認知症の方の「問題行動」といわれるもののひとつに「徘徊」がある。
人によっては、不眠不休で歩き続けて、100km離れた場所で発見されたこともある。
理学療法の論文で、徘徊について述べているものがあった。
「歩行は全身運動であり、健康維持に欠かせない生活動作である。徘徊者は、長時間歩行するので、徘徊しない認知症患者よりも健康である。安全な歩行路を確保して、徘徊を運動機会として有効に活用すべきである。」
これを読んだ時、腹が立つと同時に、理学療法士が嫌いになった。
バカも休み休み言ってもらいたい。もう、頭の中にウジが湧いているとしか思えない。寝言は寝て言えスペシャルだ。
徘徊者の顔を見た上で言っているのだろうか。
焦った表情、不安げな表情、苦しい表情、泣きそうな表情、みんな困っていて、どうしたら良いか解らずに歩き続けているのだよ。それを、散歩と変わらないように捉えて考察するなんて。論文を書くようなエラい先生が、そんなこともわからないのですか。
とは言っても、長期療養を前提とした病院か施設で働くスタッフなら誰でも感じることでもある。徘徊する人の方が、うつで引きこもる人よりも長生きする。歩かなくなり、食べなくなると、「もう先は長くないね」とスタッフがささやきあうことになる。
そういう場面に何度となく遭遇しているうちに、徘徊でも良いから歩いて欲しいと思うようになる。スタッフも辛いんだなと。長く勤務して理解した。
「徘徊」を「散歩」にできたら、素敵だなぁと、最近思って、そういう関わりを意識している。
ベッドでぼんやり横になっているよりは、徘徊している方がマシ。同じ歩くなら困って歩くより笑って歩く方がマシ。
梅雨空の景色を眺めながら、「あら~雪が降ってきたね~今年はイラ早いで」と話しながら、のんびりニコニコ歩けるようになれば、それは徘徊じゃなく散歩になっているんではないかと。
人によっては、不眠不休で歩き続けて、100km離れた場所で発見されたこともある。
理学療法の論文で、徘徊について述べているものがあった。
「歩行は全身運動であり、健康維持に欠かせない生活動作である。徘徊者は、長時間歩行するので、徘徊しない認知症患者よりも健康である。安全な歩行路を確保して、徘徊を運動機会として有効に活用すべきである。」
これを読んだ時、腹が立つと同時に、理学療法士が嫌いになった。
バカも休み休み言ってもらいたい。もう、頭の中にウジが湧いているとしか思えない。寝言は寝て言えスペシャルだ。
徘徊者の顔を見た上で言っているのだろうか。
焦った表情、不安げな表情、苦しい表情、泣きそうな表情、みんな困っていて、どうしたら良いか解らずに歩き続けているのだよ。それを、散歩と変わらないように捉えて考察するなんて。論文を書くようなエラい先生が、そんなこともわからないのですか。
とは言っても、長期療養を前提とした病院か施設で働くスタッフなら誰でも感じることでもある。徘徊する人の方が、うつで引きこもる人よりも長生きする。歩かなくなり、食べなくなると、「もう先は長くないね」とスタッフがささやきあうことになる。
そういう場面に何度となく遭遇しているうちに、徘徊でも良いから歩いて欲しいと思うようになる。スタッフも辛いんだなと。長く勤務して理解した。
「徘徊」を「散歩」にできたら、素敵だなぁと、最近思って、そういう関わりを意識している。
ベッドでぼんやり横になっているよりは、徘徊している方がマシ。同じ歩くなら困って歩くより笑って歩く方がマシ。
梅雨空の景色を眺めながら、「あら~雪が降ってきたね~今年はイラ早いで」と話しながら、のんびりニコニコ歩けるようになれば、それは徘徊じゃなく散歩になっているんではないかと。
「失行」というのは、リハビリ職なら必ず勉強する障害のひとつです。
ある動作や行為をするように指示されたとき、その動作や行為を理解していて、やる気があって、運動機能的にはできる能力があるのに、できない。そういう状態を失行と言います。
認知症があると、できないことがあれば、認知症のせいにされます。つまり、「理解できない。やる気がない。」と判断されるのです。
でも、認知症になる方の多くは、高次脳機能障害を合併しています。脳血管性の認知症の場合は特にそうです。
失行が疑われる場合、指示の仕方を変えるとすんなりできるかどうか確認します。
「この階段を昇りましょう」といってできないなら、上の階を指差して「あっちまで行きましょう」といってみます。全く足が出ない人が、びっくりするくらいすんなり階段を昇れたりします。まぁ、これで「観念運動失行」が確定するんですが。
リハビリの専門家なら誰でも知っている失行ですが、身近な存在であることを知っているリハビリ職が意外と少ない。
動作がどこかぎこちなかったり、場面によってできる能力が大きく変わる場合、「理解できているのに、やる気はあるのに、できない。そのことをうまく伝えられない。もしかしたらそういう状態かも」と思って、対応の仕方を変えてみて下さい。
言葉のかけ方、たったそれだけのことで、その人が生きやすくなる可能性があります。それに気づいてあげられるのは、身近なリハビリ専門職だけかもしれません。
ある動作や行為をするように指示されたとき、その動作や行為を理解していて、やる気があって、運動機能的にはできる能力があるのに、できない。そういう状態を失行と言います。
認知症があると、できないことがあれば、認知症のせいにされます。つまり、「理解できない。やる気がない。」と判断されるのです。
でも、認知症になる方の多くは、高次脳機能障害を合併しています。脳血管性の認知症の場合は特にそうです。
失行が疑われる場合、指示の仕方を変えるとすんなりできるかどうか確認します。
「この階段を昇りましょう」といってできないなら、上の階を指差して「あっちまで行きましょう」といってみます。全く足が出ない人が、びっくりするくらいすんなり階段を昇れたりします。まぁ、これで「観念運動失行」が確定するんですが。
リハビリの専門家なら誰でも知っている失行ですが、身近な存在であることを知っているリハビリ職が意外と少ない。
動作がどこかぎこちなかったり、場面によってできる能力が大きく変わる場合、「理解できているのに、やる気はあるのに、できない。そのことをうまく伝えられない。もしかしたらそういう状態かも」と思って、対応の仕方を変えてみて下さい。
言葉のかけ方、たったそれだけのことで、その人が生きやすくなる可能性があります。それに気づいてあげられるのは、身近なリハビリ専門職だけかもしれません。
「見立て」は大切です。特に医療専門職には、何よりも見立てが大切です。治療技術がなくてもしっかり見立てられれば、技術がある人にお願いできます。見立てられないと、どんなに治療技術を磨いても、患者さんのためになる仕事ができなかったりします。
介護分野では、最も大切なのは「自己選択」だと言われます。利用者さんに選んでもらう。簡単そうですが、実は難しい。表面上の希望と、心の奥にあるニーズが異なる場合があるからです。見立てようとせずに、言われた事だけ聞き入れていると、結果として利用者さんのためになる仕事ができなかったりします。
そう考えると、介護分野でも一番大切なのは「見立て」だということになりますね。
医療専門職と同じように、介護専門職も、専門家としての「見立て」が何よりも大切です。
介護分野では、最も大切なのは「自己選択」だと言われます。利用者さんに選んでもらう。簡単そうですが、実は難しい。表面上の希望と、心の奥にあるニーズが異なる場合があるからです。見立てようとせずに、言われた事だけ聞き入れていると、結果として利用者さんのためになる仕事ができなかったりします。
そう考えると、介護分野でも一番大切なのは「見立て」だということになりますね。
医療専門職と同じように、介護専門職も、専門家としての「見立て」が何よりも大切です。

