今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -33ページ目

今日という日【2月27日】

■スラバヤ沖海戦

1942年2月27日。

スラバヤ沖海戦」は、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)2月27日から3月1日にかけて、インドネシア・スラバヤ沖で日本軍のジャワ島攻略部隊を連合国軍が迎撃した海戦である。日本海軍が連合軍の艦隊を撃破し、これにより日本軍のジャワ島上陸・占領が進むこととなった。

太平洋戦争の勃発と共に、日本海軍はマレー沖海戦で英国東洋艦隊の主力戦艦2隻を撃沈し、東南アジア方面の最大の脅威を排除。日本軍は資源地帯であるオランダ領インドネシア占領を目標としていた。1942年2月になると、その中心地であるジャワ島占領を目的として、行動を開始。そのため、陸軍の上陸船団とその護衛艦隊として重巡洋艦を中心とした第五戦隊を派遣。日本船団は東西に分かれて進撃し、東部ジャワ攻略部隊として第48師団と坂口支隊が輸送船40隻に分乗。これを護衛する艦艇も含めると、総数67隻に及ぶ大規模な船団であった。これらはスラバヤ西方のクラガン海岸を上陸目標としてマカッサル海峡を南下、ジャワ海を航行していた。

連合国軍は日本軍の進撃を阻止すべく、ジャワやオーストラリアの防衛のため艦隊を再編。「トーマス・C・ハート(米海軍大将・アジア艦隊司令長官)」は「カレル・ドールマン」少将を司令長官とするABDA艦隊を編成。しかし、この艦隊は急遽編成されたアメリカ(American)・イギリス(British)・オランダ(Dutch)・オーストラリア(Australian)の各国で構成された寄せ集めで、合同しての訓練は一度も行ったことがない上に、ドールマン少将は英語を解さなかった。
母国をナチス・ドイツに占領されたオランダにとって、極東の植民地は最後の拠点。オランダ亡命政府は米軍が極東の防衛に真剣でないと判断し、アメリカ人のハート大将を解任し、オランダ人の「コンラッド・ヘルフリッヒ」中将(東インド諸島出身)を司令官とする人事を連合軍に行わせている。しかし、既に「シンガポールの戦い」でシンガポールは陥落、大規模海軍基地を失ったことで、連合軍は損傷艦の修理や補給も難しい状態になっていた。その上、「ジャワ沖海戦」や「バリ島沖海戦」などの小規模海戦で連合軍に損傷艦が続出する。ABDA連合は既に現有戦力ではジャワの防衛は不可能として撤退を始めていた。2月21日、「アーチボールド・ウェーヴェル」大将は「ウィンストン・チャーチル」英国首相に、ジャワの防衛が絶望的であると報告。2月25日の時点でジャワにはドールマン少将指揮の艦隊の他はアメリカ、オーストラリアの少数の航空機が残されているのみで、ABDA司令部の主だったメンバーは既にセイロンやオーストラリアへ脱出しており、残っているのはオランダ軍だけであった。

今日という日【2月26日】

■二・二六事件

1936年2月26日。

二・二六事件」は、1936年(昭和11年)2月26日から2月29日にかけて、日本の陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1,483人の兵を率い、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こしたクーデター未遂事件。事件後しばらくは「不祥事件」「帝都不祥事件」とも呼ばれていた。

大日本帝國陸軍内の派閥の一つである皇道派の影響を受けた一部青年将校ら(20歳代の隊付の大尉から少尉が中心)は、かねてから「昭和維新・尊皇討奸」をスローガンに、武力を以て元老重臣を殺害すれば、天皇親政が実現し、彼らが政治腐敗と考える政財界の様々な現象や、農村の困窮が収束すると考えていた。彼らは、この考えの下1936年2月26日未明に決起し、近衛歩兵第3連隊、歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、野戦重砲兵第7連隊らの部隊を指揮して、
・岡田 啓介(内閣総理大臣)
・鈴木 貫太郎(侍従長)
・斎藤 實(内大臣)
・高橋 是清(大蔵大臣)
・渡辺 錠太郎(陸軍教育総監)
・牧野 伸顕(前内大臣)
の殺害を図り、斎藤内大臣、高橋蔵相、及び渡辺教育総監を殺害。また岡田総理も殺害と発表された(但し誤認)。

その上で、彼らは軍首脳を経由して昭和天皇に昭和維新を訴えた。しかし軍と政府は、彼らを「叛乱軍」として武力鎮圧を決意し、包囲して投降を呼びかけた。反乱将校たちは下士官・兵を原隊に復帰させ、一部は自決したが、大半の将校は投降して法廷闘争を図った。

今日という日【2月25日】

■大阪ニセ夜間金庫

1973年2月25日。

1973年2月25日、大阪市北区梅田の三和銀行(現:三菱東京UFJ銀行)阪急梅田北支店の夜間金庫に客が現金を投入したところ、金庫の表面が膨れあがり、不審に思った客が警備員に連絡。駆けつけた警備員と銀行職員が調べ、すぐにニセの夜間金庫と判明。近くに有る本物の夜間金庫には、ニセの夜間金庫に客を誘導するために故障中の張り紙がされていた。

ニセの夜間金庫はベニヤ板製で、客の投入した現金(2,576万円)でいっぱいになり割れてしまっていたが、外観はステンレスで装飾するなど一見ニセモノだとは判らない造りになっていた。 ニセの金庫の材料入手先などから犯人検挙へ向け捜査されたが、1980年に時効が成立した。

犯人の犯行のアイデアとユーモアを感じさせる失敗から何度かテレビドラマ化された。