愛知県新城市 長篠城 攻城217(2022年11月4日訪問)

日本百名城 No46 63/100

 

<城郭概要>

長篠城は、愛知県新城市長篠にある平城で、1500年代初期に菅沼氏により築城されました。天守は無く、

豊川と宇連川が合流する場所に突き出した交通の要衝、断崖絶壁の上にあり、二つの川と断崖絶壁に守られた天然の要塞であったようです。

織田徳川連合軍と武田軍との激戦の要衝の城として知られています。徳川の城となって以後、1570年代に廃城となっています。

遺構として、城郭、石垣、堀、土塁が現存しています。

 

 

 

城郭図、周辺地図

 

 

<攻城1>

JR飯田線長篠城駅南西数百mに位置し、長篠城城跡駐車場に駐車して、攻城開始です。駐車場は帯曲輪にあり、すぐ本丸空堀、土塁があり、右手に長篠城址史跡保存館があります。土橋を渡ると本丸です。本丸奥は野牛曲輪ですが行けませんでした。

もどって、西に行くと弾正丸跡がありました。

 

 

駐車場

 

史跡保存館

 

 

 

 

本丸外側空堀、土塁、土橋

 

 

本丸

 

本丸内土塁

 

本丸柵奥が野牛丸

 

 

弾正丸

 

 

愛知県新城市 野田城 攻城216(2022年11月4日訪問)

 

<城郭概要>

野田城は、愛知県新城市豊島にある、平山城で、1500年代初期に、菅沼氏により築城されたようです。

その後、武田軍に攻められて落城し、武田信玄が城内にいたとき鉄砲で撃たれ、その傷がもとで死んだという伝説もあるようです。徳川家康の江戸移封後1590年に廃城となったようです。

遺構として、城郭、堀、土塁が現存しています。

 

野田城城郭図

 

<攻城1>

設楽原歴史資料館で、野田城400年という情報をいただいて、急遽立ち寄りました。武田信玄が撃たれた伝説があるようです。野田城はJR飯田線野田城駅南西2km弱に位置し、城郭脇の車道脇に駐車できるところがあり、駐車して攻城開始です。

三の丸から入っていきます。空堀跡、二の丸がありました。二の丸は木が生い茂りはいれませんでした。

本丸の入り口があるので、そこから本丸に入ります。奥に井戸、信玄狙撃された地がありました。

 

前方の道路わきに駐車

 

三の丸入口

 

 

 

 

三の丸、堀

 

二の丸

 

 

 

本丸入口、本丸

 

信玄狙撃地

 

井戸跡

 

野田城の保存状態はあまりよくありませんでしたが、かえって、遺構が手つかずでかなり残っているようです。信玄は、本当に撃たれたんでしょうか。興味ありますね。

 

 

 

 

 

熊野古道周辺の旅 7日目  長篠合戦地(2022年11月4日訪問)

 

長篠の戦いは、戦国時代の天正3年5月21日、三河国長篠城をめぐり、3万8千人の織田信長・徳川家康連合軍と、1万5千人の武田勝頼の軍勢が連吾側の両サイドで相対して戦った合戦です。

織田徳川軍の鉄砲隊と武田軍の騎馬隊との戦いとも言われています。その際の織田徳川軍の馬防柵を、某大河ドラマでは、井伊直政が井伊谷の材木で作らせたとありましたね。

この戦いで武田方の武将の大多数が討死し、後に武田氏は滅亡しました。

家康はこの戦いで、旧武田軍の兵を多数召しかかえて、赤備えを引継ぎ、築城術、治水術を得て、後の天下統一の基を手に入れましたね。江戸移封後の利根川東遷もこの治水技術の受け継ぎがなかったら、なかったんではないでしょうか。

 

長篠合戦地図

 

まず、設楽原歴史資料館に行き、資料、情報を手に入れました。資料館は前面改修中でした。その後、近くの駐車場に駐車して付近を散策しました。徒歩数分で合戦地に着きました。再建馬防柵がありました。ここから、鉄砲隊が攻撃したんでしょうね。諸説あるようですが、どんな戦いだったんでしょうね。

 

設楽原歴史資料館

 

長篠合戦地駐車場

 

連吾川

 

 

 

案内板

 

 

 

 

馬防柵

 

武田側から

 

織田徳川側から

 

 

 

愛知県豊橋市 吉田城その2 攻城215(2022年11月4日訪問)

日本続百名城 No151 41/100

 

<攻城2>

本丸南側は工事中でした。豊川に面した奥に、模擬再建櫓の鉄櫓がありました。北御門から川沿いの腰曲輪に出て、二の丸を通って、駐車場にもどりました。

 

本丸石垣

 

本丸

 

 

 

模擬再建鉄櫓

 

 

豊川

 

北御門跡

 

石垣

 

二の丸

 

 

愛知県豊橋市 吉田城その1 攻城215(2022年11月4日訪問)

日本続百名城 No151 41/100

 

<城郭概要>

吉田城は愛知県豊橋市にある半輪郭式平城で、1500年代初めに、牧野氏により築城されたようです。天守は無く、鉄櫓が模擬再建されています。徳川氏と武田氏の攻防の際の徳川氏の支城として、徳川四天王の酒井忠次が城主の時もあったようです。

小田原征伐後、秀吉の家康江戸移封後は、池田輝政が城下町とも大改修してようです。江戸時代には吉田藩の政庁としての役割を果たし、明治維新後に吉田藩から豊橋藩に改名されたことに伴い豊橋城とも呼ばれ、明治初期に廃城となったようです。

遺構として、城郭、石垣、堀、土塁が現存しています。

 

吉田城城郭図

 

<攻城1>

JR豊橋駅北東2kmに位置し、市役所の駐車場に駐車して、攻城開始です。駐車場は三の丸跡外郭にあり、その多くに、徳川家康公腰掛松旧跡の石碑がありました。城郭内は、ところどころ、石垣の補修工事中のようです。

 

三の丸外郭の駐車場

 

徳川家康公腰掛松旧跡の石碑

 

石垣補修工事中

 

城郭の東側、三の丸から城郭に入っていきます。堀切、土塁、土橋がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三の丸跡 堀、土塁、堀切、土橋

 

本丸石垣虎口

 

石垣補修中の本丸

 

裏御門跡

 

 

 

 

熊野古道周辺の旅 7日目  愛知県豊橋市~静岡県掛川市(2022年11月4日訪問)

 

行程図

 

10月29日から始まった熊野古道周辺の旅も残り2日となりました。本日の初めの訪問地は日本続百名城の吉田城です。途中旅行4回目の給油をしました。豊橋市役所駐車場に駐車して、攻城後、長篠合戦地に向かいます。設楽歴史資料館で情報を得て近くの駐車場に駐車して、織田徳川連合軍と武田勝頼軍の激戦地を散策し、馬防柵等を見て、当時を想像しました。資料館で、野田城の情報を得たので、引き返して、野田城攻城後、道の駅もっくる新城で旅割クーポン6000円分を使い切り、日本百名城 長篠城を攻城しました。その後、二俣城、鳥羽山城を攻城して、宿泊地の静岡県掛川市に向かいました。6日目は、徳川氏、武田氏の歴戦、激戦の地の城めぐりとなりした。

 

4回目の給油

 

吉田城駐車場

 

長篠合戦地

 

長篠合戦地駐車場

 

野田城

 

道の駅 もっくる新城

 

長篠城駐車場

 

二俣城駐車場

 

掛川市内のホテル

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

三重県桑名市 桑名城その2 攻城214(2022年11月3日訪問)

 

<攻城2>

本丸内に入り、水堀を見ながら南下して一周します。神戸櫓跡がありました。神戸城から移築されたようです。辰巳櫓跡もありました。南下して中の丸に行き、二の丸にいきます。二の丸の石垣が現存していました。本丸中心に生き、奥に天守台跡がありました。進入禁止になっていました。

 

神戸櫓跡

 

辰巳櫓跡

 

 

中の丸に渡る橋、中の丸

 

 

広大な水堀

 

現存の二の丸石垣

 

 

 

 

本丸跡、天守台

 

徳川四天王、本田忠勝公の城桑名城は、公園として整備され、水堀以外、遺構はほとんどありませんが、天守台石垣が残っていました。広大な城郭だったことを想像させる城跡でした。

三重県桑名市 桑名城その1 攻城214(2022年11月3日訪問)

 

<城郭概要>

桑名城は、三重県桑名市にある、梯郭式平城で、1510年代に伊藤武左衛門が桑名城の基礎を築いたようです。その後、織田信長、豊臣秀吉の配下になり、城主は目まぐるしく変わり、関ヶ原合戦後、德川四天王の本田忠勝が西国大名の防衛のため、千葉県の大多喜城から移封され、大改修されたようです。その時の天守は、複合式層塔型4重6階で、51基の櫓、46基の多聞が立ち並び、また同時に城下町も整備されたようです。築城開始当初には四天王の一人である井伊直政も家臣を動員して普請の応援を行ったという逸話があるようです。江戸時代は伊勢桑名藩の藩庁が置かれましたが、元禄14年に焼失したようです。明治初期に廃城となりました。

遺構として、郭、石垣、土塁、堀が現存し、蟠龍櫓が外観復元されています。

 

城郭図

 

 

御城印

 

<攻城1>

桑名城は、JR関西本線桑名駅東2km弱、揖斐川沿いに位置し、城郭北側の柿安コミュニティ パーク駐車場に駐車して攻城開始です。北に行くと広い三の丸跡があり、外観復元されてた蟠龍櫓がありました。その先には七里の渡し跡がありました。駐車場にもどると、本田忠勝公像がそびえていました。大多喜の像よりかなり大きいです。南に進み本丸に入っていきます。

 

案内図

 

駐車場

 

三の丸跡

 

 

蟠龍櫓

 

 

七里の渡し

 

 

本田忠勝公像

 

 

 

 

 

 

三重県鳥羽市 鳥羽城その2 攻城213(2022年11月3日訪問)

 

<攻城1>

三の丸から城山公園にもどり、奥に行くと北の石垣の虎口がありました。また戻り本丸方面に進みます。石垣の虎口を抜けると本丸にでました。本丸からの眺望は最高でした。本丸南側には廃校になっている小学校がありました。なんて、いい環境だったんでしょうか。本丸ですよ。良く建てましたね。斜面ですよ。廃校がもったいないですね。

 

北側虎口

 

 

本丸への道

 

 

本丸の石垣

 

本丸虎口

 

本丸跡

 

天守台跡礎石

 

本丸御殿跡、大井戸跡

 

本丸からの眺望

 

 

本丸に建つ小学校の廃校

 

 

三重県鳥羽市 鳥羽城その1 攻城213(2022年11月3日訪問)

 

<城郭概要>

鳥羽城は、三重県鳥羽市ある、平山城、海城で、1590年代に九鬼氏により築城され、鳥羽藩の藩庁が置かれました。天守は非現存ですが、3重の構造だったようです。城主は九鬼氏以降目まぐるしく変わっています。遺構として、郭、石垣、土塁が現存しています。

 

城郭図

 

城主

 

御城印

 

<攻城1>

鳥羽城は、JR参宮線鳥羽駅すぐ南に位置し、鳥羽市文化会館裏、鳥羽城家老屋敷跡の手前の駐車場に駐車して攻城開始です。立派な石垣の横の階段を登ってい行きます。すぐ左手に家老屋敷跡がありました。廃校の幼稚園らしき建物があり、立ち入り禁止でした。登っていくと城山公園にでました。本丸北側に位置して、

北の丸でしょうか。通常だと二の丸の位置ですが、二の丸跡は東側の線路の対面の海側です。ここからの眺望は最高でした。本丸行く途中に三の丸への降り階段があるので降ります。三の丸の多段状の石垣が華麗です。石川県の七尾城を思わせました。

 

家老屋敷跡前の駐車場

 

案内板

 

登り階段

 

 

家老屋敷跡、幼稚園らしき廃建物

 

城山公園への上り階段

 

 

城山公園、北の丸?

 

城山公園から見る二の丸、ミキモト真珠島

 

三の丸への下り階段

 

 

 

三の丸、石垣

 

二の丸跡