トトブログ 巡礼記

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時空を超えた自分との出会い

室生寺と龍穴神社に行ってきました。

 

たしか何かお坊さんのSNSのコメントに、 GWだけ金堂が特別公開されていて、運が良かったと書かれていて、吉野の蔵王権現も最終日で行く予定だったけど、こちらも午前中行くかということで、無理に予定に組み込みました。

 

その前日、友達二人とLINEでやり取りしていて、その中で明日も大変だと思う、とフラグを立てたら、フラグを回収する大変さでした。迷い迷っても、振り返ってみれば、全部然るべきルートに修正されました。

 

最初、私が考えたのは7時過ぎに室生口大野駅に着いたら歩いて室生方面に向かい、先に龍穴神社と奥宮を回って室生寺に戻ってくれば良いかというものでした。室生は2年ぶりで、前回、行った記録も残っていました。この時、室生寺の天神社で遥拝してから、お宮(龍穴神社)をお詣りするのが正式なルートであることは教わったのです。ただ、今回は時間もないから、ごめん!と思いながら、歩き始めました。

 

大野寺の磨崖仏。最初にここを通ったときはすごいエネルギーを感じたのですが、この日はそうでもなかった。

 

当初、室生方面には、道路沿いを歩いて行こうと思っていたのですが、途中で東海自然道があったので、よしショートカットしよう!という気持ちでこちらを行くことにしました。これが、この時も目論見としては失敗でしたが、結果的には正解でした。

 

この日は実は晴れの予想だったんです。ところが、歩き出してしばらくしたら、ポツンポツンと降り出して、しばらくしたらまあまあ降ってきました。実は朝、一瞬傘がいるなと思ったんですが、寝ぼけていたのか、晴れだから良いかと思ったのか、とにかく傘を持たずに行ったんですね。まあでも自然道は森の中なので、自然の傘が濡れる量を緩和してくれました。これが道路を歩いてたら、びしょ濡れで心折れてたはずです。

 

この東海自然道、実は峠を越すルートになっていて、かえって大変でした。最初の案内に室生寺4.8キロって書いてあったから近道だ!と思ったのに、途中で室生寺4.8キロ、入り口まで1.1キロって書いてあって、あ、こちらを歩けと誘導されたな、と思いました。結果的には、始発のバスより5分くらいしか早くなくて、室生寺の前に着いた時は8時半を回っていたので、先にこちらをお詣りすることにしました。天神社から龍穴神社という順番は守ることになったんです。


 

 

 

 

室生寺は、今回は奥之院までは行きませんでしたが、とても素晴らしいお寺です。

 

 

 

 

 

 

弁財天社

 

 

 

金堂。

 

軍荼利明王。天神社の拝殿の横の大きな岩に彫られています。

 

天神社。ここが遥拝所です。

 

本堂。私は本堂のところで、散華と霊木宝珠をいただきました。ただ、リュックには入れていたものの、傘がなくて、雨で湿らせてしまったのは申し訳なかったです。

 

シャクナゲが綺麗でした。

 

五重塔。

 

この撮っているところあたりから御廟です。

 

金堂の特別拝観をすると、ここでだけスマホでの写真撮影が出来ます。この特別拝観は、五重塔と金堂の修理費を集めるためだと思います。クラウドファンディングも開始しています。↓

 

https://readyfor.jp/projects/yamato-murouji?sns_share_token=&utm_source=pj_share_url&utm_medium=social

 

金堂でお坊さんから説明を聞いているときに、印象に残った話が二つありました。一つは、雨の場合、普通は「御足もとが悪い中で」のように悪いという前提で使われることが多いけれども、室生の場合は、龍神さんが元気であることの現れなので、喜ばしいと考え、「吉祥日」と呼んでいるということでした。もう一つは、この場所がもともと、室生の龍神を遥拝する場所であり、そこに後からお寺を建てた、ということです。そういう意味では、今でも「天神社」は室生の原点の一つなんですね。

 

室生寺の御仏はきれいなお写真がホームページでも紹介されています。ただ、ここに掲載されていない仏様で大日如来、薬師如来、蔵王権現も金堂にはいらっしゃいました。


 

 

室生寺を後に龍穴神社の方まで歩いて行こうとしたんですが、傘を買わずにそのまま行ってしまいました。あとでバスの中から傘を売っていたことに気が付きました。。。でも、それもトータルで意味があったんだろうなとも思っています。

 

韋駄天神社。

 

久しぶりの室生龍穴神社。時間がなかったので、足早に参拝を済ませて、奥宮まで急いで向かってしまいました。

 

 

 

 

 

 

天岩戸神社。ここも人が何人かいたので、軽く挨拶だけでサクッと来てしまいました。

 

龍穴。本当はここの水量がすごく、龍神様を感じたので、その動画を上げたかったんですが、短くて、容量的にも問題ないのに、なぜかあげることが出来ません。龍神様からOKが出ないのでしょう。ちなみに、前回の記事には、そのときの同じ場所の動画が上がっています。ただ水量が全然違って、そのときには川の方にはここまでの御神気は感じていませんでした。

 

おそらく、前日に友人たちとやりとりしていなければ、私は龍穴まで行かなかったかもしれません。こんなに雨に恵まれている日は、別に龍穴まで行かなくとも、どこにいても龍神さんの存在を感じることは出来るからです。ただ、行った意味は確実にあったと思います。

 

帰りバスに間に合わないかもということで、もう途中からメチャクチャ走りました。ここの時点で10時33分。バスは44分発。そもそも室生寺を出たのが10時5分くらいなので、最初から無茶なんですよね(後で確認したら、奥宮まで龍穴神社から約25分って書いてありました。800mくらい登りです)。そして、結論から言うと、1分くらいの差でバスには乗れませんでした。かろうじて曲がっていくバスの姿が見えていました。しかし、よく考えたら、別に1時間、遅らせても問題なかったんですよね(最初から11時44分に移動するケースもシミュレーションしてました)。

 

関東にいたころは、走ったりするということはあったんですが、そもそもこんな山の中で、何をそんなにあくせくしてたんだろうと思って、走りながらちょっと笑ってました。もう一回、神社に戻って、1時間近く雨宿りしていました。まあ、でも、1時間はあっという間でした。雨が降る神社の境内をボーっと眺めながら、なんて贅沢な時間だろうと思っていました。時間がゆっくり流れていて、私はたぶん、ここで癒されていました(どうやらお互い様だよ、ということみたいです)。

 

雨が一瞬緩んだときに、初めて龍が止まるというご神木のところにも行きました。

 

 

 

改めて本殿前の狛犬さんたちとも対峙します。

 

 

 

ようやくバスに乗れて、いよいよ次は吉野に向かいます。

そういえば、2025年の年末から翌3月中にかけて、私は割と咳をしていたんです。最初は風邪を引いて、そこからその咳が花粉症も相まって長引いて悪化したので、時々このブログでも紹介するカレー屋のママさんからすごく心配されて「病院に行って、一度、検査するように」と何度も言われていたんです。

 

風邪を引いた日は、割とはっきりしていて、氷川神社を歩いた日です。この日は大宮駅を降りて少し歩いて「あ、今日、風邪引くかも」って、分かっちゃいました。それでもあの距離を歩ききったのはきっと、私だけではないいろんな力を借りたからでしょう。そろそろ他の方に迷惑だなというのと、ちょっとのどが痛いなと感じることも増えてきたので、「面倒くさいけど、治すか」と思って、ヒーリングをすることにしました。

 

思い出して実践したのが仕事に行くある朝で、いったん自分の流れの中にエネルギーを循環させました。「あ、思ったより悪いかも」で、どのエネルギーを使おうかなと思いながら、少し前のブログでも書いたメタトロンキューブを回転させながら、正中線を流した感じでした。上からか下からかは忘れました。それから2,3日は何回かやったもののそれっきりで、しばらく忘れていたんですが、そのうち治りました。4月半ばまでは花粉症もあるし、仕方ないかとあきらめていて、当初はそこからが勝負かなと思っていたので、思いのほか、早く治ってしまいました。なぜもっと早くそれをやらなかったのかというと、そこまで必要性を感じてなかったので、面倒だなと思っていたからで、放っておくことの面倒さが治す面倒さを超えたので、試したんです。

 

なんでこの話を書こうと思ったかというと、前にヒーリングの方法が降りて来て後で、それを試した時に書いたエントリを改めて読み返すと、今にピタリだと感じたのです。その時のラストを引用しますね。

 

そのうちにサークルの中で、大日如来のエネルギーを感じました。黄金に光る大日如来です。それがなぜ大日如来と私が認識できたのかは自分でもよく分かりません。ただ、私にはたしかに曼荼羅の中央にいる大日如来、というイメージでした。大仏に似ている感じもしたけれども、画像検索したら、ピタリとくるものはありませんでした。しかも、私には大日如来のエネルギーと、大国主命、国常立尊のエネルギーはまったく同じに感じられました。しかし、それならなぜ最近、わりと意識することが多かった大国主命や国常立尊ではなく、大日如来として感知したのかという謎は残ります。

 

この時はなぜ大日如来がやって来たのかよく分かりませんでした。とはいえ、もともと私は大日如来と縁が深いのです。もう20年くらい前かな、母方の祖母の友人の娘さん(そして、母の小さいときからの知り合い)に好奇心から視てもらったことがあって、そのときに大日如来がついていると驚かれたことがありました(変化して不動明王になられたりもしていましたが)。別に縁が遠くなったとは思ってなかったのですが、「ん?このタイミングで登場するっけ?」とはヒーリングを試したときも思っていました。今回、にわかに、丹生都比売神社、(高野山金剛峯寺の周辺)、東寺と回ることで、改めて光明真言と大日如来との関係が近づいてきたという感じです。

 

種智院のところで勤行の次第みたいなものが書いてあって、そこには般若心経と光明真言の二つがあったんですね(他のご真言もあったかもしれませんが)。不遜を承知で、しかし、ある種の直観があるので、あえて書きますが、私はこの二つがすべてであると今は感じています。私の感覚だと、般若心経でいったん更地にしてしまい、光明真言でその上に光の建物を建てる、そんなイメージです。ただ、般若心経、強力過ぎて、何でもかんでも宇宙の彼方に消し去ってしまうイメージなので、私は結構、使うのを正直躊躇ってきました。でも、この二つがセットだったら、全然、仏教関係の場所(寺院だけでなくかつての修行の場とかも含めて)も今後はこれで行けますね。

 

いったんリセットするという意味では、身滌大祓に近い感じがするんですが、エネルギー的には全然、違います。私が身滌大祓を唱えるときには、場が調っていくという感覚があります。そして、結果的に光が入りやすくなるという感じです。般若心経は、全部、強制的に消し去る、というか「空」なんですよね。もう宇宙です。情緒とかはゼロです笑。身滌大祓の方は、地球と調和する感じです。

 

今回のものは、明らかに空海さんのお導きだなと感じています。思い起こすと、小さいころ、母方の祖父の家の近くにあった等々力不動尊の稚児大師さんにすごく親近感を持っていて、滝行を眺めているのも好きでしたし、小学生のときはなぜうちは真言宗ではないのだろうと疑問に思っていました。たぶん、私が最も小さい時になりたかったのはお坊さんでした(2歳から3歳くらいの頃)。多くの人に触れあって世間を知った今となっては、そんな子どもの方が珍しいことはさすがに分かります(笑)。他生の縁があったのでしょう。22くらいのときに出家しようかなと思ったこともありましたが、結果的にはそちらの道には行きませんでした。その頃、今生は里の行をしに来ているのです、と言われたこともありました。

 

2025年2月に朝護孫子寺に参拝に行ったときに、金剛杖を求めました。以来、いろんなところの参拝に持って行っています(ただ、空海さんが関係ない参拝もあるので、そういうときには持っていかないです)。「同行二人」という言葉があって、弘法大師が傍らにいるという意味なのですが、私の場合、傍らというだけでなく、時には重なり合うイメージを持っています。しばらくは、朝、夕にこの二つを唱えたいと思っています。どうやら、生きている人間が唱和するということに意味があるらしく、それなら体をお貸しすればよいのではと思ったら、そういうことでもないらしく、生身の私が唱えることに意味があるようです。意味が分かったら、また書きたいと思います。

 

ああ、今の私にはこの方法が合うみたいです。現代はアファメーションとか色んなものが世に出ていますが、どれが良いということはなく、それぞれの方の相性もあるみたいですね。なんでこの役目を私が与えられたのかは謎ですが、「そのうち思い出すであろう」ということだそうです。

不思議な感覚ですが、昨日の丹生都比売神社で光明真言碑についての考察を書き終えたとき、調ったなと思いました。調べているときに、阿閦如来(あしゅく)という名前に惹かれたので、どこでお祀りされてるのだろうと思ってさらに調べたら、二つ目くらいに東寺が出てきたんですね。前回の京都のときの宿題でもあるので、午後からだったんだけど、朝から予定を入れていたら私のことだから他も一緒に行こうとしてしまうので、逆に東寺に集中できるなと思って出かけることにしました。本当は最初からGWに東寺に行く予定ではいたんですが、なぜかずっと気乗りしなかったんです。それが光明真言で一気に準備が出来た感じです。和歌山が先で良かったですね。

 

写真は外観以外は禁止なので、あまりありません。ただ、これは文化財保護の観点からも当然だと思います。東寺のホームページに素晴らしい写真や解説もありますので、そちらをご覧ください。今の時期は五重塔初層の特別公開(~5月25日まで)と、草場一壽さんの陶彩画展(~5月31日まで)が開催されているので、ぜひお出かけになるとよいと思います。

 

私は長岡に行ったときに、正法寺で求めた梵字必携を持っていきました。中はスマホ禁止なので、こういうときはアナログの本が大事ですよね。次回からは光明真言を記憶していきたいと思います。

 

今さら、書くのも自分の無知をさらすようで恥ずかしいんですが、東寺の講堂は立体曼陀羅になっていて、その中心が大日如来を中心とした五智如来なんですね。五重塔もこの五智如来なんですが、大日如来が柱になっていて、それを囲うように四如来が守護されているという構図になっています。この曼陀羅を起動させる呪文こそが光明真言だと私は理解しています。私のイメージだと、曼荼羅は、中心の大日如来から光が満ち出でるということと、中心の大日如来に光を集める、という二つの機能があるように思えるんです。

 

言葉で表現するのがすごく難しいのですが、曼陀羅は立体なんですね。これはそのまま立体曼陀羅という意味ではなく、本質的に3Dということです。曼陀羅図や立体曼陀羅は曼陀羅そのものでもあると同時に入り口であり、その先は4Dでもあり、さらに多次元で、宇宙そのものであり、人間そのものでもあります。


ここまで書いて先週、高野山の参道を走らされた意味も見えてきました。高野山は、壇上伽藍や西塔だけでなく、トータルで、曼陀羅であるように設計されているので、あの空間に入るだけで意味があるし、逆に言うと、目に見える仏像だけに囚われても、というか、そこだけに意識を集中させてもダメなのです。その意味で様々な仕掛けはやはり入り口なのです。そして、物理的な曼陀羅が入り口だとすると、真言は導き手です。


というか、高野山を調べてたら、金堂のご本尊が阿閦如来なんですね。びっくり!


東寺での話に戻ると、私は金堂3回、講堂1回、五重塔初層2回、お詣りしました。上に書いたことは、その体験がベースにあって、初めて降りて来たインスピレーションだと思います。


 

 

講堂

 

金堂

 

五重塔

 

種智院

 

御影堂

 


食堂で草場一壽さんの陶彩画展が開催中です。

 

 

 

 

 

 


草場一壽さんの陶彩画展は、すごいの一言に尽きました。この衝撃を言葉で伝えるのは難しいんですが、ちょっとトライしてみます。


まず並べられてる絵画がすべて、今の日本、延いては世界に必要な神であり、仏であり、龍神でした。絵そのものもすごいパワーなんですが、そこに添えられた言葉もすごい。この人には色んなことが見えてるんでしょうね。絵の順番にも意味があります。


私はラストの15分だったので駆け足で見るしかなかったんですが、これを観るためだけに、もう一度東寺に行こうかなと思ってるくらいです。でも、最後にカードを買えました。これもものすごいエネルギーで、またゆっくり読み解いて行こうと思っています。

 

龗(おかみ)カード。

 

後、曼陀羅の理解を深めるために、図録も買いました。こういうのは限定だから、ある時に買っとかないとなんですよね。この辺は古本を集めてた経験の知恵です笑。