広島周辺旅行 総括(2025年10月中旬)

 

今回は、久々の公共機関を利用しての旅行でした。ほとんどの訪問地が、外国人観光客でごった返していました。人混み酔いしてしまいました。自家用車移動ではないので、時間制約があり、ロッカーを探すのが面倒でした。広島で同じホテルに連泊したので、1日は荷物フリーで良かったです。

ドライブ良好だと、走行距離、燃費の報告ですが、今回は、下記です。(スマホソフト上の数値)

 

   ・広島周辺旅行1日目 歩数:17,075歩、歩行距離:11.9km

   ・広島周辺旅行2日目 歩数:17,596歩、歩行距離:12.3km

   ・広島周辺旅行3日目 歩数:   9,853歩、歩行距離:  6.8km

   ・広島周辺旅行4日目 歩数:11,623歩、歩行距離:  8.1km

 

   ・旅行費  交通費:105,000円

         宿泊費:  65,000円

         食費他:  35,000円

 

  ◎ 広島周辺旅行合計  歩数:56,147歩、歩行距離:39.1km

 

  ◎ 総旅行費用  205,000円(3泊4日、夫婦2人分)

 

 

2026年3月末で取り壊される広島城

 

 

広島城が、2026年3月末から取り壊されるということで計画した今回の旅行でしたが、交通機関の遅延、病気、怪我もなく無事終了しました。お疲れさまでした。

 

 

道後温泉から自宅(2025年10月中旬 4日目その2)

 

湯築城北口から、道後温泉街を散策して、道後温泉本館に行き、向かいの一六本舗 道後本館前店で、カップソフトを食べ、電車で、JR松山駅に行き、昼食を済ませて、特急しおかぜに乗り、岡山駅から新幹線のぞみにのり、帰宅しました。

 

道後温泉駅前

 

坊ちゃん列車

 

アーケード

 

道後温泉本館

 

一六本舗でカップソフト

 

からくり時計

 

道後温泉駅

 

電車

 

JR松山駅

 

昼食

 

 

特急しおかぜ アンパンマン号

 

岡山駅 新幹線のぞみ

 

広島周辺旅行4日目は、歩数:11,623歩、歩行距離:8.1kmでした。

 

3泊4日の、広島~松山の旅行でした。お疲れさまでした。

 

ぶらりきままに城めぐりの旅126

愛媛県松山市 湯築城 攻城260 (2025年10月中旬攻城)

百名城No80 76/100

 

朝食を済ませ、温泉につかり、10数分バスに乗り、道後温泉駅に着きました。駅前のロッカーに荷物を預け、近くの湯築城に向かいました。

 

アクセス

 

<湯築城>

湯築城は、愛媛県松山市道後公園にある、連格式平山城で、建武2年(1335年)頃に築城され、南北朝時代から戦国時代末期まで、約250年間にわたり伊予国(現在の愛媛県)の守護であった河野氏の居城として、伊予国の政治的・軍事的な中心を担いました。豊臣秀吉の四国攻めの後、小早川隆景(こばやかわ たかかげ)が、一時的に城主になり、その後、天正15年(1587年)に福島正則(ふくしま まさのり)が城主になり、城替えにより国分山城に移ると、すぐに廃城となりました。

石垣や天守閣がない中世の城郭としては、堀(濠)や土塁などの遺構が良好に残っている稀な例として、歴史的価値が非常に高いと評価されています。日本百名城の一つにも選定されています。

 

散策図

 

西口、搦手門がわから攻城開始です。右手を見ると、外堀、外堀土塁、内堀土塁、内堀の構造がよくわかりました。土塁間を進むと、武士の居住地があり、内堀側に出ると、巨大な岩盤のような石垣が垣間見えました。

 

搦手門

 

外側土塁

 

武士居住区

 

 

内堀、岩盤のような石垣

 

城郭南側から東側に進むと、大手門があり、そこから、内側に折れ、岩崎神社鳥居先の石階段を登って行くと、頂上部に展望台がありました。物見櫓があったんでしょうか。展望台から、松山市街がよく見え、遠方に、松山城が見えました。北側の一段低いところが本壇(本丸?)、さらに北側の一段低いところが杉の壇(二の丸?)がありました。北側に降りていくと、石造湯釜がありました。

 

東口 大手門

 

岩崎神社 鳥居

 

 

登城路

 

展望台(物見櫓跡?)

 

 

展望台から松山城を望む

 

本壇

 

杉の壇

 

石造湯釜

 

 

外堀

 

小規模な城郭ながら、堀と土塁で、明確に区分けされた、中世の平山城でした。日本百名城も、76城となりました。攻城も、2016年以来、260を数えました。
 

松山市内から奥道後温泉(2025年10月中旬 3日目その3)

 

正午過ぎに松山市内に到着しました。まず、まつちかタウン内でロッカーに荷物を預け、昼食をとりました。天ざる蕎麦をいただきました。美味しかったです。奥道後温泉行のバスの時間まで、暇つぶしに、バス停向かいの、「坊っちゃん列車ミュージアム」に行きました。蒸気機関車が展示されていました。

 

昼食

 

 

 

坊ちゃん列車ミュージアム

 

バス停

 

伊予鉄バスC2乗り場から、バスに乗り、30分ほどで、奥道後温泉に到着しました。チェインして早速部屋付き温泉露天風呂に入り1日の疲れを癒しました。美人の湯の張り紙ありました。透明な、いい温泉でした。複数回入り、堪能しました。

夕食はレストラン食で、刺身、和牛しゃぶしゃぶ等、美味しかったです。翌朝の朝食もほど良い量で美味しかったです。

 

ロビー

 

大浴場

 

客室

 

部屋付き温泉露天風呂

 

レストラン

 

 

夕食

 

朝食

 

広島周辺旅行3日目は、歩数:9,853歩、歩行距離:6.8kmでした。

 

明日は、湯築城攻城して、道後温泉散策して、帰路に着きます。

 

 

呉から瀬戸内海汽船で四国松山へ(2025年10月中旬 3日目その2)

 

大和波止場で、模擬戦艦ヤマト体験した後、隣接する商業施設「ゆめタウン」内で酔い止めを買い、中央桟橋1階で乗船券を買い、クルーズフェリーに乗り、この日の宿泊地、奥道後温泉のある、四国、松山市に向かいました。

 

航路

 

ゆめタウン

 

中央桟橋1階 乗船券売場

 

乗船券

 

 

中央桟橋2階 乗船道

 

桟橋

 

呉から松山へは、瀬戸内海汽船を使いました。広島港発が呉港経由で松山観光港へ行きます。船は1時間乗船のスーパージェットと2時間乗船のクルーズフェリーがありましたが、瀬戸内海クルーズを満喫するためにクルーズフェリーにしました。酔い止め飲み、乗船しました。実際、船はほとんど揺れず、逆に、酔い止めのせいで眠くて体調不良に陥りました。瀬戸内海は初めてでしたが、大丈夫でした。

 

 

 

 

出航してほどなくして、左手側に、日本の誇る自衛隊の護衛艦群が見えてきました。護衛艦を見るのは、横須賀の三笠丸以来久しぶりで感激しました。悲劇の戦艦大和もここにいたんですね。感極まりますね。そんな感激に浸っていると、音戸大橋が見えてきて、下をくぐりました。

 

護衛艦群

 

音戸大橋

 

乗船から2時間後、四国松山観光港に到着しました。下船後、伊予鉄道高浜駅まで10数分歩き、電車に乗って松山市内にいきました。四国は2回目です。前回は車でした。

 

松山観光港桟橋

 

松山観光港ターミナル

 

 

伊予鉄道 高浜駅

 

伊予鉄道 松山市駅

呉大和ミュージアム(2025年10月中旬 3日目その1)

広島県呉市

 

早朝早く、広島駅から呉市方面に行く電車に乗り、呉市の大和ミュージアムに向かいました。60分程で到着し、駅から続く自由通路を10数分歩くと、中央桟橋のビルがあり、そこのロッカーに荷物を預け、事前調査で大和ミュージアム改修工事休館中を知っていたので、残念ながら、周辺を散策しました。

 

アクセス

 

JR呉駅

 

 

大和ミュージアム(改修工事休館中)

 

中央桟橋

 

 

中央桟橋からの景観

 

潜水艦あさしお、しんかい

 

<大和ミュージアム>

大和ミュージアムは、広島県呉市にある博物館で、平和の大切さと科学技術の素晴らしさを後世に伝えることを目指して、明治以降の日本の近代化の歴史、特に呉の歴史と、その基盤となった造船・製鋼などの科学技術を紹介しています。

シンボルとして、第二次世界大戦で呉で建造された戦艦「大和」を10分の1スケールで再現した模型が展示されている他、戦艦大和に関する資料や、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)や特殊潜航艇「海龍」などの実物資料、呉の歴史に関する展示があります。

 

<大和波止場>

「大和波止場(やまとはとば)」は、広島県呉市にある、大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)の隣の臨海公園で、戦艦「大和」の前甲板をイメージして作られた広場があります。

恋人の聖地」にも認定されており、海や夕日がきれいなロマンチックな場所としても知られています。

 

大和の主砲を作り出した、旧呉海軍工廠 大型旋盤展示館

 

船橋

 

 

大和甲板

 

 

主錨レプリカ

 

時鐘

日本三景 宮島その2(2025年10月中旬 2日目その4)

広島県廿日市市宮島町

 

<世界遺産 厳島神社>

厳島神社は、広島県廿日市市の厳島(宮島)にある神社で、全国に約500社ある厳島神社の総本社です。1996年(平成8年)12月にユネスコの世界文化遺産に「厳島神社」として登録されています。

建立は、社伝では、推古天皇元年(593年)、当地方の有力豪族・佐伯鞍職が社殿造営の神託を受け、勅許を得て御笠浜に市杵島姫命を祀る社殿を創建したことが始まりとされる。

その後、平清盛により現在の海上に立つ大規模な社殿が整えられました。社殿は現在、本殿・拝殿・回廊など6棟が国宝に、14棟が重要文化財に指定されている他、平家の納めた平家納経を始めとした国宝・重要文化財の工芸品が多数納められています。

 

散策図

 

入口で入場券を買い探索開始です。現時点では干潮で、社殿は陸地が見えています。これから満ちてくるようです。おかげで、鏡の池を見ることができました。防潮対策として、基礎と接続されていない橋脚部が観察できました。

 

入場券

 

日本三大鳥居 大鳥居

 

入口

 

 

鏡の池

 

 

 

防潮対策の橋脚部

 

 

日本三大能舞台

 

満ち始めている大鳥居

 

厳島神社を順路に沿って探索した後、御手洗川沿いを歩いて、豊国神社、五重塔、千畳閣に向かいました。五重塔は改修中でした。残念。瑠璃光寺に続いてまたもやでした。千畳閣内は広大で、神聖な空気が漂っていました。秀吉の死により、張られないままの天井も見ることができました。

 

<豊国神社>

豊国神社は、豊臣秀吉が戦没将兵の供養のため、大経堂(お経を読むための建物)として建立を発願し、天正15年(1587年)に安国寺恵瓊に命じて着手されましたが、 秀吉の死(1598年)により工事が中断され、天井や一部の壁がない未完成の状態のまま現在に至っています。この未完成さが独特の開放感を生み、見どころの一つとなっています。

 建物が畳約857枚分の広さを持つことから、「千畳閣」と呼ばれるようになりました。実際には畳は敷かれておらず、すべて板張りです。

厳島神社の社殿の背後、高台に位置しており、瀬戸内海や厳島神社を見下ろすことができる眺望の良さも魅力です。

 明治時代の神仏分離令の後、豊臣秀吉公が祀られ、豊国神社となりました(厳島神社の末社)。後に加藤清正公も合祀されています。

 出世・開運の神様として、豊臣秀吉公にあやかった出世・開運のご利益があるとされています。

 

御手洗川

入場券

 

改修中の五重塔

 

 

 

 

未完の天井

 

千畳閣からの景観

 

帰り際に、昼食場所を探しましたが、どこも満員で、はずれに空いている食事処があり、あなご飯を堪能しました。味は淡白で、鰻よりも堅めでした。姫路城に行った時も食べましたが、鰻より落ちるかなという感じでした。会社員時代、神田で食べた、東京湾の煮あなごは美味しかったのに、ちょっと残念でした。

 

あなご丼

 

それにしても、この日の午後は暑かったです。汗びしょびしょになりました。大混雑の中、フェリー、市電に乗り広島市内のホテルに帰りました。途中駅ビルで弁当、コンビニで飲物を買って夕食としました。 

 

 

市電

 

広島周辺旅行2日目は、歩数:17,596歩、歩行距離:12.3kmでした。

 

明日は、呉港で戦艦大和を思い、フェリーで四国に渡り、道後温泉に行きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本三景 宮島その1(2025年10月中旬 2日目その4)

広島県廿日市市宮島町

 

岩国駅から、広島方面行の電車に乗り、30分弱で、この日の最後の訪問地、宮島行きのフェリーに乗るために宮島口駅に到着しました。太平洋を望む松島日本海を望む天橋立に続き、最後の三景訪問地、瀬戸内海を望む宮島で、世界遺産 厳島神社、秀吉が建立した豊国神社を散策します。宮島口駅から数分で、宮島松大汽船フェリー 宮島口乗降場があり、乗船券を買い乗り込み、10分程で宮島松大汽船フェリー 宮島乗降場に到着し、観光協会で観光パンフを入手して散策開始です。

 

アクセス

 

宮島口駅

 

宮島松大汽船フェリー 

 

広島側景観

 

宮島川景観

 

船から見る厳島神社大鳥居

 

宮島桟橋

 

<日本三景 宮島>

宮島(正式には厳島)は、広島県廿日市市の瀬戸内海に浮かぶ島で、「神の島」として古くから信仰を集めてきました。

主な特徴と魅力として

  • 厳島神社(世界文化遺産):

    • 海上に建つ朱塗りの社殿が有名で、寝殿造りの美しさを今に伝える貴重な建築です。

    • 満潮時には社殿が海に浮かんでいるように見え、干潮時には社殿の下や大鳥居の近くまで歩いて行けるなど、潮の満ち引きによって異なる幻想的な景観を楽しむことができます。

  • 大鳥居:

    • 厳島神社のシンボルであり、海中に建つ巨大な朱塗りの鳥居は、宮島の象徴的な風景です。

  • 古来より島そのものが神として崇められてきたため、社殿は陸地を避けて海上に建てられたと伝えられています。

  • そのため、島内には弥山(みせん)原始林など、豊かな自然が手つかずの状態で残されています。(弥山原始林も世界遺産に登録されています。)

  • 平清盛が信仰し、現在の海上社殿の基礎を築いたことで有名です。

  • 島内には、豊国神社(千畳閣)や五重塔、大聖院など、歴史的な建造物も多く点在しています。

  • 人懐こい鹿が島内に生息しており、観光客の目を楽しませています。

  • 広島名物の牡蠣あなごめしもみじ饅頭といったグルメも充実しています。

  •  


 

散策マップ

 

昨日の雨から一変して、快晴になりました。暑い午後になりました。海沿いを歩いていくと、平清盛公像がありました。途中表参道商店街(清盛通り)を歩き、水分甘味補給で、カップソフトをお腹に入れ、御笠浜に出ました。学生、修学旅行生、外国人観光客で大混雑してました。

 

平清盛公像

 

表参道商店街(清盛通り)

 

カップソフト

 

 

 

 

御笠浜と鹿

 

次回、厳島神社、豊国神社を紹介します。

ぶらりきままに城めぐりの旅126

山口県岩国市 岩国城 攻城259 (2025年10月中旬攻城)

百名城No74 75/100

 

吉香公園の奥のロープウェイ乗場からロープウェイに乗り岩国城を目指します。乗車駅の広場にからくり時計がありました。ロープウェイ乗場の右手側から攻城開始です。

 

 

アクセス

 

歴代城主

 

<岩国城>

岩国城は、山口県岩国市に位置する山城で、眼下に流れる錦川を天然の外堀に見立てた要害の地に築かれています。築城主は、吉川広家(きっかわ ひろいえ)で、関ケ原合戦で家康の味方をしたものの、毛利輝元が西軍の総大将になったことで、減封されて、輝元は萩、広家は岩国を与えられました。私は、関ケ原東軍の最大の影の功労者は、広家と思っています。南宮山から駆け下りて、背後から家康を攻めたら、家康負けてましたよね。城は、慶長13年(1608年)に完成しましたが、わずか7年後の元和元年(1615年)に江戸幕府の一国一城令により破却されました。現在の天守は昭和37年(1962年)に再建されたものです。

 

散策図

 

縄張図

 

城郭西側の舗装されたやや平坦な登城路と東側の階段の狭い登城路があり、やぶ蚊がぶんぶんと飛んでいたこともあり、防虫スプレーをかけて、最初は舗装路を行き、石垣が見えるところで、東側に移行して攻城しました。石垣が見えてきて、階段を上ると大手門です。左手は二の丸で礎石跡がありました。右手は本丸です。天守は織豊系の黒と家康系の白のミックスでした。本丸奥に旧天守台があり、北東の隅に北の丸がありました。帰りは、舗装道路を行きました。途中、大釣井がありました。

 

からくり時計

 

登場口

 

 

 

石垣

 

大手門

 

二の丸

 

 

天守

 

天守入口

 

天守からの景観

 

 

旧天守台

 

 

北の丸

 

大釣井

 

錦帯橋、吉香公園、岩国城と素晴らしかったです。散策することができて、本当に良かったです。山口県、三回目の訪問でした。

 

次回は、岩国から広島へ帰る中、宮島、厳島神社に立ち寄りましたので、紹介します。

 

 

 

 

 

 

吉香公園(2025年10月中旬 2日目その2)

山口県岩国市

 

錦帯橋を渡った先は、吉川家、その家臣の居館跡等が、吉香公園として整備されていました。公園の奥に、ロープウェイ乗場があり、登った先に、岩国城があります。

 

散策マップ

 

<吉香公園>

吉香公園(きっこうこうえん)は、山口県岩国市にある公園で、国の名勝に指定されています。岩国藩主であった吉川(きっかわ)氏の居館跡を中心として整備されており、歴史的な成り立ちと豊かな自然、そして隣接する錦帯橋との景観が大きな特徴です。

  • 江戸時代:吉川広家(きっかわひろいえ)が岩国に移って以来、明治維新までの約270年間、吉川家の政治・生活の中心地でした。

  • 明治維新後:吉川氏が屋敷を政府に返納した後、建物の一部は払い下げられ、広大な敷地が公園として整備されました。

  • 名称の由来:吉川家の家紋である「丸に三引」の中の「吉」と、岩国のシンボルである錦帯橋の「錦」を合わせて「吉錦公園」と呼ばれていた時期もありましたが、現在では「吉香公園」として親しまれています。

吉川 広嘉公像
 
香川家長屋門
 
 
岩国城を望む
 
錦帯橋実験橋
 
 
吉川広家公像
 
錦雲閣
 
 
 
 
ロープウェイ乗場、景観
 
ロープウェイの乗客は数組いました。乗車時間は10数分くらいだったでしょうか。車内から見る、岩国城下町、その先の瀬戸内海が綺麗でした。次回はいよいよ、岩国城攻城です。