「難しさ」の続きです。
もう1カ所、姉が行きたいと言って、連絡を取っていたお寺さんに行きました。
母の実家のお寺さんです。とは言っても、昔からというのではなく、私が学生の時に祖父が亡くなってからのお付き合いで、祖母も亡くなり叔父一家も引っ越してしまったので、もうお付き合いはありません。
でも、話に行って良かったです。
奥様である坊守さんは民生委員をされていて、お2人で話しを聞いて頂けました。
父と母が連れ立ってお詣りに来たことがあったと教えて頂きました。
それから、最近、整形外科の待合室で母を見かけた話しを聞きました。
夜の診察時間が終わっているのにも関わらず、診察の後、待合室で本を読んでいる母を見かけ、おかしいなと思ったそうです。
母は今、誰の意見も聞き入れない状態であるけれども、
もし母に意見出来るとしたら、母の主治医である整形外科の先生ぐらいだろう。
お寺さんも坊守さんも、その整形外科の先生と親しく、それがベストだと提案して下さいました。
それに、12月の話し合い(「面会だけでも無理」)に参加して下さった民生委員さんとも親しいのだそうです。
この民生委員さんは、父が地区の老人会の会長をしていた時からのお付き合いです。父が会長を辞めてからは、母と2人で副会長をしていました。(「胡蝶蘭」)
今、母が唯一 本音で話せる方なのです。
それを良く理解していて、何があっても、母の味方であるように、母の意見を否定しないお付き合いをして下さっています。
先日の座り込みの日も、(「2度目の座り込み」)
「おでんを沢山作ったから、食べに来て」と実家に留守番を入れて下さり、
夜遅くまで母の話し相手になって頂きました。
母は私には、「お父さんに会ったら、謝りたい」と言っていますが、
この民生委員さんには、「どうして施設に行ったのか問い詰める」と言っているらしいです。
だから、「お父さんの事を許していないので、絶対に会わしてはだめです」と言われます。
母の様子を知る為に、欠かせない人です。
でも、あまり頻繁に連絡は取らないようにしています。
というのも、母が 私や姉に言っている事と違う事があり、民生委員さんから聞くと「そういうことだったのか!」と納得がいく場合があるのです。
で、つい母と話している時に、「本当は◯◯って事だったのね」なんて、知らないはずの情報を母に伝える事が無いようにしています。
母が一番信頼している人が、裏で私達と繋がっている事がわかるのが、一番怖いです。
そういう訳で、一番話し合いたい人と深く話せない状況になっています。
でも、今回 お寺さんと坊守さんに、全ての事情を話したので、これからは相談出来るチャンネルが1つ増えました。
「いろいろなチャンネル2」に続きます。