今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -20ページ目

今日という日【4月7日】

■イラク日本人人質事件

2004年4月7日。

イラク日本人人質事件」は、2002年からのイラク戦争に関連して、2004年にイラク武装勢力がイラクに入国していた日本人を誘拐・拘束し、自衛隊の撤退などを求めた一連の事件。

イラク現地の武装勢力が、イラクに入国した外国籍のボランティア、NGO職員、民間企業社員、占領軍関係者などを誘拐する事件が頻発した。誘拐の要求の多くは、誘拐した外国人を人質に、彼らが本籍を置く政府に対して、自国の軍隊(日本では自衛隊)をイラクから引き上げることを要求するものであった。
被害者がボランティアを目的として入国したとすることについて、その内容の実際が、人質の一人である30代独身女性が個人的に自宅アパートで行っていた10代の男子に限定した物資の提供等であったり、高校を卒業したばかりの海外渡航未経験の未成年者による劣化ウラン弾の絵本書き(尚、この者は出版未経験者であった)のための取材がメインであったことがわかるにつれ、ボランティアとは何かとの論争を起こすきっかけともなった。
メディアの内側においては、一部新聞社が被害者宅の正確な住所を報道したり、報道陣が被害者宅に大挙して押し掛けたことについて、被害者宅すぐそばに練習グラウンドがあるJリーグチームが驚いたとの報道を行ったため、被害者宅が特定された。そのため被害者宅へ手紙や電話・FAXが集中したことや、少なからぬキャスターが批判派・擁護派の一方を肩入れするような報道を行ったりしたことが、報道被害や報道の公正という観点から問題にもなった。また各メディアの世論調査の数字の異なり(往々にして、メディア各社の報道姿勢に沿った数字が出された)などから、インターネットにおいては、2002年のサッカーワールドカップの日韓共催から始まったといわれる大手メディアの報道姿勢への非難が再燃した。
最初の事件の被害者3人のうち2人が北海道在住であったことから、被害者家族に北海道庁が東京事務所での便宜供与を行い、このため同事務所の電話回線が混雑し通常業務が円滑に働かなくなったり、職員(地方公務員)の残業手当等を含め北海道に相当の額の出費が強いられるなどの影響が出た。そのため、地元北海道では一般道民からの厳しい批判がなされ、地方自治体とボランティアの関係についての一石が投じられる形になった(九州出身の被害者については出身県庁が積極的な便宜を図らなかったためこのような論議は起こらなかったが、後に全国的に地方自治体とボランティアという形で議論がされた)。

今日という日【4月6日】

■琵琶湖遭難事故

1941年4月6日。

春休みを利用して滋賀県大津市に合宿していた金沢第四高等学校(現:金沢大学)の漕艇部員8人は、京都大学の学生ら3人を加えた合計11人で、高島郡今津町(現:高島市)の琵琶湖畔からボートに乗って午前7時頃出発。しかし、午後6時になっても戻らなかったため、翌4月7日朝より大がかりな捜索が行われた。午前10時頃に定置網にかかったオールが、更に午後2時頃には漕艇部員の持ち物と思われる下駄が発見されるなど、11人の生存は絶望視された。その後も捜索は行われたが、11人全員の遺体が発見されるまで更に2ヶ月を要した。

事故の原因は、春に起こる琵琶湖地方特有の突風「比良八荒」であると言われている。

この事故は関西方面では大きく報道されたものの、それ以外ではあまり取り上げられなかった。しかし、犠牲となった四高の生徒らを悼む「琵琶湖哀歌」が「東海林 太郎」と「小笠原 美都子」によってレコード化されると、そのヒットと相まって全国的に知れ渡った。
また、萩の浜の一角に四高の関係者と地元民の手で「四高桜」と銘した追悼の石碑が建てられた。この事故で犠牲になった11人の遺影は、金沢大学のボート庫に掲げられている。

今日という日【4月5日】

■対日理事会初会合

1946年4月5日。

対日理事会」は、太平洋戦争に敗北した日本を、連合国が占領するに当たり、「連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)」の諮問機関として設置されたもの。
極東国際軍事裁判(東京裁判)にも影響力を持っていたほか、ソ連の斡旋により、日本の総選挙で当時の反動分子(軍国主義者・国粋主義者)が数多く選出された場合には、新議員の資格審査を厳しく行い、場合によっては選挙のやり直しをさせるという決議を採択した。

1945年12月27日の「モスクワ三国外相会議」で設置が決定。1946年4月5日、第一回会合が行われ、アメリカ合衆国、イギリス、ソビエト連邦、中華民国、オーストラリア、ニュージーランド、インドの7ヶ国で構成された。