FINAL FANTASY VII
ファイナルファンタジー7

※ネタバレあり

【生命の循環と技術革新への洞察】


初代プレステーションにて展開され、歴代で初めて3DCGが実装された作品、ff7。本作の魅力はあまりにも多彩ですが、今回は2つの軸から本作を考察します「世界観」と「クラウドの物語」の2つです。

本作は、ファンタジー的な設定の自由度を活かして、生命の循環が視覚的に描かれます。命を落とした生命体は「ライフストリーム」となって星へ還り、大いなる地球の生命の循環に取り込まれ、いつか異なる形で次の生命へバトンを渡します。作中においては「生命学」と言われますが、現実における「ガイア理論」を取り入れた設定と言えるでしょう。

そして、そんな生命の循環に科学技術を行使して不正に干渉し、文明のためのエネルギーとして消費するのが本作の悪役「神羅カンパニー」です。星の生命の循環を守るため、抵抗組織「アバランチ」のメンバーとして、主人公のクラウドたちは神羅カンパニーと戦う。これが本作の流れ。

神羅カンパニーが支配する首都「ミッドガル」の描写は独特です。神羅カンパニーの工場の煙で空は覆われ、まるで常に夜のよう。暗い地上には、文明の象徴の照明やネオンが怪しく光ります。

そんな鬱屈した世界で数時間のゲームプレイを経て、神羅カンパニーとひとまずの決着をつけたプレイヤーは、新たな敵「セフィロス」を追ってミッドガルを飛び出し、広い草原へ踏み出します。

ここの演出がすごい!これまで数時間にわたり、ミッドガルの鬱屈した世界を見たからこそ、突き抜ける青い空やどこまでも続く草原が鮮やかに映る。更にゲーム的にも、これまで「固定カメラ」の視点で進行していたものが、ワールドマップではカメラ視点を左右へ動かせるものとなり、空間を感じられる。

ゲーム的演出も取り込み自然の雄大さを感じられる演出ですが、このような形で自然の価値が体感できるからこそ、自然を奪おうとする「神羅カンパニー」打倒のモチベーションが上がるというもの。

ゲーム的演出とシナリオが密接につながる構成は圧倒的完成度です。

【見栄の克服】


クラウドの物語は「見栄の克服」です。

少年時代、故郷ニブルヘイムで幼馴染のティファに、ソルジャーになると宣言したその日から、彼は掲げた目標と、それに届かない自分の実力の葛藤に向き合い続けてきました。宝条の人体実験という経緯を経てソルジャークラス1stの力を得て、ティファとの再会を経ても、結局クラウドは見栄を張ってしまいクールな「虚構の自分」を演じ続けます。

長い冒険を経て、ティファのまっすぐな想いを受けて、終盤、遂にクラウドは等身大の「素朴な勇気」で、ありのままの自分を受け入れます。ティファを始めとする仲間達の信頼があったからこその「見栄の克服」という成長です。

【大きな世界観と個人のドラマの繋がり】


思えば、際限のない技術革新というのは、一人一人の「見栄」があるからこそかもしれません。隣人より豊かでありたい。隣町より豊かでありたい。そのような一人一人の「見栄」、あるいは「虚栄心」のエスカレートが「終わりなき過剰な技術革新の欲求」に結びつき、やがて「神羅カンパニー」のような存在を生み出す。

それの打倒が可能なのは、クラウドが達成したような「見栄の克服」という一人一人の成長なのかもしれません。

神羅カンパニーとの戦い、そしてエアリスの選択を通して描かれる、星を巡る「大きな世界観」。個人へ焦点の絞られた「クラウドのドラマ」。スケールの異なる2つの軸がゲーム的演出を経て、結びつくシナリオは長きに渡り評価されることも納得の完成度です。