2. あの頃のあの国 <後記>(2010年) | 地球一人旅

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 <後記> (2010年)

 

 1990年7月。

 あこがれの中国に、ワクワクで出発。

 中国でも台湾でのような素晴らしい出会いがあることを信じて。

 

 中国は子どもの頃からのあこがれの国。

 小学時代、「西遊記、水滸伝」等のマンガ大好き。
 中学時代、
図書館で吉川英治訳「三国志」を愛読。

 高校時代、古文の授業で学んだ、杜甫・李白等の詩が大好きに。
 大学時代、
「中国の赤い星」「青春の北京 」等に感動。

 

 テレビの旅番組で、地平線に消える万里の長城。

 「 ああ、いつかはあそこへ !」との思いが。

 

 ところが、である。
 酷かった、とにかく酷かった。
 なにが酷いって?

 出会う人間、出会う人間、みな酷すぎ !


 台湾に行き、

 「 人間ってすばらしい、人間万歳 ! 」 とか思ったぼく。
 が、中国では、

 「 コ、こんなヤツら、なにが人権だ!」と思ってしまったのだ。

 

 

 旅の終わり、「万里の長城 」 へ行った。

 

しげしの道 ・ しげしの旅
万 里 の 長 城

 

 確かに、ものすごいスケール、迫力。
 が、旅の間中、ひどい連中とやり合った後の「万里の長城」。

  「 壮大な無駄 」 としか思えなかった。


 ここは、全部、俺の物だと囲い込む。

 壊されては作り、壊されては作り。
 莫大な費用・労力・時間を犠牲に。

 バッカじゃないのか。

 

 四千年だか、五千年だかしらないが、長い歴史の結果、こんな人間達が。

 だったら、「 歴史 」なんかに、何の意味がある、何の価値がある !?
 

 中国、世界の人口の20%が住む国。

 「 21世紀の主役 」、それが、このあり様。

 だったら、世界の未来はどうなるのか。

 まさに、絶望的な気持ちで、帰国した。

 

 中国と台湾、何であんなにも人間が違う?

 台湾も中国も「民族」とかの観点だと大した違いはあるまい。

 中国が、まだまだ経済的に貧しいのが原因?

 「 衣食足りて礼節を知る 」 との言葉も。( 孔子が言って、もう2000年以上になるが )

 

 が、後、中国より貧しい(GDP等でなく、行って生活を見た印象)国々にも行った。

 中国より心の豊かな人々がたくさんいた。

 経済力の問題だけではないとわかった。

 

 やはり、社会の仕組み・国家体制の問題がある?

 一党独裁と資本主義の悪い所を掛け合わせた、歴史的大混乱の時代。

 それが「あの頃の中国」だったのだろうか?

 

 

 天安門事件。

 民主化を求め、天安門広場に、黙々と座り続ける民衆。

 それを、政府が戦車まで出動させて、弾圧したわけだ。

 政府発表でも、200人が殺害され、9000人が負傷。

 こんな国で、人間尊重の精神が育つはずがない。

 

 だが、戦車の前に、素手で立ちはだかった人もいたのだ。

 彼もまた、あの頃の中国で育った中国人。

 「この国では、 何を言っても、何をしてもムダ 」 

 そう思いつつも、座り続け、闘い続けた人たちが、確かにいたということ。

 それは、絶対に忘れてはならないだろう。

 中国にとってだけでなく、世界にとっても、希望の原点だと思うから。
 

 天安門事件から20年。

 

 天安門事件当時は、外貨準備高は危機的状況に。

 今では、当時の130倍、世界一の外貨準備高。

 GDPも、当時の20倍に。

 20年後には、アメリカを越える可能性ありとの予測も。
 「衣食足りて礼節を知る」どころか「経済発達して人権を知る」も?

 ぼくは、昨年、20年ぶりに、中国本土へ。

 まず最初に驚いたのは、入国審査官。

 笑顔で「こんにちは」と日本語で挨拶してきたのだ。

 仕事も、メチャクチャ、スピーディー。


 「あの頃」の中国の入国審査官と言えば……。

 仕事中に、なんか食ってる。

 隣の審査官と、ず~っと無駄話。

 ジロッとにらみつけて、パスポートを投げ返してくる。

 そんなやつだらけだったのに。

 街を歩いていても、はるかに快適に。

 客引き、乞食、詐欺……等々が、大幅に減少。

 ツバを吐くやつ、乗り物からゴミを投げるやつ、列に並ばないやつ等々が激減。
 下心なく親切にしてくれる、そんな20年前は全く出会わなかった人にも遭遇。

 トイレも、かなりまともになってるし。

 早い話、別世界に。

 中国は、もうあの頃の中国に戻ることはなかろう。

 これからも、どんどん良くなっていくに違いない。
 そう、信じていい……… ? 

 

 

 ( アメリカ編 ここ  を、クリック )

 

 

<補足> 天安門事件

 1989年6月3日深夜から4日未明にかけ、天安門広場で強行された流血の悲劇は、その生々しい現場が全世界に報じられ、大きな衝撃を与えた。
 平和的に民主化運動を進めていた学生・市民に向け、鄧小平、楊尚昆、李鵬らの意を受けた人民解放軍が無差別に発砲し、学生・市民の側の死者は約3700、負傷者は約1万とも推定されている。
 中国当局は、「狂気に走った暴徒たちは解放軍将兵を襲い、軍用車に放火した」と事実をねじ曲げ、逆手にとって事態を正当化しようとした。 

( 国際政治経済の基礎知識 [新版] P.268 有斐閣ブックス )

 

天安門事件