今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -13ページ目

今日という日【4月29日】

■関越自動車道高速バス居眠り運転事故

2012年4月29日。

関越自動車道高速バス居眠り運転事故」は、群馬県藤岡市岡之郷の関越自動車道上り線藤岡ジャンクション付近で都市間ツアーバスが防音壁に衝突した交通事故。乗客7人が死亡、乗客乗員39人が重軽傷を負った。

事故に遭ったツアーバスは、大阪府豊中市の旅行会社「株式会社ハーヴェストホールディングス」が主催する都市間ツアーバス「ハーヴェストライナー」で、千葉県印西市の貸切バス会社「有限会社陸援隊」が運行していた。このツアーバスの金沢・富山 - 関東間の片道旅行代金は3,000円台で、同区間の高速路線バスの運賃の半分以下と格安であった。
当該便は2012年(平成24年)4月28日22時過ぎに金沢駅前を出発し、途中、富山県高岡市で乗客を乗せた。この時点でバスには新宿駅あるいは東京駅までの38人、東京ディズニーランドまでの7人、計45人の乗客と運転手1人が乗っていた。そして翌4月29日4時40分頃、群馬県藤岡市岡之郷の関越自動車道上り線藤岡ジャンクション付近で防音壁に衝突し、大破。7人が死亡し、2人が重体、12人が重傷、25人が軽傷を負った。
犠牲者の7人は全て進行方向に向かって左側の席に座っていた乗客で、うち6人は前から5列目までの乗客であり、軽傷者のほとんどは右側の乗客だった。犠牲者の死因は大半が圧死でリクライニングシートを傾けて寝ていたと見られている。現場にブレーキ痕やスリップ痕は見つかっておらず、運転手は群馬県警に「居眠りしていた」と説明。バスの速度計は92km/hを示した状態で止まっており、90~100km/h程度で衝突したと推定される。

事故発生後、4時51分に高崎市等広域消防局が事故発生を覚知した。現場に到着した高崎市等消防局の高度救助隊や救急隊により救助活動・救急活動を実施し多野藤岡広域市町村圏振興整備組合消防本部の救助隊・救急隊も出場したほか前橋市消防本部、渋川広域消防本部、利根沼田広域消防本部、伊勢崎市消防本部の救急部隊にも増強要請が入る。5時10分に災害派遣医療チーム「群馬DMAT」や災害拠点病院である前橋赤十字病院に第一報が入った。群馬県医務課と消防の間にホットラインがなかったことから死傷者が多数出ていることが確認されたのが5時40分、初動救護班が到達した7時15分にはトリアージが終わり、重傷者はすでに搬送された後であった。

今日という日【4月28日】

■日華平和条約

1952年4月28日。

日本国と中華民国との間の平和条約」は、日本と中華民国との間で両国間における第二次世界大戦の戦争状態を終了させるために締結された条約。一般に「日華条約」「日華平和条約」として知られている。

1952年4月28日に台北で調印され、国民政府の支配下にある台湾を適用範囲として結ばれた。「サンフランシスコ平和条約」発効の7時間30分前であった。

中華民国はサンフランシスコ講和会議に招請されなかったが、日本国との平和条約(「サンフランシスコ講和条約」)を原則として締結された。一説によれば、第10条は外交官出身であった当時の日本国首相「吉田 茂」がアメリカ政府の勧めで国民政府と国交を締結する事になったものの国民政府が共産党政権(中華人民共和国)を倒して中国本土を奪還する可能性は低いと考えて、将来の日本政府が中華人民共和国との国交正常化を行った場合に国民政府から国際法違反との非難を受けることを避ける為に付け加えたのだといわれている。

今日という日【4月27日】

■「エリーゼのために」作曲

1810年4月27日。

エリーゼのために」は、「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」の作曲した、よく知られたピアノ曲。1810年作曲、イ短調。ロンド形式。

曲のタイトルにある「エリーゼ」とは、金持ち(貴族)の娘だった。あるところでベートーベンと知り合い、お互い恋に落ちる。しかし、ベートーベンは貴族ではないため、もちろん結婚すること、恋愛関係になることは許されなかった。「エリーゼのために」の明るく愛らしいところは共に楽しい時間を過ごしている様子、激しいところは辛さ、悲しさを表している。

エリーゼのために」は、本来「テレーゼ(Therese)のために」という曲名だったが、悪筆で解読不可能など何らかの原因で「エリーゼ(Elise)」となったという説が有力視されている。本曲の原稿は「テレーゼ・マルファッティ」の書類から発見されたものであり、テレーゼはかつてベートーベンが愛した女性であった。この説では「テレーゼ・マルファッティ」がエリーゼの正体ということになる。