コペンのフロントリップが、バキバキになってしまいました。
職場の駐車場の輪留めがギリギリの高さなので、停める時はソーッと入れて問題なく入ったのですが、帰りはすっかり忘れて、勢いよくバックしたらフロントが下がったらしく、バキョンって…
しばらく割れたリップを撫でていましたが、治りませんでした。あーどうしょう。
「攻撃は最大の防御」という。
スポーツの世界で良く使われる。
これを単純に、「攻撃は防御」と解釈して実行しても、たぶんうまくいかない。「攻撃」と「防御」は、技術的に別物だからだ。
ただ、攻撃は気持ちを前向きにして、防御は気持ちを後ろ向きにする傾向がある。防御を重視すると、精神的にも後手後手になりがちなので、注意すべきなのだそうだ。
最近のサッカーでは「前線からの守備」がはやり言葉のようだ。積極的な防御、攻撃を前提とした防御は、気持ちを後ろ向きにはしなさそうだ。大切なのは、積極性だ。
ベテラン理学療法士の言葉。
「高齢者の維持期リハビリは、治すつもりで取り組まないといけない。治す気でいないと維持もできない。」
私は、そうは思わない。「治す」ことと「維持する」ことは、技術的に別物だからだ。
「維持」が消極的なニュアンスを持っているのは確かで、後ろ向きな気持ちは、老化のスピードについていけず、後手後手になる恐れがある。
ただ、セラピストの「治す」ことにこだわった対応は、高齢者を幸せにしない。「いつか、きっと」を合い言葉に、あきらめない姿勢を美化して伝えて、「リハビリ難民」を量産し、国の財政を圧迫してきた事実を、セラピストは自覚すべきだ。
対象と自分の力量を正確に把握して、治る部分を治し、治らない部分は、その他の部分でカバーして、障害者としての、新しい幸せを作っていく。それこそがリハビリテーションだ。
「前線からの守備」を意識した維持期リハビリをしていきたい。
スポーツの世界で良く使われる。
これを単純に、「攻撃は防御」と解釈して実行しても、たぶんうまくいかない。「攻撃」と「防御」は、技術的に別物だからだ。
ただ、攻撃は気持ちを前向きにして、防御は気持ちを後ろ向きにする傾向がある。防御を重視すると、精神的にも後手後手になりがちなので、注意すべきなのだそうだ。
最近のサッカーでは「前線からの守備」がはやり言葉のようだ。積極的な防御、攻撃を前提とした防御は、気持ちを後ろ向きにはしなさそうだ。大切なのは、積極性だ。
ベテラン理学療法士の言葉。
「高齢者の維持期リハビリは、治すつもりで取り組まないといけない。治す気でいないと維持もできない。」
私は、そうは思わない。「治す」ことと「維持する」ことは、技術的に別物だからだ。
「維持」が消極的なニュアンスを持っているのは確かで、後ろ向きな気持ちは、老化のスピードについていけず、後手後手になる恐れがある。
ただ、セラピストの「治す」ことにこだわった対応は、高齢者を幸せにしない。「いつか、きっと」を合い言葉に、あきらめない姿勢を美化して伝えて、「リハビリ難民」を量産し、国の財政を圧迫してきた事実を、セラピストは自覚すべきだ。
対象と自分の力量を正確に把握して、治る部分を治し、治らない部分は、その他の部分でカバーして、障害者としての、新しい幸せを作っていく。それこそがリハビリテーションだ。
「前線からの守備」を意識した維持期リハビリをしていきたい。
学生から質問されました。
「○○さんの、身体に注意が向かない状態を、注意障害と言っていいのでしょうか。注意障害があるならトイレ動作などADL上の問題と関連性があるはずだと先生から指摘されるのですが…」
机上のテストや動作の観察などで得られる注意の問題を注意障害というなら、身体に注意が向かない状態は注意障害ではないのかもしれません。机上のテストや観察は問題ないのに身体に注意が向かない人は大勢いるからです。
例えば腰痛。「腰が痛い」と言っている人の中には、腰はむしろ正常で、背部がカチカチに固まっているせいで腰に過剰な負担がかかっている人がいますが、背中が固いことには全く気づいていない人がほとんどです。
例えば肩痛。肩というより腕のあたりを押さえて、「ここが痛い」というのですが、そこには何の問題もないのです。
関連痛などの可能性も否定できませんが、身体に注意が向かないせいで、一番の問題に気づいていない可能性もあります。それを確 定するには、関連痛を取り除くアプローチと身体に注意を向けるアプローチのどちらが有効かを確かめる必要があります。
やはり大切なのは、セラピストの見立てと技術です。
「○○さんの、身体に注意が向かない状態を、注意障害と言っていいのでしょうか。注意障害があるならトイレ動作などADL上の問題と関連性があるはずだと先生から指摘されるのですが…」
机上のテストや動作の観察などで得られる注意の問題を注意障害というなら、身体に注意が向かない状態は注意障害ではないのかもしれません。机上のテストや観察は問題ないのに身体に注意が向かない人は大勢いるからです。
例えば腰痛。「腰が痛い」と言っている人の中には、腰はむしろ正常で、背部がカチカチに固まっているせいで腰に過剰な負担がかかっている人がいますが、背中が固いことには全く気づいていない人がほとんどです。
例えば肩痛。肩というより腕のあたりを押さえて、「ここが痛い」というのですが、そこには何の問題もないのです。
関連痛などの可能性も否定できませんが、身体に注意が向かないせいで、一番の問題に気づいていない可能性もあります。それを確 定するには、関連痛を取り除くアプローチと身体に注意を向けるアプローチのどちらが有効かを確かめる必要があります。
やはり大切なのは、セラピストの見立てと技術です。
シートベルトの巻き取りが不十分だったり、ガイドから外れたり、というのが唯一気に入らない部分だったので、シートベルトガイドを移設しました。「コペン シートベルト 移設」でググったら、親切な方が材料から手順まで写真付きで紹介されていたので、30分程度で作業終了しました!効果は、少し送ってあげればスルスルと巻き取ってくれるようになり、まぁ、この手間と金額なら大成功という感じです。何しろ材料費は700円弱ですから。
時間が余ったので洗車しました!購入時にコーティングしたおかげで、洗車が楽です。さらに市販のガラス系コーティング剤を使ったら、ピカピカになります!以前別のクルマに使った時は全然輝かずがっかりしたのですが、やはり下地が大事ということですかね~
自分の休みを使って、研修を受けている。月一回、青山まで行っている。家に帰ると22時過ぎる。費用は年間四万円。
PTが研修にいくと、皆、口をそろえて言う。「勉強になったね。明日から仕事に生かせるね」
研修に行かない人たちも口をそろえて言う。「勉強家だね。エラいね。伝達お願いします」
はたして、そうだろうか。
研修にいくと、勉強した気になって、安心できるだけだったりしないか?先生に指摘されたりほめられたりして、何か身についた気になっているだけだったりしないか?
ほとんどの人がそうだ。私も含めて。
その証拠に、明日の仕事は昨日までと何も変わらない。変わったと思っているのは本人だけだ。それを繰り返して、皆、年をとっていく。
研修で学んだことを仕事に生かすには、研修のその場で、「これだ!」というものをガッチリつかむ必要がある。
「へ~なるほど。これ使えるね」程度のものは、現場で使えない。現場に戻れば、指導者はいない。全て自分の感覚が頼り。中途半端に学んだことは簡単にねじ曲がり、ホンモノとはほど遠い形になっていく。そしてそのことに誰も気付かない。
研修は学びの場ではない。技を盗んで、自分のものにしなければ、無駄になる。
そういうことに、今日ペアになった方が気付かせてくれた。
人間は、いや、生物は、排他的でないと生きていけないんではないかと。
例えば、ウイルスと戦う免疫系。異物を見つけて、よそ者と判断すると、徹底的につぶす。正義の味方だ。
生き物は、排他的になることで生き抜いてきた。
でも、自己免疫疾患は?
免疫系が暴走すると、自分自身を攻撃してしまって、生体が死んだりする。
人種差別、宗教闘争、いじめ…
みんな、免疫系が暴走しているように見える。
健全な免疫力はどの程度なのか、常に監視する必要がある。
ヒトは、排他的になることで、何となく高揚感、一体感を得られるので、ついつい行き過ぎて自己免疫疾患を罹患してしまうからだ。
人事異動や能力査定の時期に、常に感じるザワザワ感。自分がウイルスとして認識されないように、身をひそめたり、積極的に免疫細胞として働いたりする人たち。
もしかしたら、もう既に罹患しているのかも。
例えば、ウイルスと戦う免疫系。異物を見つけて、よそ者と判断すると、徹底的につぶす。正義の味方だ。
生き物は、排他的になることで生き抜いてきた。
でも、自己免疫疾患は?
免疫系が暴走すると、自分自身を攻撃してしまって、生体が死んだりする。
人種差別、宗教闘争、いじめ…
みんな、免疫系が暴走しているように見える。
健全な免疫力はどの程度なのか、常に監視する必要がある。
ヒトは、排他的になることで、何となく高揚感、一体感を得られるので、ついつい行き過ぎて自己免疫疾患を罹患してしまうからだ。
人事異動や能力査定の時期に、常に感じるザワザワ感。自分がウイルスとして認識されないように、身をひそめたり、積極的に免疫細胞として働いたりする人たち。
もしかしたら、もう既に罹患しているのかも。






