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トトブログ 巡礼記

時空を超えた自分との出会い

紀伊国一宮を巡る1から続きます。

 

日前神宮・國懸神宮→竈山神社→伊太祁曽神社→伝法院→丹生神社(伊太祁曽神社の奥宮)→足守神社(観音寺)→大國主神社→宝来山神社・神願寺→柳沢明神→天野八幡神社→丹生都比売神社→奥之沢明神(一澤明神旧址)→中之沢明神→立里荒神社

 

レンタカーを借りることにして行くことが出来るようになったのは、大国主神社と宝来山神社でした。大国主神社は貴志川のほとりに佇む古社です。神宮寺は廃仏毀釈で廃されていますが、お堂だけが残っていました。大国主神社は、伊太祁曽神社の御祭神でもある五十猛命を頼って逃げて来た大国主が立ち寄ったとされる場所で、平安時代に嵯峨天皇が夢告によって創立したと言われています。意外と多くの天皇が訪れている場所でもあります。

 

10年に一度のという鎌倉時代から始まった御祭りもあるようですが、これは国主淵に住む龍神への捧げものとしてスタートしたようです。動画もあったので貼っておきます。

 

 

私は市杵島神社とされる摂社のところが遥拝所になっていると思っていて、これはいわゆる市杵島姫命=弁天様とはちょっと違うエネルギーでした。地主神を祀っている感じでした。この後ろの森というか山なのかな。これは遠くから見ても力がある感じがしていました。Googleマップでも名前は出てこないのですが、「紀伊続風土記」の記述では陽向山の麓にあると書かれているようなので、陽向山なのかもしれません。

 

 

 

本殿

 

弁天社

 

大国主神社の次には、宝来山神社に行きました。ここは期待以上のすごい神社でした。そして、今の天皇陛下も皇太子殿下の時代にいらっしゃっているんですね(それも10数年前とかなので、メチャクチャ若い時というほどでもないです)。また、廃仏毀釈で隣の神願寺が廃寺にならなかったのもすごいなと思います(高野山の影響が強かったからでしょうか)。

 

本社四殿、末社東殿、末社西殿には、八幡神と菅原道真公(天満神)のほか、ズラッと出雲系の神様が並んでいます。そして、この後ろに奥宮があるんですが、石が並べられていて、磐座のようになっています。私の感覚だと、これが昔からこの形態であったかどうかは分からないのですが、少なくとも今は本社四殿、末社東殿、末社西殿の神様のエネルギーを集約する、そのような役割があるのではないかと感じました。

 

和泉山脈自体が遠くから見ても、すごいエネルギーを放ってますし、修験が始まったとされる七宝瀧寺や、新義真言宗の根来寺、元天台宗の粉河寺(ここはまだ行ったことないです)も近くにありますから、多くの修験者や僧が修業してきたのだと思います。

 

 

 

 

 

末社市杵島姫大神社。

 

 

 

 

 

奥宮入り口。

 

奥宮。

 

 

 

歴代の干支の絵も並べられていました。

 

 

 

今年の干支の絵がさっきの写真にはなかったので、こちらも。

 

隣接する神願寺。

 

宝来山神社を出て、次は丹生都比売神社がある天野に向かいます。今回は丹生都比売神社だけでなく、三沢明神や天野八幡神社にもお参りに行きました。この日は最初、丹生都比売は天野八幡神社にいらっしゃった気がします。丹生都比売神社は紀伊の一ノ宮なので、役割の大きい神様なので、天野を守る産土神としてはこちらで祀ろうという趣旨でスタートしたようです。


三沢明神については、中之沢明神だけちょっと分かりにくいかなと思います。丹生都比売神社の臨時駐車場(少し坂をあがるところです)の横を抜けた少し先に標識があります。それを見ても、民家の中を入っていくようで、一瞬ためらいそうになるんですが、ここは普通に入れるので、そのまま奥に進むと、また標識が出てくるので、そこからはすぐです。奥之沢明神と中之沢明神の二つは、ゆっくり参拝できたので(といってもおそらく5分ほどですが)、身滌大祓を唱えた後、暗かったのに光がさしてきました(もともとこの日は雨の後の曇りがちな天気だったのです)。

 

 

 

柳沢明神。

 

天野八幡神社

 

天野八幡神社本殿、本殿横から妙見社、手前側が戎社(弁天様)

 

丹生都比売神社の鳥居。なんでこんなに曲がってるんだろう。

 

 

 

 

 

拝殿。

 

本殿。

 

佐波神社。

 

奥之沢明神。

 

今回の丹生都比売神社に訪問した一つの目的は、この失われた仏教への再訪という意識がありました。ここは光明真言碑と卒塔婆があります。卒塔婆は修験の人のものですね。ああ、そうだったんだ、という感覚でしたね。思い出すというか。

 

光明真言碑。

 
これを書きながら、光明真言を唱えられるようにならなきゃというイメージが来たので、調べました。私はこの方の動画がピンときたので、唱えてみました。50回を超える頃になると、さすがになめらかになってきました。忘れないうちに、また唱えたいと思います。備忘で貼っておきます。

 

 

石造五輪卒塔婆群

 

 

 

大念仏一結衆 宝篋印塔。これは見逃しがちですよね。

 

中之沢明神

 

数日前なので、忘れかけていたのですが、丹生都比売神社に最後に挨拶をしてから、鳥居の前くらいで「修験の修行をしてきたものたちを赦してあげなさい」というようなメッセージを受け取りました。これは丹生都比売さまからであったと思います。直接的なメッセージというのは珍しいんですよね。これを聞いたときに、そのアドバイスは分かるという感覚と、嫌だなあという感覚と、二つありました。

 

少しこれを掘り下げていくと、私自身、修行をしていた時期がまあまあ長くありまして、今の人生でもその影響を色濃く受けている気がします。今生では、研究者(ないし教育者)としての自分に対しては厳しく(世間一般の基準ではなく、自分の内なる基準です)、それは心の中では他の研究者(ないし教育者)に対しても同じです。同様に、修行者に対しても、まずは自分に対しても、その他の人に対しても、求めるものが厳し過ぎる嫌いがあるんですよね。まずは自分に対して、そして、次は他者に対して、寛容であれ、ということのようです。

 

丹生都比売神社の後、立里荒神に向かったわけなんですが、行きは高野山の参道というか、前の道を車で走らされました。帰りは野迫川村の方を走って山門の前の道まで帰って来たので、そんなに大変でもなかったんですが、行きは参道の前を走らされたせいで、がっつり細い道を走ることになったんですよね。高野山はゆっくり回らないと回り切れないので、この日は行く気はなかったんですが、無理矢理、走らされた感があります導かれた感があります。

 

立里荒神に着いたのは16時半過ぎだったのですが、本来、この時間にこんな山奥に来ては絶対ダメだろうと後で思いました。個人的には、伏見稲荷の鳥居よりもこちらの鳥居の方が好きでした。こちらの鳥居はおそらく平成に入ってからなので、比較的新しいものだと思います。拝殿・本殿の前に立つと、ああ、歓迎されているなという感じがしました。というか、懐かしいなという感じでした。ただ、帰り道、細い道で暗くなるのは嫌だったので、そんなにゆっくりせず、滞在時間は30分くらいだったかなと思います(上まで行くのにそれなりに時間がかかるので)。

 

立里荒神社のなかに龍神が祀られているという感じはしないのですが、このあたり一帯なのかな、龍神のエネルギーを感じました。龍神温泉は近いですし、そこと高野山を結ぶ道は高野龍神スカイラインと呼ばれていますから、龍神とは縁が深いんでしょう。いつか行ってみたいですね。

 

立里荒神、そしてその帰り道、桜が咲いていました。今年は最後ですね。素敵でした。

 

 

 

最高の景色ですね。大峰山系です。近いうちに、大山崎を一緒に歩いた友人と大峰山に参拝に行こうと約束しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このように鳥居が立ち並びます。ちなみに、最初の方で鳥居の横に行く道があって、そちらが少しショートカットです。こだわりがなければ、そちらの道でも問題ないです。

 

立里荒神から降りてくる道の途中にあります。ここも強力だったので載せておきます。

 

本当は連休で混む前に東寺に行く予定で考えていたんですが、先週の流れから行くと、先に紀伊の国の一之宮めぐりをする方が良いなと考えました。本当は歩き+電車で回りたかったのですが、ギリギリまで天気とにらみ合い、レンタカーで回ることにしました。結果的には、最初、想定していたよりも多くのところを回れましたし、そもそも、歩きではこんなに難しかったと思うので、良かったと思います。

 

今回回ったのはこんなルートです。立里荒神社まで行かなければ余裕だったと思うのですが、やっぱり詰め込みすぎました(笑)。ただ、行って良かったとは思います。

 

日前神宮・國懸神宮→竈山神社→伊太祁曽神社→伝法院→丹生神社(伊太祁曽神社の奥宮)→足守神社(観音寺)→大國主神社→宝来山神社・神願寺→柳沢明神→天野八幡神社→丹生都比売神社→奥之沢明神(一澤明神旧址)→中之沢明神→立里荒神社

 

日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)はご神域が撮影禁止なので、遠景しかありません。ただ、これは良いことだと思います。この神宮の森はすごく御神気で満ちています。森厳としている、という感じでしょうか。左右にそれぞれ日前神宮・國懸神宮が配されていて、その近くに摂社がいくつかあります。二つが圧倒的なんですが、それぞれの摂社も強く、中でも日前神宮横の天道根神社と國懸神宮横の中言神社は強力です。私は、この二つの摂社もそのなかにある日前神宮と國懸神宮の間の場所に、本当の神様が隠されているのではないかと感じています。

 

日前宮の鳥居

 

森の雰囲気だけでも分かるかなと思ったんですが、全然見えない。

 

日前宮を出て一路南に、竈山神社へ向かいました。官幣大社なんですね。猫の駅長で一世を風靡した和歌山電鉄も推している「三社参り」の一角であることは、以前日前宮にお詣りしたときの帰り道、駅の看板で知りました。正直、「三社参り」の一角でもあるし、車だからついでに回っちゃおうくらいの感覚があったことは否定できないのですが、すごい神社でした。本当にここまで強力なところだとは知りませんでした。本殿とその前に並んでる摂社三社も強力なんですが、私が一番気になったところは青葉神社とその前の広場でした。

 

本当は静火神社という境外摂社であり、元は名神大社であった神社もあるので、以前調べたときには気になっていたのですが、今回は一之宮を一気に歩くというのが目的だったので、次に急ぎます。今度は和歌山電鉄で「三社参り」をして、周辺をゆっくり観察したいです。

 

竈山神社は入り口がGoogleマップで見ても分かりづらいのですが、駐車場のところが正面の入り口になっています。

 

 

 

本殿横の摂社群。

 

本殿。

 

青葉神社

 

青葉神社の手前の広場のところの様子

 

 

竈山神社の次は伊太祁曽神社に向かいました。三社巡りのラストであり、紀伊の国、一之宮めぐりの二社目でもあります。

 

駐車場に止めてから、一の鳥居のところにある櫛磐間戸神社(門神社)に戻ってお詣り。古墳が気になったので先に頂上の広場に行き、ここでは身滌大祓では足りないなと思い、大祓詞を唱えました。喜ばれたなあというのは感じました。そのまま、本殿にお詣りして、摂社群を回っていきます。とても良かったですね。単に古社で力のある神様がいて、というより、宮司さんなのかな、それぞれのお社に与えられてる役割分担が完璧で、霊的によく考えられてるなあ、と感動しました。

 

本殿のすぐ横にあるのが荒魂を祀る気生神社。私は本殿以上に気生神社にパワーを感じました。これは荒魂の特性かもしれません。どうしても荒魂はパワーが強い感じで、和魂の方は繊細というか、優しい、穏やかな感じになります。

 

気生神社の隣、明治期に合祀された神社を並べている蛭子神社(事代主さんが座長なのは適材適所です!)があります。私の事代主様の印象については飛鳥坐神社に訪れたときに書いています。この頃はまだ一日分を一つのエントリで書いていたので、ものすごく長文ですが、後半の方に書いてあります(苦笑)。

 

蛭子神社の前に社務所を回りこんだ裏手にある神社のところに、龍神様がお引越しされた旨が書いてありました。その先が御井神社。ご神水の井戸もあります。私はペットボトルをもっていかなかったんですが、もったいなかったなと思っています。ここの水は強力です。そして、少し下ったところにあり、地の力を集めやすい立地でもありました。

 

その御井神社から横に上がって行ったところに、出雲の神様を祀る祇園神社があります。当然、主祭神のお一人は素戔嗚命ですが、祇園と銘打ちながら、少なくとも現在は廣峯神社のようにと習合されていないですね。純粋に出雲の素戔嗚命をお祀りされているという感じでした。そして、駐車場から祇園神社にあがる短い参道の真ん中あたりに、出雲の船通山を遥拝するために奥出雲から運んできた磐座が置かれています。これは近年、設置されたようです。すべてが歴史的背景を踏まえて現代において役割を振り分けられていると感じました。このタクトの振り方はある意味生きてる人間だからこそかもしれません。

 

 

 

櫛磐間戸神社(門神社)

 

 

 

神社の正面にあるときわ山古墳。ここから広場まで少しだけ登ります。

 

古墳の広場のあたり。

 

晴れてきました。

 

本殿。

 

割拝殿の中には、城所 啓二さんの奉納した像がたくさん並べられていました。これも一つずつ魂が込められていて、素晴らしいですね。もはや個展です。

 

 

 

相殿1

 

相殿2

 

気生神社

 

気生神社

 

 

蛭子神社

 

龍神

 

御井神社

 

祇園神社

 

奥出雲、船通山から持ってきた磐座

 

伊太祁曽神社を後にして、奥宮の丹生神社とその前の正法院を目指しました。丹生神社の手前にも車を停めるスペースはあるのですが、そこまでの道はメチャクチャ細いので、よほど運転に自信がある方以外は、正法院さんの正面の駐車場をお借りした方が良いと思います。私は最初、そこに停めて、奥に正法院の駐車場と書いてあるスペースがあったので、正面はプライベートスペースかなと思って、そちらに移動したら、お寺のおばあさんが出ていらして、正面に停めてもよかったのだと教えてくださいました。

 

正法院も丹生神社もとてもよいところでした。もともとは一体化していたのではないかと思います。一見、神宮寺と鎮守社の関係に見えるのですが、私はもともとはこの山での祭祀場が丹生神社になり、それを守ったり、あるいはその力を借りた修行の場とするために正法院が後世建てられたのではないかと思います。今は一応、別組織ですが、歴史的には一緒だった時期もあるのでしょう。

 

伊太祁曽神社奥之院・丹生神社。右に見切れているのは覚鑁堂です。

 

丹生神社

 

丹生神社の後は足守観音寺・足守神社に行きました。ただ、車で行く方にアドバイスしたいのは、足守神社をナビで設定せずにきちんと足守神社の駐車場を目指すべきということです。とにかく、そこまでの道が狭い。なんなら、近くの道の駅に停めて歩いてもいいんじゃないか、というレベルです。私はこの後、高野山を経て立里荒神まで走ったのですが(それは次回に書きます)、この日、一番緊張したのは丹生神社と足守観音寺の間の道を走ったときでした。

 

足守観音寺はその名前の通り、足を守るということで、走る人などの信仰が強く、境内に草鞋がたくさん奉納されていることで有名です。私は気持ちいい神社だなと思いましたが、なんとなく懐かしい気を感じました。ここも覚鑁上人のお堂が祀られていました。このあたりは根来寺からも近く、高野山を降りた覚鑁上人がこの地域でも大いに貢献したことが分かります。正直、弘法大師だと、神様のように大師を信仰するという傾向もありますが、覚鑁上人の場合は、地域に貢献した人への感謝を込めて祀っているという感じです。昔の宗教者というのは知識人で、技術者でもありますからね。

 

足守観音寺

 

足守観音寺に一緒に祀られている足守神社。ここも一番左に見切れているのが覚鑁堂です(笑)。

 

後半に続きます。

 

和歌山を歩く1和歌山を歩く2の続きです。

 

紀三井寺→ 海禅院多宝塔→妹背山→塩竈神社→玉津島神社→ 奠供山 (てんぐさん)→和歌浦天満宮→紀州東照宮→五百羅漢寺→秋葉大権現社→矢宮神社→神明神社(西の宮戎)→無量光寺→ 刺田比古神社(岡の宮)→弁天社→岡公園→和歌山県護国神社→多賀神社→ 東の宮恵美須神社・聖天宮法輪寺

 

正直、矢宮神社の参拝を終えた後は、落穂拾いというか、本日のメインイベントは終わって、あとは少しずつでも情報を仕入れながら、戻れば良いかと思っていました。ですが、なんならここからがこの日のメインイベントであったかもしれません。

 

神明神社は、名前の通り、天照大御神や豊受大神を祀る神社でした。西の宮戎の名前の由来になった摂社の恵比須神社は西宮神社から後世に勧請したもの。境内の中に皇産霊神社という磐座的なところもあったんですが、これは石の形を男根に模した子宝信仰であり、後生のものでしょう。ただ、境内は入る前から御神気が満ちていて、おおっとなりました。徳川頼宜公によって「吹上山」からここに移転させられ、しかし、新たに和歌山城の裏鬼門という役割が与えられていたとのこと。吹上というのは次に歩いて行く岡公園がある方の手前のところに地名だけ残っていて、おそらくは往時はここが小さな山だったのでしょう。

 

戎さん(事代主さん)、猿田彦さんや金毘羅さん(大国主さん)といった出雲系の神様と、伊勢系の神様と、もともとはもっと力のある神社だったんだろうな、ということくらしか分かりませんでした。結構、歓迎されたんですが、正直、実際に歩いているときにはどういうことか、全然分かっていませんでした。

 

 

 

手前左が外宮、右が内宮の位置づけ。

 

外宮の横に猿田彦の石。

 

手水舎の上の方がすごく御神気が揺れていて、私が歩くと移動してきました。

 

ここは私的には、近世のものだろう、と思っています。

 

神明神社から歩いて、ご飯を食べる場所を探しながら、無量光寺に着きました。ここは首大仏の寺として有名らしいです。首大仏の由緒を読みながら、昔の和歌山の地域の人たちの団結力というか、信仰心というか、そういうものを感じました。今、言葉選びをしていたら「結(ゆい)の力」と浮かびました。歴史的な「結(ゆい)」をご存じない方もいらっしゃると思いますので、団結力も表現として残しておきますね。わざわざ「結」という表現を下ろしてきた気持ちも分かるんですよ。大仏というのは、いきなり全部が完成するのではなく、組立型なんですね。簡単に言えば、首を先行して作ったけれども、その後、地震などの災害でそれどころでなくなって、完成しなかったということですね。

 

無量光寺山門。

 

首大仏。とても良いお顔です。

 

無量光寺の次は、刺田比古神社(岡の宮)に向かいました。中世には、荒廃していたものの、民間によって再興したらしいですね。神社のホームページの由緒は丁寧に書かれており、さらにちゃんとなんで分からないのかという点も「刺田比古」の考察という形で書かれています。そして、ここも頼宜公が大事になさったんですね。今回、あろうことか、私は拝殿の写真を撮り忘れていました。拝殿よりも、拝殿奥の摂社群、特に本殿横の楠とその前の摂社が気になったからです。ここの神社、神名が失われていた時代は、御祭神が大国主様だったんですね。

 

私の感覚でも今なお、大国主様はここの神社に思いを寄せられています。今、降りて来た大国主様からのメッセージを私なりに翻訳すると、大国主様は大伴氏一族の祖先と深い関係があり、現代風に分かりやすく言えば、部下のようなもので、大変に世話になった。彼らはこの和歌山の地を霊的な意味でも治めるという役割を何千年と担ってきたそうです。だから、時々、力を貸していたそうです。和歌山の霊的な意味がどのようなものなのか、おそらく次の旅を歩む必要がありそうです。

 

 

 

 

この摂社群の後ろが古墳になっているんですが、地盤がもろいため、発掘調査は断念されたようです。

 

 

 

大黒様。

 

かろうじて奥に見えるのが本殿です。

 

実は、Googleマップを見ているときから気になっていた岡公園。ただ、紀州徳川神社の口コミを見ていても、ここじゃない感が強かったのでスルーしていたのですが、現地に行ってみると、地蔵尊・不動明王・弁財天社が並べられているところがあったので、行ってみました。弁財天社の説明書きを読むと、ここはもともと天妃山の鎮守社だったものを豊臣秀吉が和歌山城を築城した際、刺田比古神社の境内に移動させたものを、明治維新のときに改めて地域の有志が祀ったもののようです。現在も御朱印は刺田比古神社が管理されているようです。

 

気になったので、そのまま坂を上っていきましたが、そこが天妃山だったんですね。慰霊碑(西南戦争)だけだったらよかったんですが、さらに日清戦争のときの征清記念標なるものを建ててしまっています。ここは、古代に和歌山の中心というか磐座で、ここが宇宙と海と地球を交信する場でした(と私はわりと確信をもってそう思っています)。絶対に、ここにこんな戦争関係のモニュメントはダメです。私は征清記念標の少し下のところで、大祓詞と般若心経を唱えました。慰霊碑はともかく征清記念標というのは、清を征伐したという増上慢のようなもので、その部分を消し去るためです。

 

ただ、私も完璧には出来ませんでした。これは過去生の私自身が戦いのなかに生きて来た時代もあり、しかし、私は生来、どちらかというと、競い合うのは好きではなく、のんびりやりたいんですね。でも、それが許されないそういう環境もありました。だから、それと反対の人たちに対して、簡単に言うと「ふざけんな!人も気も知らないで!」という気持ちが根底にあり続けるんですよね(その感情は私自身の増上慢でもあります)。でも、それはこういう浄化の祈りをするときには、あまり適切ではないんです。それは私も分かっています。この後、護国神社も行ったんですが、そういう意味では同様に成功していません、少なくとも主観的には。

 

もし私がある程度、役割を果たしたとしたら、ここがもともとは古代の聖地であった、ということを言語化したことでしょうか。それは意識するかしないかで全然、変わってきます。

 

 

 

弁財天社

 

不動明王

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

護国神社。

 

護国神社を後にして、多賀神社に行きました。

 

#手水とは?

 

 

 

多賀神社を出た後、雨が降って来たので、雨宿りしてから、ラストの東の宮恵美須神社・聖天宮法輪寺に行ってきました。口コミで書かれている人のおっしゃるとおりで、聖天宮法輪寺が大きな存在でした。改めて調べてみると、弘法大師が開基の聖天宮法輪寺があり、紀州藩はこちらを鬼門除けの守護霊場としたそうですが、空襲で全部が焼失、そこから再建されたようですね。そして、戦後、東の宮恵美須神社が美保神社から勧請され、ここに引っ越してきたんですね。境内摂社は出雲系の神様が多いなと思っていたのですが、そういう背景があったのか。こういう形で神仏が一体になった霊場が作られるのはとても素晴らしいことですね。

 

神明神社の恵比須神社が西宮神社から勧請され、こちらの東の宮恵美須神社が美保神社から勧請されたのは、とても良かったと思います。同じ事代主様、えびすさんでも、全然、性質が違いますからね。でも、だからこそ、両方の力があわさってよい結界を張っています。そして、両社ともに、えびすさんだけがメインではないのも、一つのポイントですね。一方は、伊勢系の神様、もう一方は真言宗系の仏様ですからね。これもまた強力なタッグです。

 

伝承と全然、繋がってないのに、こんなに大国主様や出雲系の神様とのつながりがたくさんあるのは、とても興味深かったです。