今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -30ページ目

今日という日【3月8日】

■国際女性デー

1904年3月8日。

国際女性デー」は、世界の記念日の一つ。「国際婦人デー」「国際女性の日」などとも呼ばれる。

1904年3月8日に、アメリカ合衆国のニューヨークで、女性労働者が婦人参政権を要求してデモを起こした。これを受けドイツの社会主義者「クララ・ツェトキン」が、1910年にコペンハーゲンで行なわれた国際社会主義者会議で「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」記念の日とするよう提唱したことから始まった。

国際女性デー」にちなむ最大の事件は、1917年にロシアで起こった「二月革命」。「国際女性デー」(当時ロシアで使われていたユリウス暦では2月23日にあたる)に首都ペトログラードで行われた女性労働者を中心としたデモは、男性労働者、更には兵士を巻き込んだ大規模な蜂起となり、最終的には帝政を崩壊に追い込んだ。
日本では1923年3月8日、社会主義フェミニスト団体「赤瀾会」が初の集会を開催。国連は1975年(国際婦人年)の3月8日以来この日を「国際婦人デー」と定め、現在は国連事務総長が女性の十全かつ平等な社会参加の環境を整備するよう、加盟国に対し呼びかける日となっている。
2000年には、国連人権高等弁務官の「メアリー・ロビンソン(Mary Robinson、アイルランド初の女性大統領)」が21世紀に向けて「女性が権利の獲得に向けたこれまでの歩みを祝うと同時に、女性被害者は、いまだに跡を絶たないことを想起する日」であると言明する文書を発表した。イタリアでは女性が互いにミモザの花を贈り合い(もともと男性が女性に贈る習慣がある)、この季節を迎えると街中にミモザの花がみられる。

今日という日【3月7日】

■王子朝鮮人学校事件

1951年3月7日。

1951年2月23日、蒲田警察署は占領目的阻害行為処罰令違反容疑で、東京都立朝鮮人中高等学校(現:東京朝鮮中高級学校)の生徒1人を検挙。捜査の結果、当時のGHQが禁止していた「新朝鮮」「前進」「朝鮮女性」等のいわゆる反占領軍的な印刷物を作成していたことが判明し、2月28日に同校を家宅捜査し、証拠物件を押収した。
しかし、翌3月1日は「三・一独立運動記念日」であったため、朝鮮人たちは「不当弾圧」と激昂し、所轄の王子警察署に300人、隣の板橋警察署に400人、赤羽警察署に40人が押しかけて抗議した。そして3月7日に「真相発表大会」と称する集会を学校内で開催、抗議デモを行うことになった。

1951年3月7日、王子警察署は周辺の道路を封鎖し、同校生徒以外の群集の流入を阻止しようとしたが、群集はそれを無視し最終的に2,000人が集まった。
集会は午前10時から始まった。一方、学校外にいた群集が警察隊に対し、投石や唐辛子粉の噴霧など抵抗したため、ある警察官が付近の民家の2階から写真を撮ろうとした。しかしそれを見た群集が民家に乱入、その警察官に暴行を加え、カメラを破壊した。応援に来ていた蔵前警察署員が救出しようとしたが、逆に返り討ちにあい、重軽傷を負わされた上、拳銃や警棒などが奪われた。
警視庁は、遂に群集を強制的に解散させることを決断、警官隊が校内に突入しようとした。群集は煉瓦や石を投げつけるなど強硬に抵抗したが、午後2時50分までに全員を校外に排除した。警察はこの事件で28人が重軽傷を負った。

警察は、事件の関係者12人を公務執行妨害罪、傷害罪、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反で逮捕し、うち6人が検察により起訴された。最終的には最高裁まで争われたが、5人が有罪となり確定(残りの1人は保釈中に逃亡した)。

今日という日【3月6日】

■「国民勤労動員令」公布・施行

1945年3月6日。

国民勤労動員令」は、1945年(昭和20年)3月6日に公布・施行された日本の勅令。同時期に閣議決定された「国民義勇隊」の編成を目的とした。

本勅令は労務関係の5勅令(国民徴用令、労務調整令、学校卒業者使用制限令、国民勤労報国協力令、女子挺身勤労令)を一本化したもの。本土決戦に備えた「国民皆働」「総員勤労配置」の実現を目標とし、文科系の大学および高等専門学校の閉鎖を実施、病人も動員の対象とした。

国民義勇隊」は、3月23日に「国民義勇隊組織ニ関スル件」として閣議決定された。
地域または職場ごとに編成され、前者は町内会・部落会を単位小隊とする市町村国民義勇隊、後者は官公署・工場・会社などを単位小隊とする職域国民義勇隊とされた。さらにその上に前記二つの義勇隊を包括した連合国民義勇隊が作られていた。対象年齢は、国民学校初等科修了から男性65歳以下、女性45歳以下とされたほか、それ以外の者も志願することができた。
本土決戦に向けた国民の組織化・民間防衛が目的で、消火活動や食糧増産、疎開作業などの工事のほか、軍需品の輸送や陣地構築などの補助的な軍事活動にあたるものとされた。実際には空襲後の戦災処理などに動員される事が多かった。なお、当面は戦闘任務に参加することまでを想定したものではなく、情勢がより緊迫化した場合に特別の措置を講じたうえで戦闘部隊とするものとされていた。ただし、戦闘部隊へと改編した後も、原則として直接戦闘以外の補助的な配置につくことが予定されていた。戦闘部隊への改編措置は、6月23日公布の義勇兵役法により法整備がされ、これにもとづき「国民義勇戦闘隊」が編成された。