南都仏画展の前半の展示に、奈良国立博物館まで行って来ました。今週の日曜まで、レリーフの吉祥天像(12)が展示されてるんですよね。また、吉祥天倚像(127)も合わせて良かったです。前者は薬師寺、後者は興福寺の所蔵です。
ただ今回は内山永久寺に関連する仏画や仏像が集められるということが、ひょっとしたら、私が行こうとした一番の動機だったかもしれません。私がもっとも印象に残ったのは、愛染明王坐像(75)でした。そのほかの不動明王と八大道士像や、地蔵菩薩も良かったです。
内山永久寺は、かつて石上神宮の南にあった真言宗の大伽藍を擁するお寺で、明治の廃仏毀釈のため失われてしまいました。今回の展示で初めて知りましたが、往時は西の日光と呼ばれていたそうですね。今はほぼ畑になり、かつての浄土池が残っているのと、石上神宮の本殿の回廊のところに忘れかけられたように旧境内図がポツンと置かれています。一瞬、こちらに行ってから行こうかなと思ったんですが、今回は暑かったのでやめました。
実は今週、実家から帰って来るときに、以前間違えて配送先を実家にしてしまったため読むことが出来てなかった江里康慧『仏師から見た日本仏像史』を持って帰って、読むことが出来ていたので、仏師についても基礎的な知識が身についてました。これは有り難かったですね。個人的には、小西甚一先生の日本文藝史も頭にあって、文化の興隆と衰退のダイナミズムを面白く受け取ることができました。小西先生の雅と俗の考え方については、志道正宗さんのnote記事が素晴らしかったので、気になる方はこちらを読んでみてください。
内山永久寺もそうなんですが、なんといっても今回、画期的であったのは焼けてしまった法隆寺金堂壁画を現代技術を駆使して、復元させたものでしょう。その復元のプロセスの一部は会場内で公開されていて、これがどうやらNHKでも月末に放映されるようです。これを第1章に持って来れたのは、本当に研究の賜物で、頭が下がります。この火災も調査中の火災だったので、本当に関係者の思いはどれだけのものだったのかと思います。火災は昭和24年、1949年のことなので、実にここまで80年弱かかってるわけです。まあ、その時間感覚も、1000年以上の歴史を持つ法隆寺らしいと言えばらしいし、こうやって継承なされていくんだな、とも思います。
あと今回初めて知ったのは、春日大社な第四殿の本地仏が十一面観世音菩薩だったということです。他は順番に不空羂索観音(後には釈迦如来)、薬師如来、地蔵菩薩だったようです。私はまだ興福寺を丁寧に回っていないので、興福寺を回った後に色々分かって来ることもあるかもしれません。
興福寺
さて、実は仏像館が9月13日までで、一年半の改修工事に入るようです。今は「珠玉の仏たち」展が開催されています。
撮影については前回、確認しました。リンクも貼っときますが、長い記事なので、該当部分だけここにも貼っておきます。
場内は撮影禁止なのですが、こちらの仁王像は仏像展の方に陳列されています。係員の方に聞いたら、仏像展では原則、国立博物館が所蔵しているものは撮影可で、それ以外は所有者の許可が下りるかどうかで決まるということでした。この仏像展も同じ展覧会のチケットで観ることが出来ます。※このときの展覧会は、吉野大峯展でしたが、南都仏画展のチケットでも拝観できます。
というか、撮影できる仏様が増えていた気かします。個人的には、これからはますます、仏様(仏像)の役割は二分化するんじゃないかなと思います。一つは、究極には秘仏に極まる信仰の対象、もう一つの極は、お寺の広告塔としての役割です。博物館で展示されるということは少なからず、二つ目の役割を担っているわけで、撮影してSNSで拡散してもらった方がその効果は高いわけです。
金峯山寺の金剛力士のお二人もこの間に帰還されるので、この間近で拝観できるのは後1ヶ月ほどですね。
広目天?
薬師如来?
弥勒菩薩?釈迦如来だったかも?
文殊菩薩像。薬師寺。
准胝観音菩薩立像。新薬師寺旧蔵。
大威徳明王騎牛像。
愛染明王坐像。
伊豆山権現立像。伊豆山神社の御祭神。
吉祥天倚像
獅子。文殊菩薩の元台座。
薬師如来坐像。興福寺伝来。新薬師寺の本尊を縮模。
金剛童子立像。岐阜県白山の麓、長瀧寺伝来。
今回の企画は、構想約20年と言います。ボストン美術館と、奈良国立博物館で企画を温めてきたのでしょう。ボストン美術館は、フェノロサや岡倉天心らが集めた日本美術コレクションを有することでもよく知られています。彼らの運動によって、日本国内の文化保護の整備が始まったのですから、美術品の海外流出よりそもそも保存し、大事にする枠組みを作ったことが何よりも重要だと思います。
これに対して、江里さんの『仏師から見た日本仏像史』では師匠からの教えとして「仏像が礼拝の対象であって、美術作品ではないこと」や制作にあたっての一刀三礼の精神が紹介されています。実際、仏師は専門の仏師だけではなく、僧がその修行の一環として仏像を製作したことも紹介されています。要は、仏道の中に、仏画も仏像もあったと言えるでしょう。
美術品とは何か、芸術とは何か、ということを問いかけていったときに、そもそも人智を超えたものと切り離すことが出来るのか、ということと、加えて、そのような領域があると仮定するとき、製作者や鑑賞者の意図や思い(時に祈り)を超えて、何ものかが生まれる、ということがあるのではないか、と私は考えています。考えていますが、同時に、そういうものに関わらない美術品もあるでしょうし、変な話ですが、お土産のような御朱印やお守りなどの授与品のなかにも、どちらかというと、そうではないものも含まれているかもしれない、とも思います。そのような意味では、考え方として、嗜好的な美術品と、それらを超えるものを分けることは出来そうかもしれません。ただ、どれがどちらに属するかは難しそうだな、と思います。
制作者の一刀三礼はよく分かりますが、私には博物館の企画には企画で、文化を継承していこうという意思を感じます。そして、それは限りなく祈りに近いもののように思います。












































