※ネタバレあり。

【法と秩序、氷川誠の信念】

本作は氷川誠の収監から始まる。冤罪であるにもかかわらず、客観的に自らの無実を証明するものがないことから彼は甘んじて境遇を受け入れる。元警察官という肩書が災いし、他の受刑者からの執拗な暴行を受けつつも、彼は目の前の小さな生命を守ることに注力するのみで、進んで状況を覆すことはしなかった。

「法と秩序」を尊重する彼のスタンスは「他者への信頼」に根差すものであり25年前の戦いから継続されたものだ。彼がかつて駆使したG3の力は「一人では動かない」。システムを構築する者、管制する者、行使を承認する者。G3ユニットの面々を筆頭とし、複雑な人間社会のバックアップがあって初めて成立する力。「一人の力」でないと理解する「謙虚さ」こそが氷川誠の本質であった。だからこそ彼が中心となり津上翔一、葦原涼、木野薫、個性的な面々が結束し、事態を打破するに至った。

翻って本作の事件の発端となる超能力者=ギル・アギトの面々はどうだろう。彼らは不治の病を宣告され、絶望した。しかし「アギトの因子」という条理を超越した力を得て「力に飲まれ」市井の人々に猛威を振るう。彼らの働く身勝手は、氷川誠の「謙虚さ」とは対極だ。超能力者と氷川誠の対立軸こそが本作のドラマの根幹だ。「力を手にした時、どうふるまうか」これは25年前の『仮面ライダーアギト』で描かれたドラマの再話でもあるが、25年を経た『超能力戦争』では、その年月の重みが、通底する本作のテーマ性により一層の重みを与える。

無秩序に力を行使する「フリーダム」を志向することが本作の超能力者=ギル・アギト達の選択だ。一方の氷川誠の選択は、今ある秩序を尊重しつつ、可能な限りの救命を成す「リバティ」だ。

だからこそ本作の結末は、再びの「収監」が描かれる。救命のためとはいえ法に背き脱獄したことへの落とし前だが、冒頭と異なるのは氷川誠には肩を並べる仲間がいるということだ。法は完全ではないが、氷川誠はそれを尊重する。たとえ自らに不利益が生じるとしても。そんな「不器用な」生き方で不遇を被るときも、氷川誠には支えとなる仲間達がいるし、肩を並べて歩いてもくれる。不思議な爽快感あるラストシーンの味わいは唯一無二だ。

人間が進化し一人として独立するのではなく、不完全な人間同士が支え合う描写こそ本作の本質なのだ。

【脚本と群像劇の妙技】

本作では大々的に大作と銘打たれたこともあり、G7を始め仮面ライダー達のアクションも巧妙だ。しかし嬉しい誤算だったのは「生身の超能力者達」の脅威もしっかりと描かれていたことだ。卓球、念力、透明化、歌、それぞれに異なる超能力の脅威は個性的に描かれるし、「一人一つ」の描写を貫くことで「能力バトル」としての面白さも担保されていた。「着ぐるみ」とも「CG」とも異なる「生身」のアクションの可能性を開拓した点で先駆的だ。過去を懐かしむに留まらない本作のチャレンジ精神に膝を打つ。

サスペンスとしての流れも丁寧だった。「不可能犯罪」を巡る導入から始まり、刑事ドラマとしての導線で引きつつ、徐々に「超能力バトル」へ作風が転換し、満を持して参戦する氷川誠とG7の登場で「ライダーバトル」へなだれ込む。一作で多彩な作風を体験させることも『仮面ライダーアギト』の持ち味だったが、その作風が25年後の一本の映画でも守られていることが嬉しかった。

キャラクター達のドラマも充実。北條透と婚約者を巡るドラマも本作で立ち上がったものだが、氷川誠との共闘を描きつつ「指輪」というマクガフィンを活かしつつ堅実に着地。小沢澄子と尾室隆弘の肩書の違いをきっかけに生まれる不和も、スリルを演出しつつも「立場に囚われない信頼」という納得の帰結を見せる。「レストランAGITO」という新天地で揺るぎない自己を形成した津上翔一の存在感は、サスペンスの中に「安心感」を演出する。

新キャラの葵るり子はとにかくアクの強いキャラだが、25年の時を経てある種、完成された氷川誠や津上翔一とは異なり「裏表ある人間らしさ」を体現するという点で重要な役割を果たした。このような登場するたびに様々に印象を変化させていくキャラクター性は客演キャストには担わせられないだろう。新キャラだからこその強みをいかんなく発揮し物語に新風を吹き込んだ。

「超能力」を巡るサスペンスを見せつつも、群像劇的に様々なドラマを展開しつつ結末に向け収斂させていく脚本の妙技にも魅せられた。

【「力」を前にどう振舞うか】

実は、刑務所で氷川誠に暴行を加えていた受刑者たちの描写も重要だ。彼らは「力を示したものに付き従う」という「弱肉強食」の論理で行動する。「強者」あるいは「権威」を前にした時にどのように振舞うかの一つの事例なのだ。対して、対アンノウン戦で英雄的な活躍を見せた氷川誠を前に小沢澄子、北條透、葵るり子はただ彼に従うわけではなく、時に反目し、時に分かり合い、「それぞれに可能な方法で」支え合う。

(組織の「権威」に屈しかけるも、最後に筋を通した尾室隆弘の描写は人間的な弱さと強さの揺らぎを描く重要なポイントだ。)

ヒーローは「力」を持つが、それで他者を従わせるのではなく、お互いに「補い合い」協力する者という本作の立ち位置が見えてくる。このスタンスは25年前の氷川誠、津上翔一、葦原涼、木野薫、それぞれ異なる立場と信念を持つ者同士の共同でテオスを退けた時と同じであり、だからこそ当時のテオスは人類に可能性を見出した。テオスにできたのは「上から力で従わせる」ことであったが、「同じ目線で補い合う」ことは、人間だからこそできることだからだ。

(「手にした力とどう向き合うか」そして「力を持つ他者とどう関わるか」というテーマは『仮面ライダー鎧武/ガイム』を彷彿とした。『鎧武』が未熟さを残す青年たちのドラマであるのに対し、本作は大人たちのドラマだが、今作の命題は年月を経ても人である以上避けられぬ葛藤なのだろう。)

【総括】

「懐かしさ」と「新しさ」が共存するが、何より一本の作品として面白かった。メッセージとしては25年前にも描かれた「人の可能性」の再話だが、25年たって繰り返す意味は、人の力とは「継続」に宿るからだろう。25年たって愚直で不器用な生き方を止めない氷川誠の勇姿と誠実さ。そして、料理であっても戦いであっても、手段を問わず人のためになろうとする津上翔一の生き様。激動の25年の時を経てもブレない彼らの姿に改めて勇気付けられた。


テレビシリーズの『仮面ライダーアギト』を私はリアルタイムで見ていたが、いくら何でも『仮面ライダーアギト』の複雑な世界観を幼少期の当時から理解できていたなどと言うつもりはない。ただ記憶に鮮明に残るのは、多種多様な個性と信念を持つ登場人物達が愛おしく、「面白かった」という事。本作について(思い入れ故)賛否が生じる部分が多々あることは分かる。それでも制作陣が全ての需要を満たすことは原理的に不可能と割り切った上で。あくまで「面白い」ドラマを作ることに向き合ってくれたことを私は歓迎したい。

人間模様の混沌を、人間の大いなる矛盾を、それでも紡がれていく営みを描き切る。私にとって『仮面ライダーアギト』は、一番面白い「仮面ライダー」なのだ。