今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -408ページ目

ホタルのヒカリ

『夏の風物詩』


ども!TK89です。

昨日の夜、愛知県豊橋市のとある川のとある畔へ行き、ホタルの求愛活動を覗き見してきた。

今日は何の日?【トリビアン】で雑学王

やっぱりホタルの光を写真に収めることはできませんでした。写真としてお伝えする事ができなくて残念だけど、幻想的で感動的だった。自分のデジカメの光を間違えてカメラにホタルがとまるなんてこともあった。


ホタルが発光する能力を獲得したのは、「敵を脅かすため」、「食べるとまずいことを警告する警戒色」という説もあるというが、配偶行動の交信に発光を用いており、やはり「交尾のために発光能力を獲得した」という説が有力だそう。

また、今回ホタル観賞に行ってきた訳だけど、そのホタル観賞のことを「ホタル狩り」というそう。な~んか変な日本語。そのホタル狩りの唄が、「ほ~ほ~ホタル来いこっちの水は甘いぞ♪」って唄。「甘い水」って言っても甘味のついた水に集まる訳ではなく、農薬や洗剤に汚染されていない綺麗な水って意味で唄ってるそう。

昔はホタルってちょっとした田舎の川に行けば見る事ができたそう。6月11日である昨日は原発反対デモが各地で行われていた。人が生きていく上で絶対必要なものの一つ「水」。汚染水なんて言葉も最近よく聞くが、日本人の昔からの夏の楽しみの一つ「ホタル狩り」。おっきなことは言えないけど、自分の未来の子どもにも見せてあげられるようにしたいなぁなんて思った。

チャオ!

今日という日【6月12日】

■日本初の原子力船進水


1969年6月12日。


石川島播磨重工業東京第2工場にて日本初の原子力船むつ」の進水式が行われた。進水とは船体のできあがった新造の艦船を、陸上の造船台から水面に浮かべる事をいう。船内装備などはそのあとに行う。


軍艦を別にすれば原子炉を動力源とする船を建造した国は少なく、旧ソ連の砕氷船「レーニン号」、アメリカの貸客船「サバンナ号」、当時の西ドイツ鉱石運搬船「オットー・ハーン号」に続く世界でも4番目の成果であった。

1963年に建造計画が決まり、1968年に着工。1972年に核燃料が装荷され1974年に出力上昇試験が太平洋上で開始された。試験開始早々の低出力で放射線漏れが発生し、帰港を余儀なくされるも、地元むつ市の市民は放射線漏れを起こした本船の帰港を拒否したため漂白した。長崎県佐世保市、むつ市大湊港での母校化反対運動により、帰る場所を失ったまま、長い話し合いの末に新母校としてむつ市関根浜港が決まった。

1990年にむつ市の関根浜港岸壁で低出力運転の試験を行い、その後4度の航海中に出力上昇試験と公試を行った結果、1991年2月に船舶と原子炉について合格証を得た。

その後、1992年1月に全ての航海を終了した。現在は、ディーゼル機関に積み替えられた船体が独立行政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)の「みらい」として運航されているほか、取り去られた原子炉室がむつ市のむつ科学技術館で展示されている。


当時海運業界から原子力が注目され、原子力船運航員養成のため、神戸商船大学に原子動力学科が開設された。原子力船は巨大かつ長期間運航させてたくさん稼ぎ続けなければ採算が取れないという経済性の観点から西側諸国の原子力船計画は全て中止され、現在も建造を続けているのはロシアのみとなっている。ロシアでは北極海を航行する砕氷船を中心に10隻(2007年現在)の原子力船が就航している。


原子力船「むつ」は建造当時の大型タンカーが「むつ」の船腹に全速力で衝突しても、タンカーの船首が原子炉にまで到達しないほどの強度設計がなされていた。また、万一「むつ」が沈没した場合は深海の圧力で原子炉格納容器が圧壊することがないよう、海水の圧力で早期に格納容器に海水を導入するよう設計されていた。

今日という日【6月11日】

■日本列島改造論


1972年6月11日。


田中角栄」の主張及び著書として「日刊工業新聞社」から刊行された。

当時発行部数は91万部、年間4位(出版科学研究所調べ)のベストセラーとなった。「田中角栄」は、同年7月の自由民主党総裁選挙で当選し、首相となった。


日本列島改造論」には、日本列島を高速交通網(高速道路、新幹線)で結び、地方の工業化を促進し、過疎と過密や、公害の問題を同時に解決する。

イタリアやアメリカ合衆国の例が挙げられており、国土のうち、北部を工業地帯に、南部を農業地帯にすべきである(日本の現状は逆である)という持論が展開されている。

これは、「田中角栄」の出身地と地盤が新潟県中越地方にあり、中越地方の中心都市である長岡市が日本の北部に当たるという考え方に起因するとみられている。豪雪地帯の貧困の解消は、「田中角栄」の悲願であった。

田中角栄」は、本書の結びに「情報通信の全国的ネットワーク」の時代の到来を予言している。キャプテンシステムやニフティサービス等のパソコン通信サービスが一般化されるのは、10年後の80年代のことであった。