのですが、なかなかうまくいかない。落ち込んだ時の嗜癖的な習慣で余計疲れてるのかもしれない。

 

でも、とにかく地に足をつけたい。inner fireを燃やしたい。

 

だから、自分のアンテナが反応するものに従ってみているのです。

ヨガを教え始めてみたのもその一つ。

最近はウクレレを買って練習を始めました。

 

そうこうしてたら、ずっと気になってたけど言い出せなかった、環境ボランティアのプロジェクトを始めようという気持ちになりました。

 

そして、プロジェクト立ち上げることにしました。

 

 

え?引きこもるんじゃなかったの?? ともこそれ言ってることとやってることが真逆だよ!という反応はしごくごもっとも。

 

このプロジェクトが、私にとってどういう意味をもつのかはまだ分かりません。

 

でも私の本質が、突き動かされた感じがしているのです。

 

単なる気のせいかも知れない。でも、これを無視したり否定したりすると、きっとこれから広がるはずの循環にアクセスできない気がする。

 

 

大事なことは何を循環させるのかだと思う。

 

不安な気持ちを埋めてくれと頼ることは、それ自体循環にはつながらない。むしろ人間関係の消費だと思う。

 

自分の本質が本当に大事だと思えることを、誰かと一緒に取り組むことは、循環につながる気がする。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の大事な大事な場所。

 

それは綿本ヨーガスタジオ。

 

もうすぐ閉鎖になるのですが

 

地方に引っ越してなかなか行けないでいます。

 

 

ティーチャートレーニングに参加したのが、何年前だったっけ。

 

今ヨガを教えているのは、その時のトレーニングが基盤になっています。

 

 

でも、このトレーニングで得たものはヨガティーチャーとしての技術だけじゃなくて、それは氷山のほんの一角に過ぎなくて

 

眠っていた私が目を覚ますための種を植えてもらったと言いますか

 

丸い自分を無理矢理四角いかたちに押し込もうとしてきた今までの窮屈な生き方に気がついて

 

そうじゃない生き方があるんだって理解した場所。

 

今までの人生で一番安全だった場所。

 

私は私にとって大事な存在なんだ、私の身体は私を支えてくれてるんだっていう自分と身体に対する愛おしさを感じさせてくれた場所。

 

 

大事な大事な仲間ができて

 

お互いの柔らかくて繊細な部分をさらけ出し合いながら

 

たくさん泣いてたくさん笑ってたくさん頑張って、自分のことを、ひとのことを、前より好きになった場所。

 

 

ヨガを教え始めてはいても基本はサラリーマンで、人の評価を気にして劣等感にまみれたり、変な頑張り方とか気の使い方して疲弊して、本当の自分とつながってない時間もしばしばな今だけど、

 

自分がやってることの意味が分からなくて、言ってることがうそっぽくて、自分にうんざりしてばかりだけど、

 

綿スタのことやトレーニングのことを思い出したら、そこに本当の私がいるなって思う。

 

それは理想の私とか大好きな私じゃなくて、生身の私。生々しく人生の美しさを信じてる私。

 

今は、なんていうか中途半端なあきらめ癖みたいなものが私をブロックしちゃってます。

 

 

 

改めて。

 

そんなふうに自分を評価している今の生々しい葛藤をそれとして許容しつつ

 

長くて暗いトンネル期間がようやく終わる光が見えているのに、まだ見ないようにしてる私も許しつつ

 

焦らず、固くならず、少しずつでも立ち止まらないで足を前に送り続けよう。

 


 

 

今私がほしいものは引き算だ!という何周目かの引き算考。

 

何かを足す変化じゃなくて、引いていく変化。

 

自分に必要なものを探して足していくのではなくて

 

要らないものをどんどん削ぎ落としていく。

 

 

私は今それがしたい。

 

doじゃなくてbe。

 

陽じゃなくて陰。

 

 

例えばだけど、毎日たくさんお酒を飲んで、むくみ対策にエステに行くのではなくて、お酒を飲まないでみる。

 

そこはちょっとした我慢が必要なのだけど、その我慢が大変なのは、野放しになってた欲望を飼い慣らす大変さかもしれない。

 

「お酒飲みたーいっ!」となってるその瞬間には、飲まずにはいられない気がする。

 

その感じって、子供が「ママーっ!買って買って買ってーーー!!」駄々こねてる感じとだいたい同じですよね。

 

この欲望の暴走を自分で手懐けられずに過ごしてきたけど、欲望に振り回されない自分になるってすごくウキウキする。

 

今までの私は、子供がほしがるものを全部与える親のように自分に接してきてたなぁと思う。

 

それがいいとか悪いとかじゃなくて、ちょっとゲームのルールを変えてみたくなりました。

 

 

少し前に、「不要なものは受け取らない」って決めたんだけど、その人間関係に関する決意が今は自分との接し方に波及してきた感じです。

 

私の虚ろな火は、do! do! do!って、周りに燃え移って広がりたがる。そうすると、周りの人の反応や評価が気になります。ほめて、とか、かまって、とか。

 

だけど、魂の火を内側からじっくり燃やすには、本当に必要なものだけがあれば十分で、それ以外はないほうがいいんじゃないかと思う。

 

たぶん本当に必要なものって手放してみないと分からないかもねって思いながら、本当に必要なもの探ししてみます。

 

そんな酵素玄米ダイエット6日目。