ウルトラマンオーブ THE ORIGIN SAGA(オリジンサーガ)(オリサガ)(2016)
※ネタバレあり
【シリーズ屈指の異色作】
本作はTVシリーズ「ウルトラマンオーブ」(2016)のメインキャラ、ガイとジャグラーの若き日の過去を描くスピンオフ作品として企画されました。ただ、製作途中で制作陣の「ウルトラマンの正義」の意味を今一度問い直したいという作家性、企画サイドのお祭り作品として歴代キャストを客演させたいという考えが交錯し、オーブ前日譚以上の肥大化した作品となりました。(本作には「ウルトラマンシリーズ50周年記念作品」としての側面もあります。)
結果、ウルトラマンシリーズにおいて屈指の難解作品となり、特に中盤の「命の木」を巡るシークエンスは大きな議論を呼びました。しかし、長きにわたり様々な形でウルトラシリーズに関わってきた制作陣のウルトラマンの正義への洞察は実に興味深く、客演ウルトラマン達がそれぞれの経験を踏まえて行動していく描写は唯一無二のものです。そして、そして、尺として物足りない部分はあれどガイとジャグラーの若き戦士としての葛藤のドラマは目を引きます。
本作のメイン監督を務めるのは小中和哉氏。「ウルトラマンダイナ」「ウルトラマンネクサス」のTVシリーズでメイン監督を担当し、「ULTRAMAN」(2004)も制作しました。本作、オリジンサーガに向け、かつて制作中断となった幻の作品「ULTRAMAN2 requiem」の構想を一部流用したと語っています。(本作のメイン怪獣ベゼルブの造形がスペースビーストを彷彿とさせるのは、その名残でしょうか。)
本記事においては、賛否両論な本作の要素を整理し、本作の魅力を再発見できるものを目指していきます。
【ウルトラマンの文明干渉】
そもそも本作のウルトラマンの目的は何だったのか、あらすじから整理しましょう。戦いのきっかけは惑星ザインの科学者サイキです。彼は宇宙悪魔ベゼルブの力を行使し、宇宙を自らの一つの意志で統治し、平和をもたらすことを目的とします。平和であったとしても、それは血の通わない停滞した世界。多様な考えを尊重するウルトラマン陣営、オーブ、ジャグラー、ダイナ、コスモスはその野望を阻止すべく、サイキを追跡します。しかし、サイキはウルトラマン陣営の追跡を回避し、惑星カノンに到達。惑星カノンの守り神、戦神の力を吸収することで、ベゼルブの洗脳のための毒を宇宙全体にばらまこうとします。議論の的となるのはここから先の展開です。
ウルトラマン陣営の目的は宇宙の平和を守るためという大義の元に、サイキの行動を停止させることです。しかし、現状、サイキは惑星カノン領土内に侵入してしまっています。そして、若きガイとジャグラーが即時の戦闘を提言する一方でダイナとコスモスは戦闘をためらいます。
ウルトラマン達が惑星カノンに乗り込むということは「宇宙を救うという大義」のために、惑星カノンを戦場とすることを意味します。「戦いを止めるのだから、良いのではないか」そう思われる方も多いと思います。しかし、惑星カノンは信仰をよりどころとし、民と女王の信頼の上に成立する文明です。そして、その女王が「対話による解決を望んでいる」、そのような中ウルトラマンの強打な武力を行使し、干渉を行えば、最悪、信仰の対象が「女王」から「力そのもの」へシフトしてしまうことも考えられます。
目先の問題解決のためなら、ウルトラマンの武力での干渉が最も確実です。しかし、惑星カノンの後々続いていく歴史を考慮すれば安易な武力干渉は危険な選択です。今回武力で惑星カノンを救い、そののちウルトラマンが惑星カノンに永住し、時間をかけて間違った方向に進まないように力の意義を伝える。そのような対応ができるなら、今回の武力干渉も可能でしょう。
しかし、ウルトラマンの善意は、「さすらいの善意」です。ウルトラマンは全宇宙の平和望むからこそ特定の惑星に永遠に干渉はできません。ですから、緊急的に力を行使して人を救うことはあっても、最終的には、その惑星の人々が自立できるようにしなくてはいけません。そして、安易な救済は、その惑星の人々の成長の機会を奪うことになります。
1.
初代ウルトラマンにおいても、そのスタンスは明確でした、最終回においてゼットンにウルトラマンが敗北する中、人間の科学がゼットンを打倒し、人間の自立が表現されます。
2.
後のシリーズにおいても、ウルトラマンが文明干渉のリスクに敏感であること描写は多いです。ウルトラマンZにおいては人間が超獣の力D4を行使することの是非について地球人ハルキから問われたウルトラマンZが回答を拒みます。力で勝るウルトラマンが人間に答えを提示することは「正解」を押し付けることになりかねず、思考し、成長する機会を奪うからです。
3.
こんなことわざがあります。飢えてる人に魚を与えれば、その時の命は救える。しかし、次は救えない。飢えてる人に、魚の取り方を教えれば、今回もこれからも、その人は自分を救い続けられる。
【女王アマテの理想】
ウルトラマンが戦闘をためらう大きな理由の一つが女王アマテの、「戦うことを解決の手段としない」という信念です。現実を見ない未熟な理想主義、そのように解釈されてしまうアマテの信念ですが、これには確固たる理由があります。かつてアマテの母はアマテと同じように戦神に化身し、惑星カノンを襲う怪獣ガーゴルゴンと戦い、民を守り戦死しました。
戦うという選択が、犠牲を最小限とする局面もあるでしょう。しかし、裏を返せば、ひとたび戦う選択をすれば、例え少数であったとしても確実に犠牲が生まれます。それはあなたの身近な人かもしれませんし、全く関係のない別の人かもしれません。しかし少なくとも、アマテは当事者でした。対ガーゴルゴン戦の犠牲者はアマテの母一人でした。一人の犠牲で済んだのですから大きな視点で見れば、成功と言えるでしょう。
しかし、数字の上では1人とされる犠牲者でも、その家族からしてみれば、それは大いなる犠牲です。その、当事者としての苦しみを知るからこそ、他の誰にも、そのような想いをさせたくはない。たとえ子供じみた理想と言われようと犠牲の1を、0とする可能性をあきらめない、そのための対話による、戦わない意志。それこそがアマテの信念です。その意図を組むからこそ、ダイナとコスモスは限界まで戦闘の選択肢を避け続けます。
【「命の木」を巡る思惑】
これまでの、ウルトラマンシリーズにおいては、もっと簡単に変身していたじゃないか。そう思われる方も多いと思います。しかし、通常のウルトラマンシリーズと今作では、状況が大きく異なります。従来型ウルトラマンシリーズでは、主人公がウルトラマンと一体化、あるいはウルトラマンが人間に擬態するなりして地球人として人間目線で時間をかけて、文化に理解を示し、有事の際に細心の注意を払い、限定的に地球の文明に干渉を行うというものでした。
翻って今回は、ウルトラマン達は惑星カノンの人々、シンラ、ミコット、リッカと交流はするものの、その文化や歴史を理解をするための十分な時間が取れません、そんな中、惑星カノンへ軍事干渉できるか否かという難しい問いを迫られます。だからこそ、ダイナとコスモス、そしてガイは武力干渉に慎重になります。
やがて、サイキの攻撃が始まる中、犠牲を減らすため、守るためと、干渉が最小限となるよう注意を払い、ダイナとコスモス、オーブが参戦。ジャグラーも白兵戦にて戦火へ飛び込みます。しかし、そんな中、ミコットが戦死、戦友として絆を結んでいたジャグラーは激高し、争いの原因と思われる「命の木」を切断し、止めようと間に入ったアマテを切り伏せます。結果的に、目的を失ったサイキは逃亡、ジャグラーの選択は一時の平和を実現しますが、大きな問題がありました。切り倒した「命の木」の直下に、惑星カノンの民が避難していたという点です。
信仰によって成立する文明ですから、戦争がはじまり不安に駆られた民衆が、信仰の対象たる「命の木」のもとに集まるというのは自然な心の機微です。ジャグラーの行動はミコットへの愛情が動機であり、戦争を終わらせたいという善意から来たものでした。しかし一方で、ジャグラーには惑星カノンの文明への理解、分かろうとする姿勢にかけていました。カノンの民がどれほど「命の木」を大事にしているか理解していれば、木の根元に人がいる可能性を考慮できたはずです。
この時のジャグラーは「人命」を優先するあまり、命の木への信仰を立脚点とする「文化」を軽視しました。そしてその結果、もともと優先しようとした「人命」までも奪いかねないところでした。例え善意から来るものであっても、理解が不十分なまま力を行使することの危険性が描写されます。そして今回の一件、最終的に切断された「命の木」をアマテが空中で破壊することでカノンの民が押しつぶされる事態は避けられましたが、一歩間違えば多大な犠牲が出ていた可能性があり、また、惑星カノンの信仰対象が「女王」から「力そのもの」にシフトしていた可能性も示唆されます。
巨大な力を持つことの責任と危険性が描写され、「力で解決することの限界」という本作のテーマが浮き彫りになります。
【光の戦士の戦い方】

戦いが収まったのち
ダイナとコスモスはジャグラーに
「こんなのは、光の戦士の戦い方じゃない」
「それは君にも分かるはずだよ」
そのように指摘をします。
後のウルトラマンZにおいてジャグラーは
「戦争を止めたが、全てを否定された」
そう回想します。
しかし、ダイナとコスモスは、ジャグラーの「存在」の否定を目的としたわけではありません。光の戦士を目指すジャグラーに、木を切る「手段」の何が問題だったかを、「自分で気付いて」欲しかったのです。ダイナとコスモスが安易に答えを提示すれば、それはジャグラーの成長の芽を摘むことになります。だから、自分から気付けるよう持って回った言い方をしています。
しかし、ここがコミュニケーションの難しい点です。相手の自立した理解を促す、持って回った言い方というのは、時と場合によっては、皮肉のような、嫌みな伝え方と解釈されやすいということです。少なくとも、この時点では、ジャグラーはダイナとコスモスの言葉を皮肉や嫌みとして解釈しました。そして、ジャグラーはウルトラマン達と袂を分かち、自らの力でサイキへの復讐へ突き進んでいきます。
1.
ダイナとコスモスは、それぞれ電脳魔神デスフェイサーと宇宙正義デラシオンとの戦いを通し、「目的を見失った力」の危険性と対峙する経験をしています。だからこそジャグラーの行動を指摘する役割を担ったという側面もあります。
【興味深い悪役】
本作の悪役、ドクター・サイキも興味深いです。力による支配と統治を標榜する悪役はありがちなものですが、彼が特殊なのは、支配のための方法論を、「人の歴史」ではなく、怪獣ベゼルブという「生物」の中に見出した点です。
昆虫における女王を頂点とした生態を社会モデルとして解釈し、宇宙に広がる知的生命の支配へ応用しようとする彼の考えは、長いウルトラシリーズでも珍しいものです。
長いウルトラシリーズにおいては、人類の殲滅による環境保護を標榜したかつてのウルトラマンアグル、食物連鎖のシステムそのものを否定し地球生命全てのリセット目論んだギャラクトロン等、様々な考えを持った者が登場します。
このようなシリーズ作品間の比較ができるのも、おもしろいポイントです。
1.
「オリジンサーガ」のメイン脚本を務めた小林弘利氏、林壮太郎氏の両名は「ウルトラマンオーブ」本編のギャラクトロンのエピソードも担当されておりました。独自の考えを持つ悪役へのこだわりを感じます。
【力による解決の限界】
本作は様々な要素を持ち、複雑だからこそ、まとめ切れていない部分も多く、つまらないという評価を受けることもあり、完璧な作品ではなかったかもしれません。しかし、長い歴史を持つウルトラマンの正義の概念に鋭い批評を加えた点、力による解決の限界という難しいテーマに挑んだという点は非常に意義深く、貴重なものです。
ガイの物語はTVシリーズ「ウルトラマンオーブ」(2016)へ引き継がれ、ジャグラーの物語も後続の「ウルトラマンZ」(2020)にて一つの完成を見ます。そんな今だからこそ、今一度、オリジンサーガの世界を再訪し、当時は伝わりにくかった先輩ウルトラマンや女王アマテの主張に注目してみるのも良いのではないでしょうか。
1.
クレナイガイの物語はTVシリーズのオーブ本編へ続きます。オーブ本編においてナターシャの喪失の罪悪感を抱え込む彼の繊細な心理が描写されますが、これも、オリジンサーガにおける「犠牲を出したくない」というガイの信念に基づくものです。また「サンダーブレスター」という強大な力へ葛藤する彼の姿は、オリジンサーガのジャグラーの葛藤に重なります。
2.
「ウルトラマンZ」(2020)においてジャグラーは盆栽を手にしています。実はこの盆栽、「命の木」の苗木であることが明かされます。大きな木を切ったことがあった、ハルキへのジャグラーの語りは、複雑な想いと過去を感じさせます。惑星カノンへの贖罪か、ウルトラマン達への復讐か、ジャグラーの真意は視聴者の解釈へゆだねられます。









