少しでも
自分を良く
みせれるように

そう
少しでも
自分の頑張りを
評価してもらえるように

嘘をつく

嘘は
顔つきや
笑顔さえも
引きつらせ
激痛となって
身体に迫る

それでも
少しでも
自分の存在に
気付いて欲しくて
嘘の上に
嘘を重ねる

自分を
大きく見せるための手段が
嘘であって
自分の
存在を守るものが
嘘なのだ

身体に染み付いた
嘘を
鎧を脱ぐように
一つずつ
剥がしていこう

そこに残るものが
まさに
本当の姿であって
本来あるべき姿に
違いないから

したら
少しは
上手に


笑えるかな

『信じる』
という言葉は
存在しないのではないか

なぜならば
僕たちは
その言葉を使うとき
心のどこかに
『疑い』を感じてしまうからである

『疑う』心が
僕たちを不安から
救い出そうと
『信じる』という
行為に誘導しているだけでは
ないだろうか

目に見えるものしか
『信じる』ことのできない
僕たちは
穢れることを恐れ
『疑う』心というものを
見ないふりをする

僕たちは
常に不安や不満を
抱えた生き物であって
『信じる』という言葉の意味や
行為を理解することなど
到底無理な生き物だろう

『信じる』を身を持って
理解する日が訪れるかは
わからないけれども
『信じたい』なら
今の僕にもわかる気する

卑しい人間だから
心の中に『疑い』が
生まれてしまう
それでも
たとえ裏切られても
『信じたい』

そういうことだろ?
何があれ
人の物を奪っては
いけないのではないだろうか

いくら
自己中心的な生活を
送っていたとしても
社会が受容してくれないからって
その場の欲に打ち勝てず
人の物を奪うことは
いけないことではないだろうか

たとえコミュニケーションが
苦手と言えども
そこにある 人の物を奪うことは
いけないことではないだろうか

しかし人間なのだから
欲に溺れてしまったり
誰かを傷つけてしまったり…
そんなことは
たくさんあるのだろう

問題はその次の行動だと思う
自分のしてしまったことに対し
ちゃんと罪を感じ
謝罪することが
できるか

これが多分
僕たちが
なかなか できない
ことなのであろう

ちっちゃい何かに
つまずき
自分を擁護することだけが
うまくなってしまって
いるから

だから
心からの
ごめんなさい
を大切にしていきたい