交通事故事案で,刑事記録を調査する際,いつも気にするのが「起訴になっているか,不起訴か?」ということです。加害者が起訴された事案では,供述調書まで開示されるのに対し,不起訴の場合基本的に,実況見分調書しか見ることができないからです。

そして,被害者の負傷が大きい,加害者の過失が大きいといった場合,起訴されている可能性が比較的高いといえます。

 

もっとも,刑事事件の被疑者を起訴するかどうかは,検察官が,その被疑者の「性格,年齢及び境遇,犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情状」にかんがみて決するとされており(刑訴法248条,起訴便宜主義),過失割合や負傷状況だけで必ずしも起訴・不起訴が決まるわけではありません。

興味深いところでは,最終的な判決では,過失割合が被害者:加害者=1:9となり,被害者は相当の重傷を負い,後遺症もかなり残った事案であったにもかかわらず,加害者は不起訴(罰金にもなっていない)というケースがありました。

このケースでは,相手方弁護士は過失割合についてかなり争ってきた記憶があります。つまり,事故状況・双方の過失割合を確定するには,かなりの議論を尽くし,様々な資料を吟味する必要のあったケースだったといえます。

ですから,起訴不起訴を決める段階で,検察官は被害者の過失が相応にあるかもしれないと判断したのではないかとも思います。被害者の方が,(スピード違反とまではいえないにしても)相応のスピードが出ていたことも考慮要素の一つのように思われます。

過失運転致死傷の9割が不起訴となっている背景には,このような事案が少なくないのでしょう。   

先日6月29日をもって,私も満40歳を迎えました。

40歳といえば(もともとは数え年で計算していたので,今よりは1年あまり早いことになりますが),不惑などと言われる年齢です。

およそ程遠い状況ではありますが,一つの大きな区切りとして考えたいと思います。

 

『礼記』には「四十曰強,而仕」(四十を強と曰ひ,仕ふ)とありますから,仕官して重要な仕事をしていく適齢期だということです。

リンカーンの有名なことばに,40歳を過ぎた男は自分の顔に責任を持つべきだとあります。

また,日本の最高裁裁判官(長官・判事とも)の任命資格の一つが,満40歳以上であることとなっています(裁判所法41条)。

 

このように,40歳という年齢の持つ意味を十分に考えて,これからの人生を過ごしたいと思います。

 

 

大阪も,先週まではこの時期としては比較的涼しい日が多かったのですが,ここ数日,急に真夏並みの暑さが到来しました。今年の6月の気温をみてみますと,中旬(11日~20日)と比較して,21日~27日までの平均気温は3度以上も上がり,特に25日以降は連続で真夏日となり,熱帯夜も増えてきています。

このまま梅雨明けとなるかどうかは,まだわからないところですが,急に気温が上がると,体が慣れていない分,熱中症なども発症するリスクが高まります。

また,体力や集中力が低下し,様々なミスや事故も起こりやすくなるかと思います。

十分な健康管理を心掛けたいものです。

 

先日の地震のブロック塀倒壊のように,取り返しのつかない事故が起こってからでは遅すぎます。

人命・人身は些細な不注意によって損なわれることも稀でないことを肝に銘じて,この急な季節の変わり目を乗り切りたいものです。

 

今日の昼過ぎ,私が使用しているスマートホンが突然,画面をタッチしても動かなくなり,急いで修理に出すことにしました。

携帯ショップから代わりの端末を借りて,それでしばらくはやっていくことになります。

 

前のいわゆるガラケーから買い替えて2年弱,最近調子がおかしくなってきたなと思っていたところ,ついに本格的に故障となってしまいました。

 

電話機が,普通に使っているだけなのに2年足らずで本格的な故障を来してしまうとは(通話機能しかない黒電話は,今もなお現役のものが少なくありません)…改めて,スマートホン,延いてはこの高度情報化時代の危うさをしみじみと感じたことでした。

利便性を追求した情報機器はわずかなことで故障すること,それによって多量の情報の取り出し・再生ができなくなることの恐ろしさは,いつでも心に留めておくべきでしょう(今回は,幸いそれほどの実害はありませんでしたが)。

太古の昔に存在した高度の文明が須臾にして滅亡し,人類は再び原始時代に戻ったという伝承も,何らかの真理を含むものかもしればいと,最近つくづく感じるのです。

 

今回の北大阪地震では,学校のブロック塀の問題が指摘されていますが,今までにもブロック塀に,「何かおかしい」,「こんな構造で地震や台風などが直撃したときに大丈夫だろうか?」といった疑問・不安は生じなかったのでしょうか?

私は建築などについては全くの専門外ですが,そのような漠然とした不安や異常を感知していれば,今回のような悲惨な事態を防ぐことができなかったのかな,と素人なりに思います。

また,建築基準法違反の状態であったとのことから,万一のときには大変な危険を生じるかもしれないということに思い至らなかったのでしょうか。

 

労災における経験則に,「1件の大きな事故・災害の裏には,29件の軽微な事故・災害,そして300件のヒヤリ・ハット(事故には至らなかったもののヒヤリとした,ハッとした事例)がある」というものがあり,報告者ハーバート・ウィリアム・ハインリッヒ氏の名をとって「ハインリッヒの法則」と呼ばれています。

そして,ヒヤリ・ハット事例の報告を蓄積することで,大きな事故・災害を防ぐことの重要性が認識されており,医療現場などでも同様のことが言われているようです。

 

また,自動車の運転でも,楽観的な(慎重さを欠いた)予測に基づいて行動する「だろう運転」を戒め,より悲観的な(慎重な)視点から様々な可能性を想定し,十分な余裕(安全マージン)を持って運転する「かもしれない運転」の必要性が説かれています。

 

今回のブロック塀の件でも,「ヒヤリ・ハット」,「かもしれない運転」への認識があれば,尊い人命が失われることは避けられたのではと思います。