『信じる』
という言葉は
存在しないのではないか
なぜならば
僕たちは
その言葉を使うとき
心のどこかに
『疑い』を感じてしまうからである
『疑う』心が
僕たちを不安 から
救い出そうと
『信じる』という
行為に誘導しているだけでは
ないだろうか
目に見えるものしか
『信じる』ことのできない
僕たちは
穢れることを恐れ
『疑う』心というものを
見ないふりをする
僕たちは
常に不安や不満を
抱えた生き物であって
『信じる』という言葉の意味や
行為を理解することなど
到底無理な生き物だろう
『信じる』を身を持って
理解する日が訪れるかは
わからないけれども
『信じたい』なら
今の僕にもわかる気する
卑しい人間だから
心の中に『疑い』が
生まれてしまう
それでも
たとえ裏切られても
『信じたい』
そういうことだろ?
という言葉は
存在しないのではないか
なぜならば
僕たちは
その言葉を使うとき
心のどこかに
『疑い』を感じてしまうからである
『疑う』心が
僕たちを不安 から
救い出そうと
『信じる』という
行為に誘導しているだけでは
ないだろうか
目に見えるものしか
『信じる』ことのできない
僕たちは
穢れることを恐れ
『疑う』心というものを
見ないふりをする
僕たちは
常に不安や不満を
抱えた生き物であって
『信じる』という言葉の意味や
行為を理解することなど
到底無理な生き物だろう
『信じる』を身を持って
理解する日が訪れるかは
わからないけれども
『信じたい』なら
今の僕にもわかる気する
卑しい人間だから
心の中に『疑い』が
生まれてしまう
それでも
たとえ裏切られても
『信じたい』
そういうことだろ?