今日も病院に行きました。

昨日の説明通り、弟はのどから直接酸素を送り込めるように

チューブがのど元から入れられていました。

のどだけみると痛々しく思いましたがチューブが口から抜けた分

とても自然に眠っているようでした。


脈拍がとても多く、体が熱いのが気になりました。

すると先生がきて、手術は無事に終わったが感染症を

起こしてしまっていることを言いました。

体の熱はそれが原因でした。

それでもいつものように私たちは用意してきた音楽プレーヤーで

一青窈の曲を弟に聴かせ

手をさすったり、顔をさわったりすることで少しでも脳に刺激を与えられれば

と面会できる時間を目一杯つかってそこにいました。


時間がきて、先生や看護師の方々に挨拶をし

その場を後にしました。

慣れてきたのか、そこにいる時間がとても短いように感じました。

お母さんが「そろそろ帰ろうか」と言っても私はまだここにいたいと思っていました。


家に着くとポストに一通の手紙が入っていました。

加害者の女性からのものでした。

私の加害者への気持ちというものは、憎いという気持ちが全くないといえば嘘になるものです。

けれども、車を利用している以上、やはり誰が加害者になってもおかしくないとも思います。

殺人ならともかく、一瞬の誤りで事故を起こしてしまった加害者に対して

弟への誠意ある謝罪と真摯な態度が示されていればそれでいいと思っていました。

加害者を憎んでも弟の意識が戻るわけではないと自分を説得していたからです。

その手紙を読むまでは。



お父さんが帰ってくるまでその手紙は読むなと言われました。

お父さんが帰ってきた後、私がお風呂に入っている間に両親は手紙を読みました。


お風呂から出るとお父さんが泣いていました。


お父さんがいない隙に私は手紙を手にしました。

内容は1枚の便せんにとても簡素に書かれていました。

事故を起こしてしまったことへの謝罪、闘病生活によってご家族へも迷惑をかけてしまったこと、

この事故については、保険会社に一任していること・・・

とても短い文でした。

とても淡々とした文でした。

そこに感情に訴える要素はなにもなく、少しでもその手紙に謝罪の念を予想していた私は

肩すかしを食わされたようなそんな印象を受けました。


それに

弟がけがと闘ってることについては「迷惑」だなんて思ってないです。

私たちは一日でも早く弟が良くなることを毎日毎日心から願っている、それだけです。

弟の病状がよくなるなら、どんな努力だって惜しむつもりはありません。

この気持ちを「迷惑」という言葉で片付けてほしくありません。


保険会社に一任・・

自分から事故に向き合う姿勢はないのでしょうか。

賠償金や治療費は全て保険会社に任せて、

自分は都合の悪いことは忘れ、のびのび生きていくつもりなのでしょうか

よくそんなことが平気で言えるなぁと思いました。



「自分の体で代わりたいくらい」とか「何かできることがあれば何でもやります」とか

そんな言葉も一言もなくて、文章はgoogleか何かで引っ張ってきたような

事務的なものでした。


宛先の住所も違ってました。

手紙の形式も何カ所も間違っていました。

それ以上に誠意が感じられませんでした。


被害者だから、納得いかないのも当然だと思われるかもしれません。

あら探しをしている、と言わればそうなのかもしれません。

でも私は、最初から加害者については一生涯恨んでいこうとも

命で償ってほしいとも全く思っていません。


文章を読み終えた今は、ただただ、こんな人に弟の人生をめちゃめちゃにされたと思うと悔しいです。



明日も病院に行きます。

弟の顔をみれば落ち着けるような気がします。


まーくん、どこにいるの?

今すごくキミと話したいよ