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卒業を前にして(卒業は来年です!)、JC15年の生活って長かったなあと改めて感じます!
その間に勤務先もプライベートも大きく環境が変わったわけですから。
私は1997年の入会で、翌1998年は主管LOMとして全国大会の準備担当をさせていただきました。
「97組」と言われる97年入会のメンバーはそれぞれ仕事もJCも熱い思い入れがあるメンバーが多かったですね!この話は後日として・・・
その97組の中でお世話になった同期先輩がそれぞれ理事長になりました!
ふたりとも濃いメンバーで古き良き?JCを知ってて、事業に熱く燃えた先輩でした!
この時期の事業は気合が入っていたし、意外にも日本JC式の議案と議案上程システムをかっちりと整えた時期であったように思います。
私は、これをあえて「新開・山橋時代」と名づけました。
でも、ふたりとも、お誘いを受けたのですが、天邪鬼な私は固辞したものです。
親しすぎるメンバーと一緒になるよりも、そうでないメンバーと人間関係をつくる意義がJCにあると信じていて、それで知り合いも多く出来たのはホントありがたいですよね!
2008年新開先輩は専務理事として山橋先輩とコンビを組みました!その山橋専務が翌年理事長になったのは異例でして、JCの専務理事は理事長とともに、あるいはそれになり代わって組織運営の要となる役職ですから、
補佐役の要専務理事経験者は当該年度燃え尽きてしまって、意外にも理事長する人が少ないのです。(徳島JCの場合)ふたりのいた時代は濃い人間関係で濃い事業をやった印象があります。
そのおふたりからは、同期であっても年上で先輩でもあるので、敬意を払いつつも、いろいろお叱りも受けます。
「女性の理事長を副理事長としてしっかり支えているのか?」
という命題を会う度に与えられているような気がしますm(_ _ )m
大島理事長はすごく濃い人なのに、その濃さを汲み取ってメンバーに伝える責任が私にもあるわけですから。