
※ネタバレあり。
【その1、映画として見る】

複雑なビジュアルに合わせるべきは、単純なストーリーであるべき。
・・・というのが私の持論だ。複雑なビジュアルに複雑なあらすじが合わさってしまえば消化が難しくなる。名作となるかもしれないが『2001年宇宙の旅』や『ブレード・ランナー』のように「難解な名作」として評価が年単位で後からついてくる事態になりかねない。
だから、前回の『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は理想的なバランスだった。クッパは時折、愛嬌を見せつつも「悪役」として脅威を存分に描かれた。囚われの「ルイージ」もマリオから見れば「かけがえのない兄弟」であり、「倒すべき敵」と「明確な目標を目指し」突き進むことができた。ゲームに由来する複雑なビジュアル世界をかいくぐるだけの「動機」と「熱量」が十分だったのだ。
熱量ある冒険活劇の中、立ち上がり続けるマリオを通して描かれる、「ゲーム体験」とシンクロする「絶対にあきらめない意志」を描写するメッセージ性も強力だった。筆者としては前作は世間で言われるほど「内輪向け」の映画ではなく、初見の人にも配慮が行き届きつつもメッセージ性も内包された名作だと考えている。
翻って本作はどうか。『スーパーマリオギャラクシー』を翻案として縦軸を構築しつつ『マリオオデッセイ』『ヨッシーアイランド』等の様々な任天堂作品のエッセンスを取り入れ世界観の大幅な拡張を図った。混沌としつつもビジュアルの力で最後まで牽引する力強さという前作の強みは一層の磨きがかかる。
一方でストーリー面での牽引力は弱まってしまったように思える。本作では前作の「ルイージ」とは異なり、新たに登場する「ロゼッタ」が囚われの身となり、彼女の救出が主人公サイド、マリオやピーチたちの目的となる。しかし、ゲームプレイヤーにはなじみのロゼッタも、この映画のマリオから見ればまだ対面もしていない人物だし、ロゼッタと強い関係性を持つピーチとしても、映画の前半ではその関係性を忘却している。
理不尽に囚われた人を助けるのは当然と言えばそうなのだが、前作の「ルイージ救出」ほどの切迫感を演出できてないのは痛い。いわば「知らない人」を助けに行く物語となってしまっており「熱量」においては前作に比較して乏しい。
(前作では家族の描写を織り込みつつ、マリオとルイージの絆を丁寧に描いた上で、はぐれたルイージ救出の目的が立ち上がる構成だった。本作では冒頭でロゼッタとチコ達の絆を描けていたもののマリオとピーチに対するロゼッタの関係性描写が希薄であった。ロゼッタの救出を依頼しに来たチコがマリオとピーチをリードする流れならまだスムーズで感情の導線も自然だったと思う。)
更には立ちはだかる「悪役」のはずのクッパJrとクッパの二者。彼らもキャラクターとしての魅力は十分描かれてはいたものの「悪役」としては弱かった。父親の役に立ちたいというクッパJrの想いが情感たっぷりに演出されるものだから初見でもクッパJrを好きになれる。しかし一方で「悪役」として憎み切れないという問題が生じる。マリオと芽生えかけた友情とクッパJrへの親心の狭間で葛藤するクッパもキャラクターとして魅力的に描けて入るものの「悪役」としては中途半端な上、映画のテンポを圧迫してしまう。
いわば明確な「悪役」不在のまま物語が進行するため、どこか締まりがない。「悪役」のはずのクッパJrとクッパを「魅力的」に掘り下げたことが、裏目に出てストーリーの軸がぶれてしまった。
あくまで些細な点だが、本作のように「複雑なビジュアル」の作品でそれをやられると視点をどこに置けばよいか分からなくなる。拡張された広い「宇宙」の世界観の中で迷子になってしまう。
クッパJrの背後に、彼をそそのかした更なる黒幕がいるなどして「悪役」を別に立てるとか、クッパJrの行動で期せずして何かしらの「厄災」を呼び込むかしてクッパJrとクッパが「悪役」に収まらない方向へ導線を引くかすれば、かなり見やすくなったとは思う。
あるいは思い切って、ロゼッタのチコへの「母性」と、クッパからクッパJrへの「父性」を共通性のあるものとして描写し、クッパがクッパJrの暴走を止め、諭す親子の成長物語として転換するとか。個々のキャラクターは十分魅力的に欠けているのに話を通してそれぞれのドラマが上手く結びつかなかったのがもったいない。マリオとルイージの「兄弟」。ピーチとロゼッタの「姉妹」。クッパとクッパJrの「親子」。それぞれのドラマを一つに結論に収斂させる導線があればなお良かったのだが。
【その2、ファンとして見る】

上述したようにストーリーの導線やテンポに不満はあるものの、前作から発展した世界観とビジュアルの豪華さには大いに満足させられた。正直、長年の任天堂ファンとして見たら批評などと言っていられるほど冷静ではいられない。
映画としての導線が弱く、視点の置き所に戸惑い迷子になってしまうが、楽しい迷子であることに間違いはない。
『スーパーマリオギャラクシー』の世界観で幕を開けるが『スーパーマリオオデッセイ』や『ヨッシーアイランド』の世界観とシームレスに繋がっていくダイナミックな導線には理屈抜きに興奮させられた。かつて親しんだ世界観の点と点が線でつながる高揚感。かつては『アベンジャーズ』に代表されるMCUのお家芸だったが、本作はシリーズ二作目の時点で早くもその興奮度に肉薄する。
古典的で王道な「スペースオペラ」の文脈で目まぐるしく展開する世界観は圧倒的。『スター・ウォーズ』のエピソード4~6的な、あるいは『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーシリーズ』的な高揚感がゲーム的ビジュアルと共に叩きつけられる体験は唯一無二だ。
細かいネタまで含めれば関連作品は膨大だろう。気付けたネタも多いが、おそらく見落としたネタも数多いはずだ。個人的に高揚したポイントは「フォックス」「ピクミン」「ファミコン・ロボ」「ゲーム&ウォッチ」等、『スマッシュブラザーズ』でも縁のあるキャラクターの登場。一瞬ではあるものの『スーパーマリオサンシャイン』でマリオの相棒であったポンプの登場(一瞬だけど)。そして個人的に『マリオシリーズ』で一番思い入れのある『ペーパーマリオシリーズ』関連の書籍がロゼッタの本棚に確認できたこと。
小ネタもただ登場させるだけではなく工夫がある点も好印象だ。お祭りでりんご飴をヨッシーが食べるのは「ヨースター島」のフルーツがりんごに酷似しているからだろうし、マリオがピーチに送るプレゼントが傘であるのは『スーパープリンセスピーチ』でピーチが傘の「カッサー」を相棒としていたことが由来だろう。(傘を使ったアクションが多彩で、なかなかに映画として新鮮だった。)

特にマリオとフォックスの対面が一番の盛り上がりポイントだった。少なくとも私の知る範囲でマリオとフォックスの直接的な関わりが描かれたのは初だ。(見落としているかもしれないけど)。『大乱闘スマッシュブラザーズX』のストーリーモードの『亜空の使者』ではマリオは主にリンクやピット、カービィ達と。フォックスはピーチやスネーク、メタナイト達との関わりが中心だった。
髭に、機体にと、お互いの重要な部分にリスペクトを払いつつ、限られた時間で信頼を結ぶマリオとフォックスの姿に長年両シリーズのファンを続けてきた身としては万感の想いがこみ上げた。正直、このマリオとフォックスの関わりだけで大いに元が取れたと満足できる。一瞬ながら顔見世の「ファルコ」「スリッピー」「ペッピー」の面々も嬉しいポイントだ。
良くも悪くも前作にあった癖がさらに先鋭化した本作。初見の方にあまり親切な構成ではないかもしれないが、ひどいというほどではない。分からなくても作品に込められた熱量を体感すれば、十分に楽しめるはずだし任天堂作品に思い入れのある人が見たら大興奮間違いなしだろう。
【その3、次回作に期待すること】
ここからは完全にファンとしての妄想だが、次回作に期待したいことを述べる。前作と本作で幅広い任天堂世界の繋がりを描けたのだから、次回は様々な「マリオ像」を描いてほしい。ユニバースからマルチバースへ、いわば『スパイダーバース』的な作風で並行世界のマリオ達を集結させるというわけだ。『マリオRPG』『ペーパーマリオシリーズ』『マリオ&ルイージRPGシリーズ』等々、様々に画風の異なるマリオが一堂に会したら・・・?想像だけでもワクワクする。
本作でのフォックスの登場が素晴らしかったため、次回はリンクの登場も期待したいところだが、現状『ゼルダの伝説』は「実写映画」にて制作が進行中。ともすれば、同時期にアニメ企画の進行は難しいように思えるが、スパイダーマンが「実写シリーズ」と「アニメシリーズ」が同時進行したように『ゼルダの伝説』もアニメを別途進行させることも可能なのではと思う。『風のタクト』に代表される「トゥーンシリーズ」の姿でなら、マリオの世界にも馴染むのではないだろうか。
更に、ポストクレジットシーンのデイジーはどのようにマリオ達に関わるのか?
そして、上述したような「悪役」の牽引力の弱さという本作の欠点を補うべく、強力な悪役の導入を待望したい。マリオ世界にはクッパ親子の他にもカゲの女王、ノワール伯爵、ゲラゲモーナ、ゲドンコ星人、等々、魅力的な悪役には事欠かない。
現状次回作の展開は不明だが、我々の想像を超える「熱量」で驚きを与えてくれることは確かだ。

