クイーンがボヘミアン・ラプソディを発表した1976年、

アメリカからロックバンドがデビューした。

 

 

トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ

コテコテのアメリカン・ロックバンド。

そして”本物”のロックバンド。

何が本物かは、

このブログの最後に種明かしする。

 

 

そういえば、

日本ではアメリカンロックは流行らない。

「アメリカンロックが好き」

とか言おうものなら、

“ 薄っぺらなロック通 ” から

バカにされかねない。

 

 

「アメリカンロックなんて、単純で幼稚だよ。」

 

 

なんて、“ 薄っぺらな知識 ” にふさわしい、

“ 薄っぺらなご意見 ” をのたまう。

 

 

やれやれである。

 

とはいえ、

アメリカとイギリスのロックは考えてみると、やっぱり少し違う。

 

イギリスのロックは、

ブルーズをベースとした黒人音楽。

 

 

一方アメリカのロックは、2つの潮流がある。

 

ひとつはイギリスのようにブルーズロック。

代表的なのはポール・バターフィールドキャンド・ヒートスティーブミラー

 

そしてもうひとつは、

フォークやカントリーをベースとした白人音楽。

こちらが圧倒的に主流。

代表的なのはザ・バーズイーグルスザ・バンド

 

トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズは、こっちの系譜にあたる。

 

特にザ・バーズの影響が色濃く出ていて、ギターリフはそっくり。

トム・ペティが愛用するギターも、ザ・バーズのロジャー・マッギンのリッケンバッカー。

ちなみに、トムの最初のギター講師は、

イーグルス加入前のドン・フェルダー。

 

 

そんな彼らの音楽が最初に受けたのは

アメリカでなくイギリスだった。

 

デビューアルバム

「Tom Petty and The Heartbreakers」

(全米55位、全英24位)

 

 

 

 

シングル

「Anything That’s Rock ’n’ Roll」(全英36位)

「American Girl」(全英40位)。

 

 

「American Girl」は大ヒット曲でもないのに、

ライブでは必ず演奏される、彼らのアンセム的な曲。

 

 

 

そして逆輸入される形で、アメリカでもヒットして注目される。

 

 

 

そして、1979年に大ブレイク。

 

3作目、「Damn The Torpedoes」

(全米2位、全英57位)

 

ホントは1位もとれそうだったんだけど、

当時1位だったピンク・フロイドの「The Wall」が強すぎて、

7週間も阻止され続けてしまった。

 

シングルもヒット。

「Don’t Do Me Like That」(全米10位)

「Refugee」(全米15位)

 

 

 

 

 

 

また1981年に、

フリートウッド・マックのスティーヴィー・ニックスの

ソロアルバム「Bella Donna」のために

トムとギターのマイク・キャンベルが書き、

バンドでデュエットした

「Stop Draggin’ My Heart Around」

がトム最大のヒット曲になった(全米3位)

 

 

 

 

その後も

「Hard Promises」(1981、全米5位)

 

 

「Insider」

※今度はスティーヴィーが、お返しに参加。

その後もしばしば、

ハートブレイカーズのツアーにコーラスで参加する、

“6人目のハートブレイカーズ”だった。

 

トムとスティーヴィーは一時期、恋人関係にあったが、

別れた後も、親友として続いていく。

 

 

 

「Long After Dark」(1982、全米9位)

 

ユーリズミックスのデイブ・ステュアート

を共同プロデューサーに招いた

「Southern Accents」(全米7位)もヒット。

 

 

 

「It Ain't Nothing To Me」

 

 

もちろんライブエイドにも出演。

「Refugee」

 

 

1985年のライブ盤

「Pack Up The Plantation Live!」

は超おすすめ!

 

 

初めてトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズを聴くなら、

これから聴いてほしいくらい。

 

「So You Want To Be A Rock ‘n’ Roll Star」

ザ・バーズの曲も、同じ系譜の彼らにとってはすんなりハマる。

 

 

1986年にはボブ・ディランに招かれて、一緒に世界ツアー。

かつてのザ・バンドのように、ディランのバックを務めた。

この時に来日!(そしてこれがラストだった)

 

 

この出会いがディラン復活のきっかけになった。

80年代のディランは大スランプ中。

迷走中と言ってもいいかも。

 

ここでのトムとの出会いから、トラベリング・ウィルベリーズにつながり、

「Oh Mercy」で復活の狼煙を上げる。

 

 

1987年の「Let Me Up」(全米20位)では、

「Jammin’ Me」(全米18位)をボブ・ディランと共作。

 

 

 

 

 

 

 

ただデビューから10年が過ぎて

バンドの勢いにも陰りが見え始めたころ、

トラベリング・ウィルベリーズで共演した

ELOのジェフ・リンをプロデューサーに招いてソロアルバムを発表。

 

「Full Moon Fever」(全米3位、全英8位)

 

 

ソロと言っても、バンドメンバーが曲作りから演奏まで加わっているので、

ほぼトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ。

 

アメリカだけで500万枚以上売る大ヒット。

北欧をはじめヨーロッパでもヒット。

 

特に「Free Fallin’」(全米7位)は傑作。

 

 

 

これで衰えかけた勢いが復活。

 

1993年に発売した「Greatest Hits」

(全米2位、全英10位)は、

世界中で1,300万枚以上と、

バンド史上最高のセールスに。

 

 

「Mary Jane’s Last Dance」(全米14位)

 

 

 

その後もアルバムは売れ続け、

ついに「Hypnotic Eye」で全米1位!

 

38年目にしてついにトップとったど!

 

 

 

 

ただこれが、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズとしてのラストアルバムになった。

 

 

 

2017年10月2日。

自宅でトムが心肺停止状態で発見。

 

 

53公演の結成40年ツアーを、

先月末に終えたばかりだった。

 

この頃のトムは肺気腫や臀部の骨折など、様々な病と闘っていて、

ツアー中にその痛みが限界まで達し、

そのために使用していた鎮痛剤の過剰摂取が原因だった。

 

 

これが死の1週間前の映像。

生前、最後の姿。

 

 

 

 

 

バンド結成から40年。

一度も休むことなくバンドは走り続けた。

 

メンバー変更も少なく、

ギターのマイク・キャンベルと

キーボードのベンモント・テンチは

最初から最後まで一緒だった。

 

一度辞めたメンバーも戻ってくるなど、

バンドは家庭的な雰囲気があった。

 

 

トム・ペティがいい奴だったんだろうね。

 

スティーヴィー・ニックスがスランプの時も、

トムは良く愚痴を聞いて励ましていたらしい。

※フリートウッドマックのライブで。

スティーヴィーによる、親友・トムへのトリビュート。

 

 

 

ライブ中、トムは曲の合間に

わりと喋る(さだまさしほどじゃないけど)

 

またファンと掛け合いをしたり

一緒に歌ったりと、

バンドとファンには

家族のような強い結びつきがあった。

 

 

 

 

さて最初に書いた

“本者”のロックバンドの答え。

 

今日アップしたのは、ほぼライブ映像。

 

“ 本物 ” は

スタジオ録音よりもライブのほうが良い。

 

名声と金を手に入れても、

変わることなくロックし続けること40年。

こんなに長く成功し続けたバンドとなると、

あとはストーンズくらいか。

 

 

 

これでもアメリカンロックは退屈?

 

 

 

アメリカの伝統的ロックの継承者

トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ

ロックに生き、ロックに死す。

 

 

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トム・ペティで一番好きな曲。

一番、彼ららしい1曲。

 

 

(おしまい)