アベンジャーズ/エンドゲーム(2019)
個人的評価:S
※ネタバレあり
【究極の最終章】
マーベル映画の集大成の本作。膨大な情報量とキャラクター、3時間という長尺から全貌を理解するのは容易ではありません(制作陣がユーモアを散りばめるなどの工夫を凝らし、最大限見やすくしているとはいえ)
そこで今回は敢えてラストシーンから振り返っていくことで本作を分析していこうと思います。そこで見えてくるのは「変化」というキーワードです。それこそが本作の本質のように思われます。
【トニーの自己犠牲とスティーブの自己実現】

エンドゲームのラストはこれまで多くの指摘がされてきたように、スティーブとトニーの生き様の対比です。
武器商人として自らの都合を優先してきたトニーは自己犠牲により世界を救い
自らの人生を捧げて世界を救い続けてきたスティーブは自己実現の道を選びます。
正反対と言える選択をした二人ですが
彼らは等しくヒーローでした
それは、彼ら二人は共通して今までの自分から「変化」し「今まで出来なかったことができるようになったから」です。
人は生まれながらに環境や能力に違いがあります。だからこそ他社と比較し優劣で物事を語るのはフェアではありません。
しかし、自分との戦いは別です。これまでの自分を超えること、他者との交流で今までと異なる自分に気づくこと。
国籍や立場に縛られない、そのような人間の普遍的な成長を実践するからこそ、スティーブとトニーはヒーロー足りえるのです。そして、超人兵士でも天才科学者でもない私たちでも、今までの自分を超えることができるとこの作品は主張します。
【タイムトラベルの意義】

映画の中盤に、タイムトラベルのシーケンスがあります。正直、筆者はこの展開に当初戸惑いました、シリーズのクライマックスに今更後戻りするのかと、しかし、繰り返し視聴する中でこの場面の意図に気づきました
タイムトラベルの意図は、ヒーローたちの「変化」を見せることにあるのだと。過去を訪れたスティーブは立ちふさがるヒドラや過去の自分を嘘で切り抜けます。
正直な人間として生きてきたものの、自ら所属した組織のシールドの腐敗に直面し、目的を果たすための手段として嘘を活用する柔軟性を得るという成長をスティーブは体現します。
そしてトニーは喧嘩別れのまま死別という苦い過去を抱える父のハワードと再会します。妻のペッパーや娘のモーガンと過ごした時間から親心を理解したトニーは父と和解します。トニーのコミュニケーション面の成長です。
【サノスの敗因】

翻って本作の悪役たるサノスはどうでしょうか。前作「インフィニティー・ウォー」における彼の主張は一定の説得力のあるものに思えます。増え続ける生命に資源の目減りの歯止めがきかず、遠からず宇宙が滅びる、それを防ぐため、アトランダムな選択により宇宙の生命の半数を消滅させる。それが彼の理屈です。
しかし、この主張には致命的な欠点があります。それは、「人間の変化を考慮していない」ことです。
生命の膨張で、宇宙の均衡が崩れるというのは、人間が変化しない前提での分析です。
人間はこれまでの歴史で
様々な困難を克服してきました。
時に信念で、時に技術で
それを象徴してきたのが
スティーブの信念であり、トニーの技術、
マーベル・シネマティック・ユニバースで描かれてきたヒーローたちの活躍です。
そして、ラストのトニーの自己犠牲は
ヒーローからは遠い存在と見られてきた人間が
成長し、変化し真のヒーローとなることで
サノスの人間に変化はないという前提に成り立つ理論を正面から否定する瞬間なのです。
これまでの経験を経て変化して
成長するというのは人間にとって
普遍的な英雄譚といえます。
そして、その行いを最も効果的に描写できたのは
映画同士のつながりを通してキャラクターの歴史を積み上げるマーベル、MCUだからこそできたことです。
【行間が伝わる瞬間】
本作の個性を象徴するのは
ラストのトニーの葬式のシーンです
その中で本作のヒーロー達がトニーを偲ぶ様子を
十数秒に渡りワンカットでとらえるシーンがあります。
ヒーロー達は一切のセリフを発しません
それぞれの心の中で、それぞれの考えでトニーを想います。
しかし、そんな脚本の空白、行間を
これまでヒーロー達を見てきた私たちは
読み解くことができます。
妻として毅然とトニーを見送ろうとするペッパー
喪失感に打ちのめされるピーター
親友として悲しみを受け止めるローディ
戦友として最大限の敬意を払うスティーブ
他に手段がなかったとは言え
犠牲の運命を知りながら救わなかった
自分を責めるストレンジ
罪悪感を抱えながら、謝罪の機会を永久に失い
複雑な感情のバッキー
そして、容易に表舞台に立てない立場でありながら
敬意を表すため参列するニック・フューリー
沈黙のシーンは、どこまでも雄弁です。
これまでのアベンジャーズシリーズの
積み重ねがあるからこそ実現可能な
象徴的なシーンです。
序盤のヒーロー達の日常
中盤のタイムトラベルシークエンスも合わせて
アクション映画でありながら
アクション以外の方法でヒーロー達を描写する
手段を模索することこそ
本作の狙いなのではないかと思えます。






