予め下記ブログから表題と同じ文章を探して読んでから始めて下さい。
http://blog.livedoor.jp/nnnhhhkkk/archives/cat_60245821.html
第三回] 三橋貴明経済理論の限界
曰く:
例えばデフレギャップだ。GDPギャップとも呼ぶが、これには貨幣的要因と実物的要因 が絡む。三橋 の場合は貨幣的要因についてのみでGDPギャップを語り、だから公共事業が必要だと主張するのがパターン化している。例えば電気自動車しか市場では売れなくなり、内燃機関の自動車設備が稼動しなくなった場合、これは実物的要因である。この場合はどんなに財政出動しても全く効果がない。照明市場だって、例えばLEDしか売れなくなれば電球や蛍光灯を作る設備は不要になる。こうなると、財政で直接内燃機関の自動車や電球や蛍光灯を買わないとGDPギャップは埋まらないことになる。
コメント:
池田信夫氏は自己のブログで
「主要部分では、GDPギャップを「需要と供給のギャップ」と取り違えてトンチンカンな話をしている。」
と、三橋氏を批判している。となると、このブログ主はブータンではない?
デフレギャップで話をしているのに、なぜGDPギャップなる言葉が必要なのか?
内燃機関の自動車より、電気自動車の方が高価である。LEDの方が高価である。GDPギャップ(デフレ)が生じるか?ま、安かったとすれば・・その時は数が捌けるし、企業も売り上げ対策はするだろうし・・。しかし、なんで財政で電球を買う話になるの?
曰く:
もはやこの世にいらない設備を無理やり稼動させてまでGDPギャップを埋めることに何の意味があるだろうか?
コメント:
電気自動車を作って売ればDGPは計上される。なんでいらない設備を稼動させる話になるのか?
曰く:
そして需要があった物も、・・・(中略)・・・こういった民間の努力やアイディアによるイノベーションは財政出動ではどうにもならないのだ。
コメント:
当たり前の話じゃないか?何が言いたいのだ?半世紀近く昔、日本碍子という会社が100年使える碍子を作った。そんなもの売ったらその内に碍子は売れなくなると言われた。送電の容量も設備も範囲も、時代と共に大きく変わり、日本碍子は今も存在している。国家が成長してゆく中で耐久消費財の典型のような品物でもスクラップ&ビルドされて行く。
曰く:
どっかの経済をわかっていない精神科医 が、生産性を上げない方がいいなんて書いていたが、電子部品などの凡用品で生産性を落としたら、価格競争で敗北してシェアなんてすぐ奪われてしまう。微細加工、ダウンサイジング、生産性の向上をやり続け、そして価格競争に勝つことで世界シェアを奪い取れるのだ。
コメント:
供給を増やしたらデフレ退治に逆行しますよ、と、例えで言っているだけである。「生産性をあげないで」という話がなぜ「生産性を落としたら」という話になる。なぜ、上げられる生産性を上げるな、価格競争に負けても上げるな、などと言う話しになるのか?反論するなら「デフレ脱却」にからめて反論しろ。反論するなら、生産性を上げて供給を増やしてもxxの観点からデフレに影響を与えない、という説明をするべきだ。
曰く:
話は逸れたが、産業界はこういう状況下であるのだから、GDPギャップの正しい計算など不可能である。つまり、そんな数字に何の意味もないのである。
コメント:
池田信夫氏のブログより
「主要部分では、GDPギャップを「需要と供給のギャップ」と取り違えてトンチンカンな話をしている。以前の記事 でも書いたように、GDPギャップは潜在GDPと現実のGDPの差なので、「構造改革で生産性を上げると、供給が増えてGDPギャップが拡大する」という話はナンセンスである。」
何の意味もない数字を何でこんな取り上げ方をしているのか?
正しい計算など不可能である?当たり前だろが、おおよそ、粗粗で何ぼという話だ。
曰く:
戦後間もない頃の日本では、・・・(中略)・・・残ったのは莫大な国債残高である。ようは国民の金融資産を無駄遣いしてきただけの話だ。
コメント:
長々と公共事業批判を述べている。
財政出動をするべきなのか?そうでないのか?出動するべきなら、公共事業よりもxxを行うべきだという具体的な意見を述べて自分の土俵に相手を呼ぶべきである。xxなら、乗数効果は下回っても、公共事業より無駄のない、クリーンな運営が行われるというものがあるなら、明示して根拠を示すべきである。民間でと言うなら、それを例示するべきであろう。この人は、三橋氏が公共事業ではなく福祉に、介護に、財政出動しろと言ったら、折口某を例にとって、跳梁跋扈する利権屋を例にとって非難したのではないか。クリーンな運営を前提にするのは、当然の話である。それをどうするかは別の土俵で議論すれば良い。
曰く:
そしてこうも言う。国債は国民の資産だと。
これは国債を発行する言い訳としてよく使われる戯言なのだが、この理屈が通用するのは借り換えが可能なうちだけの話だ。借り換えが不能に陥った時のことは一切考えていない。
自国通貨建ての国債を発行した国でデフォルトした例はないそうだから、ようするに最悪ハイパーインフレを起こしてでも刷ればいいという考えだろう。
コメント:
どういう時に借り換えが不能になるのか?具体例を示すべきである。彼は最初の章でこう書いている。
「銀行でも政府でも個人でもいいが、延々と借り換えと貯蓄をやり続ければ負債も資産も無限に積み上がってしまう。なぜ積み上がってしまうのかと言えば、政府が無理やりお金を使い、個人はお金を使わないで貯蓄してしまうからに他ならない。」
貯蓄に積み上がったお金の行き先は?
[一言]
論戦の基幹となる部分では「論拠」が必要である。できるなら、やさしくかいつまんで説明するべきである。できないなら、参考文献を示すべきである。
日本がハイパーインフレになる論拠を示すべきである。
学者が数式を使ってあれこれ書いた文献などを提示しなくてよい。
貿易黒字国、大量の外貨が蓄積された国、お隣に中国がある国、そんな国でも、xxの理由でジンバブエやアルゼンチンと同様にみなせる、と説明するだけで良い。