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リハビリのこと、庭のこと、コペンのこと

数年前、ある偉い人が言った。

「認知症の患者さんのリハビリテーションは、一言で言えば、『大往生』だ。家族にとって『困った人』ではなく『良い人』として人生を終えることが目標だ。そのために何ができるかを考えていこう。」

〈何て素晴らしい言葉だろう。こんなにシンプルで強いメッセージがこもった言葉はない。患者さんの大往生を目標に、頑張っていこう〉と、その時は思った。

今、改めて振り返って思う。〈なんという間違った考え方だろう〉と。

家族に疎まれて亡くなる事ほど悲しい事はない。 確かにそうかもしれない。

認知症になっても、笑顔は素敵です。病院ではこんなに穏やかに過ごしています。自宅退院しませんか? 確かに家族のもとで過ごすことは、良いことだ。

当院では、こんなに素晴らしい活動を取り入れています。 確かにすごい。

それでも、どこか違う気がしていた。何なのかわからなかった。

違和感をおぼえるのは、これらが、本人の気持ちから始まったものではないからだ。

認知症だから、正しい判断ができないし、重度になれば意思表示もままならない。その人が望むことだけでなく、長く介護する家族が望むことも加味しなければならないのは確かだが本人の望みが抜け落ちていないか?

どんな病にかかろうが、死ぬまで生きてる。辛くて死にたいかもしれないが、生きてて良かったと、死ぬ瞬間に思ってもらいたい。

そういう思いが先に立てば、本人の気持ちが抜け落ることはないだろう。

思いが抜け落ちたサービスは、悲しい。
良く聞く話です。家族やケアマネは大抵こう言います。




「筋力が低下したから歩けなくなったので、リハビリで筋力を付けて欲しい」

「バランス能力が低下したから歩けなくなったので、バランス訓練をしてほしい」


こういう依頼に、いつも戸惑いを感じます。


高齢者の廃用症候群の場合、筋力低下やバランス能力低下は、動作障害の「原因」ではなく「結果」である場合がほとんどだからです。

筋力やバランス能力が低下したから歩けなくなったのではなく、歩けなくなったから筋力やバランス能力が低下したと考えた方が自然なのです。

歩けなくなった人が、デイケアに通っているうちに再び歩けるようになったりしますが、筋力がついたから歩けるようになったのではなく、歩けるようになったから筋力がついたのです!ふらつかなくなったから歩けるようになったのではなく、歩けるようになったからふらつかなくなったのです!

細かく見ていけば、筋力がつくより先に歩けるようになっています。逆に、筋力低下で歩けないと言われている方の筋力を測定すると、正常の範囲内だったりします。


では、何故歩けなくなったのか。私は認知面の低下が原因と思っています。歩行の再獲得には、筋力強化やバランス向上よりも、認知面の向上の方が効果的です。一番有効なのは、お話しながらの散歩だと思います。

歩くことが全身運動なのは知られていますが、しゃべりながら歩くことで呼吸、循環機能が更に鍛えられます。それだけでなく、会話中に、答えるのに努力を要するような質問を入れることで認知面の訓練になり、歩行が更に安定するのです。

歩くだけではなく、席に座って話すだけでもない、「歩きながら話す」ことが非常に重要です。

「○○しながら○○する」のを「二重課題」といいます。柔道の日本代表選手が練習に取り入れていたことで有名になりました。



今日の「ためしてガッテン」を見ていて、スッキリしました。

つまづいて転倒するのは、「深部感覚」が低下してつま先が上がっていないことに気付かないのが原因とのこと。

深部感覚が鈍る原因は、①加齢と②足の冷えと③「考え事」なんだそうです。

若い人でも計算問題に答えながら歩くとつま先が下がってしまうほど、考え事は影響があります。

京都大学の研究では、二重課題の運動を半年継続することで転倒率が1/5に減ったそうです。

もちろん、歩けない原因が筋力低下の場合もあります。その場合、筋力強化で歩けるようになるでしょう。

大切なのは、原因を短絡的に決めたり、原因と結果を取り違えたりしないことです。
歩けない人を初めて歩かせるのは、それなりに冒険です。

歩かせる前に能力を正確に把握して、介助方法や補助具の選定、歩行距離の設定をするのは、それなりの経験が必要です。患者さんに、歩けない事実を突きつけて終わることだけは避けなければならない。

ただ、失敗を恐れてリハビリを避けたり、誰かが判断してくれるのを待っているのもどうかと。歩行能力が低下した高齢の患者さんは、拘縮が進んで「風に吹かれた股関節変形」に近づいてしまいます。

歩けない人を歩かせることが目的でリハビリをするなら、歩行練習の前に、立ち上がり練習をすべきです。

一番簡単な立ち上がり練習は、縦の手すりにつかまって立ち上がる練習です。横の手すりよりも立ちやすいです。腰の辺りでズボンを持ち上げて介助します。

縦の手すりで楽に立てるなら、横の手すりで立つ練習をします。

それが楽にできるようになったら、手すりを持ったまま膝の屈伸をします。

20回くらい屈伸できるなら、足踏みの練習をします。

足踏みが安定してできれば、歩行器を持って歩行練習ができるはずです。

全介助で立たせるのはコツが必要ですが、手すりを持った状態で介助するのにコツはいりません。歩行能力が未知の患者さんを全介助で歩かせるのはかなりコツが必要ですが、足踏みができる患者さんを歩行器で歩かせるのにコツはいりません。

できないことを練習してできるようにするのではなく、できることを積み重ねた結果、できないこともできるようになった…という方が、気楽に援助できるし、職員の腰痛予防にもなります。それに、実は患者さんの自発性を引き出す最良の方法だったりします。
多くの認知症の方が「うちに帰りたい」とおっしゃって、スタッフは頭を悩ませると思います。

どう答えれば落ち着きを取り戻すのか?いろいろ対応を変えてみても、結局何を言えば落ち着くということではなく、時間がたつのを待つしかないのかと、無力感に打ちのめされる…

<確かに、こんなにゴミゴミしたところにいたくないわよね。かわいそう>と言いながらため息をつくスタッフ。

でも、自宅にいても「うちに帰りたい」という方も多いということですから、必ずしも病院やデイケアの物理的環境が悪いせいで落ち着かないとも言い切れないと、私は思います。それに、変えようがない部分が原因と思ってしまったら、それでおしまいになってしまいます。

「うちに帰りたい」時は理学療法どころではないので、ゆっくり話を聞くことにしていますが、何か気のきいた答えを返すよりも、ただ話を聞いて、「一緒に困る」ほうが、落ち着く方が多いような気がします。

その場で落ち着かせることができなくても、日頃からそういう関わりを持っていると、焦りや不安の度合いも変わってくる、ような気がします。

焦りや不安の度合いが気の持ちようで変わるように、スタッフの無力感も気の持ちようで変わるんではないかと思っています。
植物は正直ですね。

興味を持って手入れをしていると生き生きと育つけど、嫌々手入れをしていると、しょんぼりと育ちます。

植物が好きとか嫌いとか、気持ちを込めてとか、そういうことじゃなくて、生きている者を扱う心構えがあるかどうかだと思います。

その植物にとって最適な環境を探りながら日々手入れするのを楽しんでいれば良く育つと思います。元気いっぱいの植物を見ていると、こっちも元気になります。

一方で、最近流行りのガーデニングは、花が咲く時期だけ植えておいて、花が散ったら植え替えるそうです。そうやって年中花が咲いた庭を作る。

キレイでしょうが、何か違和感を感じます。植物を、生き物として見ていない。切り花と同じ感覚ですね。

草が伸び放題の原っぱを見るとワクワクドキドキする感じとか、ガーデニング好きな人たちには、理解不能なんでしょうね~

かわいそう。
障害やら何やら、回避困難な問題にぶち当たった時、どう考えてもお先真っ暗けのけだなと思った時、先のことは考えず、今、この一瞬を大切に生きることで救われたりする。

いろいろ悩まず、笑顔で過ごすことに集中すれば、明るい未来を想像できるし、そうなれば実際問題解決方法が見つかったりする。

患者さんがそう考えられるように雰囲気を作り、笑顔を引き出すことは、リハビリには欠かせない。笑顔には絶大なパワーがある。この一瞬に集中できる人は優れたパフォーマンスを発揮する。

言ってみれば、「刹那主義療法」である。

ただ、あくまでも、患者さんの意識を刹那に向ける方法であって、セラピストが刹那主義になることではない!

患者さんの過去(生育歴・現病歴)にも未来(生命予後・機能予後・生活の方向性)にも無関心で、今、興味関心があることに飛びつかせて、笑顔を引き出すことが治療的だと思っている。自分の目の前にいる時の患者さんしか見ていない。



セラピストが刹那主義になるのは、治療でもリハビリテーションでもない。



恥を知りなさい。






と、言えない自分は、オリンピック観戦で現実逃避しています!
ニッポン チャチャチャ!( ̄0 ̄)
リハビリ場面では、「その人らしく」とか「オーダーメイド」という表現が好んで使われます。型に当てはめず、その人なりの人生をサポートしていく。これは人間の特殊性に焦点を当てた、リハビリには欠かすことのできない見方です。

一方で、普遍的なものも間違いなく存在します。例えば、使わない部分は使えなくなること。使えなくなった部分を回復させるには、現状より負荷をかけなければならないこと。負荷をかけ過ぎると回復力はかえって低下すること。これらは全ての人間に共通することです。身体的にも精神的にも言えることです。その人が望んでいようがいまいが、必ずそうなるのです。

特殊性は、普遍性という土台の上にあるものです。普遍性を無視した特殊性は成り立たない。

普遍性と特殊性をバランス良くみていくのがリハビリの専門性になると思います。


キーレスエントリーの電池交換をしようかと開けてみたら、電池がガッチリ固定されていて、無理矢理やってはいけない雰囲気…