たぶんこうだったんじゃないか(?)愛の劇場

「すまない、ナオコ。隠すつもりは、なかったんだ! 妻とは別れるつもりだ。だから、ぼくと結婚してほしい、ナオコ!?」
「……いいえ。そんなこと、仰らないで。……奥様のこと、大切にして。……ありがとう。これまでのこと、とっても、楽しかった。短い間だったけど、わたし、とっても幸せでした。でも、もう、終わりにしましょ。……さよなら」
零れ落ちそうになる涙をこらえ、彼女はそっと指で目を拭う。彼女は逃げるように彼に背を向け、足早に街の雑踏にとけこんでゆく。彼を振り返ることはなかった……。

この物語はフィクションであり、完全に作者の妄想です。カタカナ表記にすると、まるで研さんみたいで、ちょっとアレなんですが。

 

 


多摩市・カナメさんからのリクエスト。河合奈保子&ジャッキー・チェン『愛のセレナーデ』、日本語、中国語バージョンをお送りしました。『ハーフムーン・セレナーデ』とは違う意味で、泣きながら聴いているそうです。
 

(1)“スキャンダル処女”が見舞われた「あの一件」のこと

浮いた噂ひとつなかった超清純派、アイドル優等生だった河合奈保子に、ただ一度流れたかの世界的ムービースターとの浮き名。さすがの80年代の芸能事情に無知な「にわか奈保子」なワタシも、この一件のことは存じております。ただ、ワタシはこれを「スキャンダル」にはカウントしておりません。事実として、報道自体が「憶測」の域を出ていないように思われるからです。エビデンスって大事ですよね。(ファンとしては、これは「ロマンス」と呼びたい)
ただ、この一件の真相に迫ろうと思ったら、それこそアダルトウルフガイシリーズ(平井和正)の犬神明みたいな、不死身超人のルポライターでないと無理かもしれません。なにしろお相手である世界的ムービースターのバックには、香港黒社会がついているのですから。

それにしても奈保子さん、あなたという人は!? 知れば知るほど、あなたは凄すぎる。流す浮き名もレべチ。
一体、どんな気持ちだったんでしょうね? 本人的にも、ちょっと怖かったと思うんですよ? ○ャッキーにアタックされるのって。
学校の不良番長が、どうやら自分のことを好きらしい……? そのシチュエーションを何万倍にも増幅した感じ?
「どうしよう!? わたし、○ャッキーに狙われてる!? ……わたしの胸を!?
(そんなこと、思いません)


あんまり無下に振ってしまったら、香港黒社会が動くかもしれない?
とは云え、そこは奈保子さんのことですから、
「少し距離を置いて」
「うまくやってゆける」

自信があったのかもしれません。

いや、真面目な話、これはワタシの直観の話ですが、奈保子さん、けっこう本気だったのではないでしょうか。
もし何の問題もなければ、後藤久美子♥ジャン・アレジ並みの世界的ビッグカップルの誕生になっていたはずでした。しかし、問題はありました。それは彼に、すでに妻子がいたことです。

整理しましょう。
●ほぼ事実/○ャッキーは河合奈保子にゾッコンで、猛アプローチを仕掛けていた。
●事実/ふたりが1988年にデュエット曲を出した。
●事実に基づく推測/その後のふたりの接点、目撃報告はなく、「破局」したものと思われる。

当時、25歳。立派なオトナのレディです。下種なことは云いません、野暮なことは云いたくありません。
さんざん云ってる気もしますが、それは「好き」だからこその一種の「からかい」であって、自分なりの「節度」というものはあります。
中国か台湾か、あちらの番組でそのデュエット曲を歌う、ふたりの動画を見ました。○ャッキーは奈保子さんの頬にキスをし、それを奈保子さんは当然のように微笑んで受け止めていました。

……ズキリと胸が疼きましたね。これが「嫉妬」かと、自覚しました(笑)。奈保子さんのほっぺにチューのことを云っているのではありません。いや、確かにそれも、あるっちゃあります。コノヤローという気持ちは。でも、それよりも、このシーンから垣間見える「ふたりの関係性」に対してです。ああ、ふたりは「恋仲」なのだなと……。
お相手は日本人ではない、世界的ムービースターです。頬にキスなど、挨拶のようなもの。その解釈は可能かもしれません。ネットをざっと調べたところでも「話題作りのためのフェイク」とする説のほうが、むしろ優力であるように思われました。そのほうが、ワタシ的にも好都合です。それでも、ワタシは奈保子さんの物腰に、それを直観してしまったのです。認めたくないにも関わらず。

ああ、これがアイドルの恋愛に、ファンが抱く気持ちなのかと、初めて実感したような気がします。これが「疑似恋愛」というものかと。
思えば、Folder 5・AKINAに始まるワタシのアイドル遍歴は、本当の意味で疑似恋愛ではなかったのかもしれません。ワタシはビビる大木さんに、こうした感情を抱いたことはなかったからです。
よくもおれのAKINAちゃんを! もっぺん電波少年的刑事からやり直せ! ――そんな気持ちには、まったくならなかったのです。
おめでとう、幸せになってね。――そう心から祝福する気持ちしかありませんでした。
それは、こちらが遥かに年上であって、父親か、ずっと年の離れた兄のような気分であって、疑似恋愛とは程遠かったからではないかと思います。その意味で、本当の意味での「アイドル」ではなかったのかもしれません。
ワタシの人生における真の「アイドル」は、もしかすると三つ年上の河合奈保子さんだけだったのかもしれません。

 

こぼれ話 ~ そもそも、条件が違う? ~
まあ、ビビる大木さんはカメラの前で、妻にキスしたりはしてませんからね……。(共演自体、一度きり※)
有り得ないことをあえて仮定して云えば、もしそんなことをされたとしたら、ドラマでキスをした成宮寛貴には覚えなかった感情をさすがに覚えるかもしれません。
いくら「父親」だからって、目の前で娘にキスされたら「おい」ってなりますよね?


奈保子さんがワタシ以外の誰かを好きになって、ワタシ以外の誰かと好き合うことをもちろんワタシは望みません。それでも彼女が失恋をし、哀しみに涙するとしたら、ワタシは喜ぶどころか、それをまるで自分のことのように哀しまずにはいられません。
冒頭のドラマはもちろんワタシの妄想であるわけですが、それでもこの彼女に感情移入し、泣きそうになっている自分がいます。

「恋仲」であったというワタシの直観が正しかったとして、その上で「破局」に至ったという事実に照らし合わせれば、たとえ妄想でも、その真実味には自信をもっています。
彼女がなぜあれほどの歌唱力をもちながら、デビューから『夏のヒロイン』までの約二年間、ド直球のアイドルソングを歌い続けたのか? トップアイドルとしての彼女のステータスからすれば、やめようと思えばやめられたはずの「水着」をなぜ恥ずかしがりながらも続けてくれたのか? この二つは通底しています。
前者はスタッフがそれを望み、期待したから。後者はファンがそれを求め、願ったから。彼女は自分の願望よりも、そうした周囲の人々の気持ちに寄り添おうとする、そんな人なのだとワタシは思います。彼女はなにを訊かれても「ハイ」と返事をするだけの「自分の無い」「云い成り」の娘なのでは決してなく、それこそが彼女の強烈な「意志」であり「個性」なのです。
そんな彼女の優しい気立て、人柄が、真似することも、また真似させることもできない、河合奈保子という類まれな理想像としてのアイドルをつくり上げたのだとワタシは思います。

そんな彼女が、ひとの家庭を壊し、幸福を奪い、夫を掠奪してまで、自分が幸せになろうなどと、思うはずがないではありませんか。

彼に妻子がいることを知らず恋仲になったのだとすれば、そのことを知った彼女は大ショックであったはずです。そんな彼女がとったであろう態度は、
「騙したのね!」というビンタ平手打ちではなく、
「奥さんと別れて!」という略奪女の脅迫でもなかったはずです。
彼女の口にしたのは、これまでの感謝であり、静かな、そして毅然としたお別れの言葉であったと思うのです。
(……見たんか!?)

 

この件の「報道」について、ワタシはさほど重きを置いていません。
河合奈保子がタクシーで○ャッキーが逗留するホテルに赴き、朝帰りした。……それが、何だというのでしょう? それで二人が深い仲だとでも? ……裁判なら、まったく証拠不十分。奈保子・勝訴!
まあ普通に、常識的に考えて……そういうことでしょ? という「憶測」に過ぎません。

奈保子さんはこのことで詰め寄る芸能記者たちに、こう答えたといいいます。
「スタッフの皆さんと一緒に食事を楽しんで、朝まで楽しく過ごしました」
実際、この言葉通りだったかもしれません。朝までオールでワイワイ飲み食いすることって、あるじゃないですか? ワタシにだってありますよ。

ワタシはなにも、彼女の純潔を信じたいあまり、この可能性に縋りたいという気持ちはありません。それはどうでもいい。それよりは、ふたりの映像をこの眼で見た、その直観が全てです。
さらに上記のコメントのあとで記者にジャッキー氏の存在について訊かれ、こう答えたそうです。
「とても大切な男性です」
この言葉は決定的でしょう。これは「お付き合いしています」の云い換えであり、誰もがそう解釈する言葉です。奈保子さんもそれを承知で発言したはずです。

ふたりの仲がどうであったのか。あえて下卑た言葉を使えば「できていた」のか? それは本当にわかりません。ただ、奈保子さんの気持ちは、本気で彼に傾いていたと思われます。

 

というか、やっぱりワタシは、自分の胸の疼きを犠牲にしても(笑)、この件をロマンチックに解釈したいという自分がいます。
云っても、人妻の過去形のロマンスなのですから。

 

妄想・母と娘の会話

決定的な証拠はなく、当事者が口を閉ざしている以上、真実は闇の中。それでも、ごくごく身近な人は、当事者の口から直接それを聞いたかもしれません。たとえば、こんなふうに。

「ねえ、ママ」
「なあに?」
「実際、どうだったの? あのひとと」
「なんの話?」
「とぼけないで。ジャッキーさんとのことよ」
(苦笑いして)「その話? やめてよ、もう……」
「いいじゃない。教えてってば」
「しょうがない子ね……。パパには内緒よ?」
「うんうん……!」
(口を娘の耳元に寄せヒソヒソ声で)「実はね――」

これは、そういうレベルのお話なんですよ。

この物語もフィクションであり、完全に作者の妄想です。


(2)アイドルとファンの「終わり方」と「続き方」

ワタシにとり真の「アイドル」が、彼女だけなのだとすれば――この数年後、彼女は正式に結婚することになるのですが、それを「ファン」として受け止めることができなかったのは、一生ものの「不覚」です。

ショックを受けろよ。そして、泣けよ。
……おめでとう。どうか、幸せになってください。
……でも、本当を云えば、悔しい。あなたが選んだ相手のことが、恨めしい。
引き裂かれる、「建前」と「本音」。好きな女性には、幸せになってほしい。その気持ちに真実、偽りはありません。でも、その相手は自分ではない。そのことに身悶えするような、狂おしい嫉妬を覚える。顔で笑って、心で泣いて。それを味わうのが、アイドルに想いを寄せた「ファン」の宿命であり人生の妙味であり、通過儀礼というものではないでしょうか。ワタシはその唯一の対象であった奈保子さんに対し、その機会を逃してしまいました。悔やんでも悔やみきれません。

ワタシは「第2回」で、河合奈保子が「アイドルの理想像」である根拠のひとつとして、これを挙げました。
結婚~出産を機に事実上の引退をし、ファンの思い出を美しいままに守った。

けれども、それは本当の本心では、実はありません。
それは本当は「負け惜しみ」のようなもので、そりゃあ辞めてしまったら、それを「肯定」するしかないじゃないですか? 見事だと。美しいと。

でも、それは本当の本心じゃありません。
見事じゃなくていい、美しくなくてもいい。マスメディアを通した「身近」にいつもいて、元気な姿を見せていて欲しかった――。それが、本当の本音です。

たとえ、みっともないことをやらかして、少し「ガッカリ」してしまったとしても。
モーニング娘。で、最初に好きになったのは、あの矢口真里さんでした。(「あの」って……)
彼女はセクシービームの撃ち過ぎで、ちょっとつまずいてしまいました。けれども、責めるつもりはまったくありません。そんな資格はワタシにはないと思っています。

好意を抱いたアイドルに、ワタシが心の中で、どれだけいやらしい行為に及んできたことか。ひとのことを道徳的にとやかく云えた義理ではありません。
心の中でしたことは罪ではない、そういう考えはできます。しかし、これは「紙一重」だと思います。ワタシは「不倫」をせずに済んでいますが、それはそれをさせてくれる相手がいなかっただけ、それで幸運にも、罪を犯す機会から免れただけの話です。

ゆきりんことAKB48・柏木由紀さんも、なかなかのスキャンダル女王です。最初の頃は、あんなに「清楚そうな感じ」だったのに?(笑) 「かわいいふりして あの子 わりとやるもんだね」という、あみんの「待つわ」の歌詞そのまんま。
彼女のことも、ワタシは責められません。もしワタシの顔があの美貌であったなら? もしワタシの身体があの素晴らしいプロポーションであったなら? 間違いなくワタシは、ゆきりんよりもっとゆきりんだったと思います。

アイドルも人間ですから、活動を続けていれば、いろいろとやらかしてしまうこともあるでしょう。「炎上」騒ぎを起こすことも。さらに生身の人間の宿命として、容姿もまた「老い」「衰えて」いきます。

ファンの淡く、そして烈しい「恋」も、次第に鎮まっていくでしょう。彼には現実の恋人ができ、結婚して家庭を築き、やがて子供が生まれます。

テレビの画面に映る、街ぶらグルメ番組にゲスト出演している「元アイドル」のそのひとを見ながら、
「このひと、若い頃はほんとうに可愛くってさ、おれ、大好きだったんだよね。大ファンだったんだよ……」
父親となった彼は、子供に向かって、そんなふうに語りかけている……。
そこには一抹の寂しさ、哀しさがあります。けれども、それこそが最も健やかで幸福な、アイドルとファンの「終わり方」であり、「続き方」ではないでしょうか……。


彼にとりそのひとは、もはや「アイドル」ではありません。「恋愛」感情は、ない。「性衝動」も、もはや覚えない。彼女の伴侶への「嫉妬」も。それでも、自分が青春を捧げた、大切なひとであることに変わりはない。芸能人という自分の実生活とは隔絶した「限りなくファンタジーな現実存在」に対する「疑似恋愛」は、云わば「疑似家族」とでも云うべき愛情へと昇華している。彼はこれからも、そのひとを見守り続ける。そんな関係は、これからも続いてゆくのです……。

(3)ゴールドコーストの「魔性の女」……?

そんな、健やかで幸福なアイドルとファンの関係とは、河合奈保子とそのファンのそれが、まさに対極であることに気付かざるを得ません。

彼女は何も告げず、芸能界をフェイドアウトしました。「引退」とも「休業」とも、明確な意思表示をしないまま。
「子育てに専念」という話でさえ、伝え聞く「情報」でしかありません。

奈保子ファンは、終われない。
彼女が大ホールの引退コンサートで『ハーフムーン・セレナーデ』を熱唱し、ステージにマイクを置いたのなら(そこまで丸パクリはしないでしょうけど……)、ファンはそこで「終われ」たはずです。でも、そうではなかった。
「復帰」への淡い期待と希望を抱いたまま、長い長い時を「煉獄」に置き去りにされて過ごしている……。
幸か不幸か、その長い時を「河合奈保子に無関心だった人間」として、すっ跳ばして来たワタシには、その怨み言を申し上げる資格を持ちません。それでも、ちょっとだけこう思います。

罪な女(ひと)だ。あなたは……。

万々が一、あなたがこのブログをお読みになっていたとして、ゴールドコーストの昼下がり、アフタヌーンティーを優雅に口にしながら、ひとりのばかなファンの妄言に「ウフフ……」と笑みをこほしているのでしょうか。

ワタシの脳内には、「白い奈保子」と「黒い奈保子」の両方が、重なって映っています。
『スマイル・フォー・ミー』の真っ直ぐで、朗らかで、そして可愛らしい天使のようなあなたも、『刹那の夏』の小昏く、妖しい、絡みつくようなセクシーな魔女のようなあなたも、そのいずれも、ともにあなたです。その両方に、いまのワタシは、夢中で、虜です。

「聖子」や「明菜」とは、まったく違うタイプでありながら、彼女らがまさにそうであるように、あなたもまた、幸福な「元アイドルのタレントさん」にはなれない、「歌の神」に人生と魂を捧げた“巫女”として生きている。あなたが背負い身にまとう雷雲のごとき宿命(さだめ)は、あなたを想うファンをも巻き添えにせずにはおかない……。

それは、ファンにとっての「誇り」です。でもそれは、もしかしたら「不幸」なことなのかもしれません。
それでもいい。それで、本望。あなたのためなら、「不幸」になっても。ワタシはファンとして、「不幸」な「誇り」を抱いて生きる。
こういうのを「不幸自慢」って云うんですかね?

とまあ、そんなことを云いながら、ワタシはいま、とても幸せを感じています。ただいま『ヤング・ボーイ』とB面(レコード時代の呼び方をします)の『青い視線』を絶賛パワープレイ中です。

青春の追憶と新しい発見のコンボは、自己の体験としてこれに勝るものはありません。知れば知るほど、あなたを好きになる。掘れば掘るほど、あなたの凄さを知る。
昔のワタシは一体なにを見てたんでしょうね……。やっぱり、あなたの「胸」しか……いや失礼、可愛らしい「ルックス」にしか眼が行っていなかったのだと思います。

罪滅ぼしにもならないですが、こうして四〇年遅れの新米ファンとして、「推し活」をしています。
過ぎた時間は巻き戻せませんが、それでも知らずに死なずに、ほんとによかった。あなたにこうして、再び逢えて。それはワタシの人生の、何よりの幸運です。

最後に今回は、エンディングもお届けしましょう。
多摩市・カナメさんからのリクエストは、河合奈保子『北駅のソリチュード』。しっとりとお聴きください。

 

……「カラオケ」っぽいとか云わないでください。思いましたけど、ワタシも。「出演、河合奈保子」……なんて贅沢なビデオカラオケなんだ。回想シーンで挿入されるデートの思い出、その幸せそうな様子が……余計に切なくなります。胸がシクシクします。女優・河合奈保子の活躍はまだよく視ていませんが、演技者としての彼女も才にも、期待してしまいます。

 

こぼれ話 ~ 幸せになれない大女優・満島ひかりのこと ~
AKINAさんのことを語って、このひとをスルーするわけにもいきません。が、このひとは離婚されてしまったわけで、本文には組み込めませんでした。
※主演作「川の底からこんにちは」の監督・石井裕也氏と2010年に結婚するも、その後離婚。
このひともまた、以前に述べた「田中み〇実のジレンマ」に該当するひとなのだろうなと思います。自身の生き方が「自分第一」である限り、相手の男性は「ぼくは君の何なんだ?」という気になってしまうのだと思うのです。
「女房」として、かしずいてくれる男ならゴマンといるはずです。でも哀しいかな、彼女はそんな男に興味はない。自立した、ひとがとの、自分の世界を築いている男が好きなんですよ。自分とは、うまくいかないタイプの男が(苦笑)。噂になった永山絢斗とも破局したようですし。
※映画「海辺の生と死」※で共演。木村カエラと縁戚になるのも悪くないと思ったものですが……。
グループ時代はマイペースでセルフィッシュに見えたAKINAが、かわいらしい奥様で母親になり、目立たない風で目立っていた・おとなし気なナンバー2だったHIKARIが、煌びやかでそして孤独な「女優」の道を歩んでいる。
人生って、人間って、不思議で面白いものですね。

 

※ワタシがいかに80年代の芸能事情に無知かを述べた第3回

 

※日刊大衆【公式】 芸能ジャーナリストが香港マフィアに脅された話。余談ですが、文字起こしに笑いました。「芸者」って……(笑)。「迎車」な。なんで河合家に「芸者」が来るんだよ!?(腹痛い……(笑))


※現代では完全アウトの伝説企画「電波少年的刑事」の思い出に、妻・AKINAとの唯一の共演でもあったネット配信番組について語った日記はこちら。


※ホテル朝帰り報道を詰められた際の対応についてのネタ元はこちら。


※現役当時と同じ時間をかけて河合奈保子の歌手人生を追跡・追体験する四〇年遅れの「推し活」計画の全容と、『ハーフムーン・セレナーデ』で号泣の第2回

 

次回予想
この先の完成稿は、いまはありません。少々お待ちいただくことになるかもしれません。
・予想の本命は、いよいよ奈保子話の本丸、彼女の「水着」について。2016年、写真集『再会の夏』が発売されました。芸能界を去って約20年、いまだ写真集が出るアイドル!? そんなひと、ほかにいますか!? 水着に選ばれ、水着に愛されたアイドル、それが奈保子! たとえ彼女自身がいやがり、恥ずかしがりがろうと、水着がそれを赦さない。水着が彼女を追いかける。ビキニの上と下が、まるで蝶々のようにヒラヒラと、「大胆過ぎるビキニよ~♪」と口ずさみながら。それが奈保子!!! 彼女の決してパーフェクトとは云えない、コラーゲンちょい増し、ふっくらプニプニぷよぷよボディに、なぜ世の男はかくも魅了されるのか? 愚見を述べたいと思います。ワタシの心に棲む妄想・奈保子さんも大活躍する予定です。

 

 

・対抗はここへ来て衝動に駆られてしまった(平井和正ファン風に云うと「言霊」が来た)「創作」。奈保子話がどう「創作」になるのか? かつて挫折したFolder 5小説の二の舞か? あんなフル小説にするつもりも自信もないので、発表形態については乞うご期待。

・『新装版 わたぼうし翔んだ』を注文しました。間もなく届くはずです。この本が新刊で買えるとは思わなかった。読んだら泣いちゃうかも。読後の心境次第では、こちらになる可能性も。

・もうひとつ、DVD『河合奈保子 プレミアムコレクション』も、いっしょに注文してます。1981年から86年にかけて全6回出場した「紅白歌合戦」を視られるだなんて!? ありがたい。感謝します。辞めてからどんだけ奈保子で儲けてんだ? とか云ったりしません。
 

 

 

・完全にワタシの推し活ローカルルールの話ですが、来たる10月10日にファーストアルバム『LOVE』がワタシ的にダウンロード解禁になります(笑)。次回発表がこの日以降にずれ込むようなら、こっちになる可能性も大。

・関係ないけど、「ブギウギ」では久々に朝ドラ日記がまた始まるかもですね。芸能界テーマだし、期待値大です。番宣で初めて見ましたけど、趣里さんっていいわ。才能ビシビシ感じてしまいました。
 

 

書きたいことは山のようにあり、さらに次々と書きたいことが浮かんで来る。もうすぐ終わるバラエティ番組のCMまたぎのようにではなく、偽りなく「河合奈保子の世界」はまだまだ続きます。完全にそっちテーマのブログになるかもね。引き続き、うちの奈保子をよろしくお願いします。

 

 

2023.10.01 一部加筆・修正変更
2024.03.10 改訂・大幅加筆・一部変更