いつもなんだかんだで暗い文体になってしまうので今日は場所を変えて(学校の図書館w)

明るい話題でも書こうと思います。


今週はついに、この一年間待ちに待った部活の納めです

このブログを読んでくださる皆様は

「趣味でやるのに待ちに待ったってなんだよ」

ってゆう今更ながらのツッコミはしないと思いますが、やはり解放されると思うと

なんか小躍りしたい気持ちになります。


あさってという日を私がどれだけ待ち望んでいたかって話ですよ

まぁ最近は病院に行ってたので部活も3年にして幽霊部員になってるけどw


これでスッキリ・サッパリ!

世に言う就職活動の輪に入れそうです><


なんかリクナビからメールきた!

平均よりエントリー数が少ないって警告きたww



今日は病院には行きません

っていうかいけません><

なぜなら課題が終わらなかったからです。


経済のグラフをどうやってもwordで書けなくて小一時間

wordのオートシェイプ使ったりエクセルでもやってみたりしたんだけど

普通に無理だった

グラフ書いてるというかお絵かき状態になってたから

今度はスキャナで図をスキャンした

そしたら2Mとかになって、もうずっと格闘ww


一応形にはなったから余裕ぶっこいて場違いなブログの更新とかしてみるけど

小心者の私は誰かに見られてるんじゃないかと内心ヒヤヒヤです

欲を言えばこの前見逃したドラマをここで見ようかとたくらんでるけど

さすがに場違いすぎて私にはできません、でも見たい><


背中が痛すぎて病院にいったら7000円とられました

日大まじうんこ

でも薬飲んだら痛み消えたからうんこは撤回


弟は気づいたらどんどん良くなっていって

とはいっても片目は見えないし、言葉が出るわけでもないんだけど

とりあえずおかゆが食べられるようになりました!

あと、点滴が全部なくなりました!

あと、車いすに乗れるようになりました!

スプーンで口に運ぶときにやっぱりマヒしてるのかブルブル震えてて

おかゆとか何とかすくっても、口に運ぶ頃には全部落ちてたりして

口に入れたときには何もなかったのが見ててちょっとかわいそうだったかな><

あとそれ繰り返してたらイライラしたのか足がケイレンし始めた

その時私しかいなかったからマジ焦った><;;;;


今日の様子も気になるけど私には私の生活もあるので

明日、授業終わったらお昼から行きます!

そんで土曜に部活!

飲み会はやっぱり行きません。

酔いつぶれてる場合でもないしね。ガチギレされちゃう><


という状況です。

しゅーかつもちゃんとやらないとだよね、ホント


とりあえずやっぱりドラマ見ますwwwww

突然のことでした。

弟が一般病棟に移ったとの連絡が入りました。

もともとICUが満床だったらしく、一番安定しているということで

弟がトコロテン方式に一般病棟に移ることができたのだそうです。


一般病棟に移ると面会の制限がほとんどなくなり、

今まで一日15分だけだった面会が12時から20時半まで好きなだけ

病室にいられることになります。

また、ICUでは面会は同居している家族だけしか許可されないのが

一般病棟になると友達も祖父母も呼ぶことができるので

これはとてもありがたいことです。


今日は弟の友達が3人きました。

どの方もとてもいい人たちでした。

2組目の友達が来たときはずっと眠っていた弟も右目だけをはっきりあけて

ぼんやりその友達を見ているようでした。


友達との連絡係を一番下の弟が完全に放棄したため

私が各方面の友達に病院の場所とか病室とか時間を送信しているのですが

これがまた結構たいへん。

もともと携帯2台持ちだったので、これで3台目です、もう携帯いらない><


長いような、あっという間なような、今日で事故から2週間が過ぎました。

2週間前の私はまさかこんなことになるだなんて

知るよしもなくて、きっと就活と稽古とバイトでパンパンなスケジュールを

こなしていくハズだと、それ以外考えられなかったんです。


正直まだ現状を受け止め切れてません。

弟とは1歳違いで、物心ついたときから、そばに弟がいるのは当たり前で

それをこの2週間で、もう今までの弟が戻ってこないと理解する

ってのがそもそも無理な話で・・・んー何というか

前も言ったかもだけど、

病院にいるのは確かに弟なんだけど、でも私の知ってる弟じゃない

やっぱり心のどこかで認めたくない自分がいるんだと思う。

認めない方がしんどいって分かってるんだけどね、なかなかうまくいかなくて。

思い出すのはキレイな思い出だけで、

さんざんケンカもしたし、言い争いもしたし、意地悪もされたし、したし

そういう思い出こそいっぱいあったハズなんだけど

思い出すのは酔いつぶれたときに車で遠くまで迎えに来てくれたこととか

一緒に「鷹の爪」の映画観にいったこととか

夜中に今後の人生設計について話したこととか

ホントにいいところばっかりで、それが何か悔しいし、悲しさ倍増させてる要因。

普段、何気なく過ごしている日常がこれほど幸せなものだったかなんて

どうして気づかなかったんだろう。

まぁそれも今だからこそ言えることで、気づいてたところで私には

どうしてやることもできなかったと思う。


こう四方八方にふさがれた時に、一番話したいのはやっぱりその弟で

まだ幼さが残る一番下の弟じゃ、ちょっと違うんだぬ、未だに夜中までR15のゲームやってるしw


2週間が経つと、当初もってた、劇的でワンダフルなサムシングへの期待も

だんだん怪しいと疑い初めて、やっぱり弟は目は開くけど意識はない状態のままなんじゃないか

って不安が徐々にわき上がってくる。

それが現実になったときに私はそれを受け止めきれるんだろうか。


つのる期待も、よぎる不安も

もういっぱい体感しました><


弟が元には戻らなくても世界はいつも通りまわってるのが、ちょっと寂しいんじゃい!

今日も病院に行きました。

病室の前につき、いつものようにナースステーションにICUへの入室の許可を

もらいに声をかけると2人ずつ入室するところを今日は4人いっぺんに

入って良いと言われました。

4人で弟に会うのは、事故に遭ってから一番最初以来だったので

また何か経過について、悪いことを言われるのではないかと

内心冷や冷やでした。


ドキドキしながら弟のもとへ向かうと身の回りがすっきりしていたように感じました。

点滴がなくなっていたのです。

痛み止めの麻酔の点滴を今日からやめたそうです。

これは弟の体の回復が認められたからだと言えます。


弟のそばに駆け寄るように近づくと、その気配に気づいたのか片目をあけました。

とてもびっくりしました。

先週、先生から「もう目を覚ますことはないと覚悟してほしい」と

言われていたので余計にです。

何か言葉を発するわけでも、何か伝えたいというわけでもなく

目をあけた弟は周りを目だけで追うようにして、また数分後に眠りにつきました。


一瞬のことでした。

でも、それだけでも私たち家族にとってみたら

とても大きな進歩で、これから起こりうるどんな奇跡も信じてみたい、そんな気になれました。


お父さんは先生に脳についていろいろ聞いているようでした。

右目はあいたけれど、やはり左目の瞳孔は開いたままで、脳の損傷によってもしかしたら視力が

失われているのかもしれないと言われました。

ただ、先週までは光をあてても無反応だったのが、最近になってかすかに反応するように感じられるとも言われました。

失われた脳の細胞が他の細胞によって補完されているのでしょうか。


脳の働きや構造については私はよくわからないですが、

今日の弟の進歩はやっぱりうれしいです。


焦らず少しずつ弟の経過を見て行けたらいいなぁと思います。



この間の口内炎というか思いっきり噛んじゃったところはだいぶ治ったのですが

今度は首の筋がつってしまいました><

横向くのも下向くのも激痛><知恵袋で調べたら

ヘタに整形外科に行くと悪化するって書いてあったので

しばらくはバンテリンの力を借りたいと思います。

いや、もうマジで首いたい><寝違えたとかの比じゃない、寝れない、誰か助けて><



弟が事故に遭ってから1週間以上経ちました。

依然として弟の意識は戻らず、ただ体のけがは少しずつ良くなっているようで

最初に観たときより体につながってる管が減ったことが一番よかったと思えることです。


長いような、あっという間のような1週間でした。

学校と病院の往復だったので就活とか部活とか

浮き世離れしたような生活でした。

自分が大学生ということを忘れかけてました。


病院までの道のりもICUの入り方も慣れてしまう自分がこわいです。

弟のけがも事故もこうやって慣れていって、自然と忘れるとはいわなくても

それが普通になるときがくるのでしょうか。


土日は学校もなく

それこそ家と病院を行き来するだけの2日間だったんですが

これはだめです。精神衛生上よくないです。


家族とも弟のけがについてはこの1週間でとことん話したし、

かといって、どこかに出かけたいねなんて話題をあげる雰囲気でもないし

でも1人でいると悶々と考えちゃうし

今はすこししんどくても良いから誰かと笑えるような会話がしたいです><

でも部活はやだな、先生こわくてどっちみち泣いちゃうしw


だから来週からは多少しんどくてもバイトに行こうと思います。

嘘でも笑うことができそうです、まぁそれが仕事だし。


1週間たっても弟を思い出して泣くこともあります。

あのときどうして「ごめんね」って言えなかったのかとか

どうしてもっと素直になれなかったのかとか、ふと思い出すだけでも

悔やむことばかりで・・・

ただ自分でも気持ち的にこの状態でいくのはよくない気がするので何か

気が紛れるようなことでもしたいと思います、お茶以外でw


とりあえず、この前肉と間違えて口の肉を噛んでしまったところが尋常じゃないほど痛いです><

口内炎用の薬かったんだけどなんか、ネバネバしてるし、いっこうに良くなる気配がない

口の中を病院で診てもらうのって何科?

歯科?皮膚科?整形外科?


あと、弟が事故に遭ってから

携帯やらパソコンやら机やら引き出しやら

もれなく全部見られてるので、自分に万が一のことがあったときのためにも

みられたくないデータは全て末梢しとこうと思います。

まぁ一番みられたくないのはこのブログだけどねw


この機会で初めて弟がAKBの篠田麻里子が好きってのも知ったし

mixiやってたのも知ったわw

携帯電話のオートロックも脆いものだね><


明日は一番下の弟と2人で病院に行くことになりました。

毎日思うけど、少しでも良くなっていますように。。。

今日も病院に行きました。

昨日の説明通り、弟はのどから直接酸素を送り込めるように

チューブがのど元から入れられていました。

のどだけみると痛々しく思いましたがチューブが口から抜けた分

とても自然に眠っているようでした。


脈拍がとても多く、体が熱いのが気になりました。

すると先生がきて、手術は無事に終わったが感染症を

起こしてしまっていることを言いました。

体の熱はそれが原因でした。

それでもいつものように私たちは用意してきた音楽プレーヤーで

一青窈の曲を弟に聴かせ

手をさすったり、顔をさわったりすることで少しでも脳に刺激を与えられれば

と面会できる時間を目一杯つかってそこにいました。


時間がきて、先生や看護師の方々に挨拶をし

その場を後にしました。

慣れてきたのか、そこにいる時間がとても短いように感じました。

お母さんが「そろそろ帰ろうか」と言っても私はまだここにいたいと思っていました。


家に着くとポストに一通の手紙が入っていました。

加害者の女性からのものでした。

私の加害者への気持ちというものは、憎いという気持ちが全くないといえば嘘になるものです。

けれども、車を利用している以上、やはり誰が加害者になってもおかしくないとも思います。

殺人ならともかく、一瞬の誤りで事故を起こしてしまった加害者に対して

弟への誠意ある謝罪と真摯な態度が示されていればそれでいいと思っていました。

加害者を憎んでも弟の意識が戻るわけではないと自分を説得していたからです。

その手紙を読むまでは。



お父さんが帰ってくるまでその手紙は読むなと言われました。

お父さんが帰ってきた後、私がお風呂に入っている間に両親は手紙を読みました。


お風呂から出るとお父さんが泣いていました。


お父さんがいない隙に私は手紙を手にしました。

内容は1枚の便せんにとても簡素に書かれていました。

事故を起こしてしまったことへの謝罪、闘病生活によってご家族へも迷惑をかけてしまったこと、

この事故については、保険会社に一任していること・・・

とても短い文でした。

とても淡々とした文でした。

そこに感情に訴える要素はなにもなく、少しでもその手紙に謝罪の念を予想していた私は

肩すかしを食わされたようなそんな印象を受けました。


それに

弟がけがと闘ってることについては「迷惑」だなんて思ってないです。

私たちは一日でも早く弟が良くなることを毎日毎日心から願っている、それだけです。

弟の病状がよくなるなら、どんな努力だって惜しむつもりはありません。

この気持ちを「迷惑」という言葉で片付けてほしくありません。


保険会社に一任・・

自分から事故に向き合う姿勢はないのでしょうか。

賠償金や治療費は全て保険会社に任せて、

自分は都合の悪いことは忘れ、のびのび生きていくつもりなのでしょうか

よくそんなことが平気で言えるなぁと思いました。



「自分の体で代わりたいくらい」とか「何かできることがあれば何でもやります」とか

そんな言葉も一言もなくて、文章はgoogleか何かで引っ張ってきたような

事務的なものでした。


宛先の住所も違ってました。

手紙の形式も何カ所も間違っていました。

それ以上に誠意が感じられませんでした。


被害者だから、納得いかないのも当然だと思われるかもしれません。

あら探しをしている、と言わればそうなのかもしれません。

でも私は、最初から加害者については一生涯恨んでいこうとも

命で償ってほしいとも全く思っていません。


文章を読み終えた今は、ただただ、こんな人に弟の人生をめちゃめちゃにされたと思うと悔しいです。



明日も病院に行きます。

弟の顔をみれば落ち着けるような気がします。


まーくん、どこにいるの?

今すごくキミと話したいよ


結局、月曜日は病院に行きました。

ゼミの説明会があって、そのおかげでゼミが休講になったので

本当は図書館で1コマ分、時間をつぶすつもりだったけれど

なんだか無性に弟に会いたくなって、

弾丸スケジュールを覚悟でまた埼玉へ飛び立ちました。


そして今日も病院に行きました。

お父さんがどうしても赴任先でやらなければならない仕事がある

とのことだったので今日は一番下の弟とお母さんと一緒に行きました。

昨日は先生が忙しいらしくCTの結果を聞くことができなかったので

お父さんがお母さんに聞いてきてほしいと頼んだそうです。


病院についてICUに通され、用意してきた音楽プレーヤーを

さっそく弟の耳につけました。

ICUの独特な空気感やチューブにつながれた弟をみるのにも

だいぶ落ち着いていられるようになった私は血圧や脈拍、呼吸数を

一番下の弟と確かめながら10分くらいいたんだと思います。

すると看護師の方が「今日先生からお話がある」という旨のことを伝えられました。

私は前回、先生の診断でめまいを起こしたのでできれば直に聞きたくない

というのが本音でしたが、この状況でそんなことは言えませんでした。


それこそドラマに出てくるような個室に連れられ、先生とけがの経過と今後の治療方針について

お話がありました。

体を強く撲ったときのけがはだいぶよくなったことを伝えられました。

液体状ではありますが、食事(栄養剤)を投与することができるほどだといわれ安心しました。

人工心肺はまだ外すことはできないと言われました。弟自身、自発呼吸が完全にできているというわけでは

ないからだそうです。今後もしばらく外すことができないことから口から入れているチューブを

のどを切開して直接肺に送り込む手術が必要だと言われました。

見た目はとても痛々しく見えますが本人にとってみると、ストレスがだいぶ減るし、

チューブの交換も容易になることから衛生面としても必要な手術だそうです。

かわいそうだけれど、2次被害を起こさないためにもとお母さんは手術の同意書にサインをしました。


一通り、体のほうは安心していいと説明を受けたあと、話はやはりあの話題に移りました。

脳です。

先生がとても前置きを多く使うようになりました。

「一概には言えませんが」「急なことで、非常にお伝えしにくいですが」「厳しいことを言うようですが」

そんな決まり文句のようなものを使うたび、私の体はびくっと反応しました。


今後弟が意識を戻す可能性は低いといわれました。


どんな名前かは忘れましたが脳の根幹の部分のダメージはやはり大きく

以前のままの弟に戻ることはないと覚悟してほしいとのことでした。

涙がのどにつまって苦しかったけれど、お母さんも一番下の弟も気丈に振る舞っていたので

私1人だけ泣くなんてできませんでした。

弟の状況は厳しいものでした。

いずれ一般病棟にうつることになるが、寝たきりのままである場合、

療養施設に移らなければならないといわれました。

病院では年単位のケアというのはベット数の関係上難しいそうです。

そして弟はまだ20歳でとても若く、頭以外の体はほぼ正常に戻るため

看護の期間が高齢者よりもずっと長く、受け入れてくれる療養施設も少ないと言われました。

そして何より、療養施設は都心部にはなく、地方にうつり、週末だけ通うといった手段を考慮する必要があると言われました。


30分弱の説明が終わり、私たち3人は何か魂を吸い取られたような放心状態で

また弟に会いに病室に戻りました。今の説明の書類を受け取るまで病室にいて良い

とのことだったので、イヤホンをとり、お母さんがいつものように弟に話しかけ髪をなでてました。

そしてお母さんが弟jの髪を耳にかけた瞬間


弟が寝返りをうったように顔を横に倒れた状態から仰向けになりました。

とてもすごい勢いで、最初はお母さんが無理に弟の首を動かしたのかと思いました。

まるで家にいて、茶化して髪をさわったときに「さわるな!」

と弟が言ってるかのようでした。血圧もいきなり10くらい上がりとても焦りましたが

周りの医師の方が特に気に留めていると言うようでもなかったので、書類を受け取って

私たちはつかの間の面会を終えました。


帰ってから調べてみると、

脳が反応しなくても体が反応する場合がある

という記載を見つけました。弟の意識はなくても、一瞬でも、戻ってきてくれたような気がして

すごいうれしかったです。


帰りの電車は複雑でした。

先生から言われた言葉、意識は戻らないという現実、可能性にかけてみたい期待、

でもそうじゃなかったときの恐怖、これからのこと・・・


家についたら弟のパソコンを開き、写真のフォルダをみると、そこにはきれいな景色と

堂々と構える弟の青いバイクが写ってました。

一青窈より、アイドルより、バイクや、その旅行の写真が多くて

今まではもやもやしてたバイクの存在も、きっと弟にとってはかけがえのないものだったんだと受け入れられるようになりました。

弟が観てきたものを同じようにバイクで観たい、って一瞬思ったけれど、一瞬でやっぱりいいやと思いました。


明日も弟の病院にいきます。

のどからチューブの手術がんばれ!


今日も弟に会いに行きました。

面会は相変わらず15時からなのでそれまでは家で待機。

私は明日の学校の課題をやってましたが、お父さんはじっとしてても

落ち着かないらしく、お風呂場を3時間くらいかけて掃除してました。

お風呂入ったらぴかぴかでした。

課題やってる間は、それ以外のことは忘れられるから逆に落ち着くような気もしたけど

考えてる間に、他のことも頭によぎったりして集中できるのかできないのか微妙なとこです。


今日は早めに家を出ようといいだした張本人のお父さんが時間になっても

お風呂掃除をやめず、会いに行くのが怖いのかな、なんて気も少ししました。



病院についてICUに通され、2人1組15分だけの面会。

弟は相変わらず眠ってました。

昨日付いてた鼻血がきれいに拭かれてて、今日綿棒もってったけど

よかったと思いました。

脈拍も安定していて、血圧は少し高めだったけど、看護士の方からは許容範囲だと言われました。

一緒に行ったお母さんは、弟の手とか顔とか髪をなでて声をかけていたけれど

私はまた、そこに立ちつくしてただただ泣くことしかできませんでした。

やっぱりまだ小説とかドラマの中にいるようにしか感じられなくて、

そこにいるのは確かに弟なんだけど、あくまで弟を成す物質で、本当の弟じゃないような

本当の「弟」といえるもの、中核をなすものがポッカリ空いてしまった抜け殻のような、そんな感じがしました。


今日は肺からの管が1本取れたようです。

肺に空気の固まりができてしまう気胸という症状がなくなった、肺の方は安心して大丈夫と

看護師の方は言いました。

少し安心はしましたが、肺の方「は」 という言葉がひっかかりました。

安心しても大丈夫なのは肺だけで脳は・・・という言葉の裏返しにも取れたからです。

脳は明日のCTをとるまで何とも言えないと言われました。

私は、弟が大好きな一青窈の曲を聴かせるためにMP3プレーヤーをもってったのですが、

涙がのどにつまって、イヤホンをつけても大丈夫なのか看護師の方に聞けず、時間がきてしまい退室しました。


お父さんと一番下の弟が病室に入ってる間、ある程度落ち着いた私はお母さんに今日音楽を弟に

聞かせるために持ってきたこと、1曲だけでもいいから聞かせてあげたいことをいいました。


お父さんたちがつかの間の面会を終えて帰ってくると、お母さんが病院の方に聞かせてあげられないか

頼んでくれました。

病院の方は快く、聞き入れてくれ、MP3を渡し、私たちはまた待合室で音楽を聴き終わるのを待ってました。

人が音楽を聴くのを待ったのは初めてですw

最初は1曲だけってことでしたが、20分くらい待ってたのでもっとたくさん聞かせてあげられてよかったと

思いました。

「もらい泣き」から「ハナミズキ」にBESTアルバムの曲を弟は聴いていました。

病院でずっと眠ってるのは退屈だろうから、という発想で持って行きましたが、音楽の力で脳が少しでも良くなってくれれば・・・なんて期待を抱いていたのも事実です。

音楽を聴かせてあげることについては両親も賛同してくれました。

生きてくれているうちは、どんな希望も持てることを実感しました。


帰る車の中で、交通事故にあった被害者の家族のブログを観ました。

すでに亡くなってしまった方もいれば、今も大きな後遺症と闘う方までいて、自分の家族だけが

奈落の底に落とされたという気持ちが少しラクになった気がします。



冷静に考えますが、弟は能に損傷を負っています。

能の傷は現在の医学では生涯治ることはないそうです。

弟が意識を戻すことはないかもしれないし、もし意識が戻っても後遺症と一生付き合っていく可能性も十分考えないといけない状況です。

でも生きてる間はどんな希望も持てると信じてます。

一番下の弟は「明日病院に行ったら、普通に起きてヘラヘラ笑ってるんじゃないか」って言ってました。

「もし、1ヶ月間意識がなくても、クリスマスにひょっこりサプライズで元気になるかもしれない」

なんて私よりも前向きで、ちょっと頼もしくも思えました。


私は車の運転がうまい、今は眠り続ける弟にずっと運転を習おうと思ってました。

1回弟が運転をみてあげるとお台場に連れて行ってくれました。

「やっぱり君は運転がヘタだから任せられない、そこで交代ね」

と言われたことを鮮明に覚えてます。

事故が起こってからは、もう弟に教えてもらうことも

苦い言葉をかけられることも今後ないんだ。。

と何でもっと早く頼まなかったのかという後悔と悲しさでいっぱいいっぱいだったけど

今は、なんだか今生じゃなくてもいいような気がしました。

後遺症やそういったもので前の弟ではなくなってしまっても、それを悲しむんじゃなくて

次につなげられる希望をもとうと思いました。

また来世で、今は抜けた弟の中核を成す人に出会って、そこでまた運転を教えてもらえたら

それでいいんだ、と思うようにしますが、やっぱり涙はこぼれます。

でも本当に心からそう思えたらずっとずっと心がラクになるような気がします。


だから、

今何かの縁で出会った人、家族でも友達も恋人も、もしかしたら前世の続きかもしれないと思いました。

前世の人が何らかの理由で離ればなれになってしまった人が現世ですぐそばにいてくれる人なのかもしれないです。

そう思ったら今の出会いをもっと大事にしなきゃいけないなぁって思いました。



明日はCTの再検査です。

気になりますが、学校に行きます。

バイトも部活も少なくともICUにいる間は休もうと思いますが、授業には出ます。


今持ってる淡い希望が明日の検査で消えませんように・・・。

弟が少しでも良くなっていますように・・・。


病院に行ってきました


体から延びる数十本のチューブ
等間隔に音を刻む人工心肺
あの時間で止まったままの腕時計
液晶の割れた携帯電話

目に入ったのはあたかもドラマのワンシーンをきりとったかの光景


弟は相変わらず意識が…というか眠ったままで口につながる管と鼻血さえ拭けば家にいたときの弟自身と何の変わりもなく、穏やかなように見えました

どれくらいいたのかわかりません。
私は言葉を失ったままで、そのどうにかなりそうな現実を飲み込むのに精一杯でマスクが使いものにならなくなるほど泣きました

すぐにでも弟が「何しにきたんだよ」なんて目を覚ますんじゃないかって淡い期待を抱きながらただただ見つめていたんだと思います

ここから先はあんまり覚えてません
主治医の先生がきて今の状況、油断できる状況ではないが、今手術しなきゃいけないという状況でもないこと、脳に損傷があること、脳出血はとりあえず収まったこと、後遺症が残る可能性があること
期待とは裏腹に先生から安心できるような言葉はなくて、私が聞きたいのはそんな曖昧な情報じゃない!
て考えてたら急にクラクラして、目の前が緑とか黒になって気持ち悪くなり、先生に付き添われながら離れました。

その帰りに警察に寄り、今ブログを書いてます。
私はもう立っていられる自信がないので車で留守番です
弟の乗ったバイクは前がぐちゃぐちゃで見るも無惨だったそうです

今後の1週間は経過見で、時間をおきながら脳の写真をとるそうです


とりあえず生きてるだけで良かった、そう思うし、そう思うべきなんだと思う
瞳孔が開いたままらしい。
よくわかんないからググってみたら、光に対して脳が反応しなくなったってこと。

くも膜下出血は多くの場合脳挫傷(脳が傷つくこと)を併発するらしい
脳内出血よりもこの脳挫傷ってのが致命的になるとかなんとか。
言語的な後遺症もあり得るらしい

10時の再検査まであと1時間。
次に会う弟は私の知ってる弟じゃないかもしれない。

軽傷じゃありませんでした。

病院に運ばれて、確かに肺も穴があいてたのかな、だけどそれ以上に

頭を強く打ったらしく、くもまっか出血で集中治療室にいるらしい。

ホントに実感がわかなくて、お母さんからそんな事実きいても

「ふーん」って感じで、実際行ったら

「なんで来たの?」って憎まれ口たたかれそうで・・・なんていうか、本当に信じらんない


事故の詳細もききました。

ぶつかったのは免許とりたての女の子だそうです。

弟はバイクと車の運転しか能がないので、どちらが原因かは明白

逮捕されたそうです。


明日の10時にもう一度CTをとって脳出血の進行を観るみたいです。

面会は15時から15分間だけ1人1回だけなので、とりあえず稽古にいって

早退してきます、家にいると一日泣いてそうな気がするので。


もう、ほんとやだ。

夢なら早く覚めてほしい